大地にしっかりと根を張って。


同感。

インテリや金持ちは、根が無い・・だから自民党を支持し・天皇を崇拝して、日本人の切り売りなど平気でできるのですよね・・。


上記文抜粋
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それは流派や理論に対する信仰であり、先生や医学書の言葉を絶対的に捉える、いわゆるパリサイ人の出現です。パリサイ人とはマタイの福音書にある、聖書の言葉だけを守り自分が神様に一番近いと思っている人のことです。そこではイエス・キリストは言葉ではなく、ものごとの本質や真髄をつかむ大切さを説いています。(そういえば荘子も忘筌の喩えで同じことを言っていましたね)

古方派医学は理論的な朱子学にもとづいている後世方派医学への反動として生まれたと言われています。しかし直接的には古方派は後世方派の中にパリサイ人が増えてきたことにより生まれたのかもしれません。そして歴史はくり返されるようですね。

それはさて置き、古方派により、後世方派の理論とともにそれが生まれるもとになった数多くの経験が捨てられて、しかもそれが日本の医学の主流になってしまいました。この時代において、個人を越えた経験の集積と理論の形成、そして修正、という流れが途切れてしまったことは残念なことです。

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抜粋おわり

個人を越えた経験の集積と理論の形成、そして修正、という流れ

それを、どうも日本人は、確信しても無いし信じても無い。

すさまじい「他者不信」のエゴイズムも感じる。

どうもこれも「通俗道徳~自己責任論」の影響も感じるし、同時に朱子学的厳格主義による「エゴイズムのある種の正当化」~弱者切り捨ての賛美{でも左伝では「君子が弱者や卑賎を虐待しないのは、天を畏れるから」とあるが。それは無視なのが「朱子学厳格主義派」}と「社会蔑視の肯定」も大きいのでしょうな。

まあ、私は、儒学も一応擁護するけど、朱子学は好きではないし、老荘や仏教の方が「個人の救済」としたら遥かに有効って思ってますのでね。

日本でも現代インドでも仏教を支えてるのは、ごく普通の民衆です。「あっちのスーパーならちょっと安い」と家計を遣り繰りした中から、寺や坊さんに御布施してくれてるんです。

今の、祈祷系の坊さんの言う経済的負担は、重たすぎると思うことが多いのでね・・・

普通に「働いて結婚して」ってのができないから、先祖供養~ていうのに「働いて、結婚して、それが先祖供養」とか言われたら、もう無理だしな・・・

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように

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