面白い情報だは。


これは面白い。

戦前・戦中なら、そもそも日本でも原爆を作ってた。

戦後なら、そもそもあの広島・長崎は、下手したら自作自演。




この「瀬島」は誰なのか・・・・瀬島龍三・・天皇の守り人とも言われてたので、その辺の耶蘇金・西欧王侯貴族の事情も多少知っているのだろうね。
わからんけど。

でも

なお、1945年8月19日に停戦交渉に赴いた作戦主任の瀬島も総参謀長秦彦三郎も、それ以降捕虜の身分。

普通、外交交渉に行った外交官は、捕虜にしない。いくら軍人が代わりに行ったとしても、普通は無いはずなのに。

なんか「ヤバいことを言った」ので、ソ連がブチ切れて捕まえた・・・てのが正しいのだろう。

それはきっと「シベリア抑留の捕虜をくれてやるから、天皇を訴追するな」とか「原爆のことは見逃せ」とかだろうね・・・

そんな外道を平気で言えるように教育しているのが、帝政日本の特に軍部だからな。

旧軍の話ですが、彼等は悪いことでも戦闘(戦争)に利用できそうなことは何でも奨励していたのです。
勝負の結果(勝ち)だけに関心があり、それ以外(品格?)なんかは何の価値観も見いだしていなかった。
例えば軍隊内の泥棒は見つからなければ良い事として奨励されていて、厳しく罰せられたのは被害者の方だったのです。
しかし、周りの他の兵士から盗めばその結果がどうなるかが判っているので私の父は盗まなかった(自分の主義が邪魔して盗めなかった)。結果、毎度毎度凄まじい凄惨な制裁が行われることになる。

そして旧軍はマリーシアのオンパレードだったのです。
勝つためには何でも有りで許されるが、其の反対に正直に規則を守って負ければ厳しい制裁がまっている。
マリーシアの意味の『反則ぎりぎり』どころか、『反則そのもの』までも奨励していたのです。
軍隊内での銃剣術の稽古では敗者には理由のいかんを問わず苛酷な制裁が課せられる。
旧軍のこの体質を知り抜いていた私の父親は『はじめ』の号令がかかる前に攻撃して油断している(規則を守っている)相手に連戦連勝する。
何しろ亀田の弟ばりに銃剣術の規則にない投げ技や足技や拳闘など反則なら『何でも有り』。これを叱るどころか上官は『敢闘精神が有る』として褒め称えていた。
日本のやった戦争は日清戦争でも日露戦争でも対中戦争でも対米戦争でも全てが(マリーシア的な)宣戦布告前の奇襲攻撃で始まっています。

旧軍の常識は間違いで、たしかに短期戦では戦場の勝敗が絶対的な価値観だが、何年にもわたる長期の全面戦争では『戦争の大儀』(戦を行うための正義のスローガン)こそが勝敗を決定するの最大の要素であった。


諸悪の根源の「天皇」の首を日本人が取って、日本人の国を取り戻せるのだろうか・・

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

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