恋愛は一時。結婚とその生活は、一生に近い。


より

上記文抜粋
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牛窪恵「恋愛結婚で苦労した母を見て育った。〈結婚には恋愛が必要〉はわずか60年の歴史の結婚観。老後のために共同生活者を作ろう」

時代の空気を鋭く分析する著書を通じて、「おひとりさま」や「草食系男子」などの言葉を世に広めた、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん。昨年、出版した新著『恋愛結婚の終焉』では、現在の未婚化・少子化の最たる原因は「恋愛結婚至上主義」だと訴えている。現在、50代以上の世代にとっては当たり前だった「結婚」=「恋愛結婚」という概念が、なぜ未婚化・少子化の原因となっているのか。その理由を伺いつつ、牛窪さん自身の結婚観についても語っていただいた。(構成◎内山靖子)


「恋愛と結婚は別物」の時代
私を含め、現在、50代以上の人たちは、ほとんどが「恋愛結婚があたりまえ」の時代に育った世代です。好きになった相手と恋愛やデートをして、その先に結婚というゴールを迎え、愛の結晶として子どもが生まれる――それが高度経済成長期やバブル期に青春時代を過ごした人たちの一般的な結婚観だったと思います。

ところが、今、39歳以下の若い世代は「結婚」に求めるものと「恋愛」に求めるものがまったく違う。国立社会保障・人口問題研究所の調査によれば、いまや男性の半数近くが妻となる女性に「経済力」を求め、女性の9割以上が夫となる男性に「家事・育児の能力や姿勢」を求めているという結果が出ています。結婚後も共働きの家庭が一般的になったいま、結婚前から現実的に考えるのは当然のことでしょう。

その一方で、恋愛相手に対しては、男性は女性に相変わらず「女らしさ」を求め、女性は男性に「男らしさ」を求めています。つまり、結婚相手と恋愛相手に求めているものが正反対。その矛盾に気づいた20、30代の間で、「恋愛と結婚は別物」と考えるケースが増えているのです。
イメージ上の恋愛と現実の恋愛とのギャップも大きい。イメージでは「恋愛は全身全霊の情熱をかける素晴らしいもの」と、親世代よりもはるかに大きなファンタジーを感じている。でも現実の恋愛では、別れた相手がストーカーに豹変したり、交際中のやり取りや画像、動画をバラまかれたり、といった事件をSNSで頻繁に目にするようになり、若いうちから「恋愛は重い」「面倒」と負の側面を知るようになりました。

恋愛感情は3年程度で冷める
実は脳科学的にも、ドーパミンが多く放出される興奮系の恋愛と、セロトニンやオキシトシンが放出される癒し系の結婚は、「混ぜるな危険」だと分かってきました。ドーパミンは脳にストレスがかかりすぎるからこそ、長続きしないようにできている。人類学者のヘレン・フィッシャー氏は、「恋愛感情は3年程度で冷める」ことを、脳科学的に立証しました。

そこまで分かってきたにも関わらず、世の中には「結婚するには恋愛が必要」という価値観がいまだにはびこっています。いまどきの若者にとって、それではハードルが高すぎる。恋愛のストレスや「重さ」を知る彼らにとって、しかも恋愛シミュレーションゲームなど代替コンテンツが豊富な現代にあって、現実の恋愛に、リスクを顧みず自ら飛び込んでいくのは非常に面倒くさいし怖いこと。

でも、その恋愛というハードルを乗り越えないと結婚はできないと思っているので、恋愛力や恋愛意欲の低い自分には無理だと、多くが諦めてしまうのです。

内閣府や国の第三者機関が実施した調査によれば「いずれは結婚したい」と答える若者は8割以上もいるのに、20~39歳の未婚男女で「一度も誰とも交際したことがない」人が、女性の約4人に1人、男性では約4割にも達しています。ただでさえ経済的に苦しいうえに、結婚の前に恋愛という大きな壁が立ちはだかっているせいで未婚化が進んでしまう。さらに、日本では籍を入れずに子どもを産む女性(いわゆる婚外子)が少ないので、婚姻率が下がることで、少子化もどんどん進んでいるのだと言えるでしょう。

変わるべきは大人世代
私は決して、「結婚しないと幸せになれない」と考えているわけではありません。私の親は熟年離婚しましたし、それぞれの人生ですから、生涯「おひとりさま」でもその人が幸せならまったく問題ない。でも、潜在意識の中では8割以上の若者が「結婚したい」と思っているにも関わらず、実際に結婚に至らないのは、実にもったいない話だと思います。

そんな若者たちが、もっと気軽に結婚できる社会を作っていくためには、まずは私たち大人が結婚観をアップデートする必要があるのです。昭和から令和へ、時代の流れとともに世の中のスタイルや価値観も劇的に変わっているわけですから、令和の時代にマッチした結婚のあり方を親世代も知っておかねばなりません。

私が考える、令和にふさわしい結婚の形は「共創結婚」です。ドキドキするような大恋愛を経て、理想に燃えて結婚するのではなく、「子どもを育てる」「地に足がついた暮らしを創り上げていく」という目的を達成していくための「共同生活者」としてふさわしいパートナーを選び、日々の暮らしを共に地道に創造していく、合理的なスタイルです。すでに実践しているカップルもいますが、その一例として、セックスを(排卵日以外は)ほとんどせず、男女というより人対人として友情を育む「友達結婚」というスタイルも、これから増えていくでしょう。平日は別々に暮らして、週末だけ一緒に過ごすような「別居婚」が理想という若者も少なくありません。

そもそも、「結婚には恋愛が必要」という概念は昭和の高度経済成長期以降に広まった、たかだか60年程度の歴史しかない結婚観です。それまでは、お見合い結婚や職場の上司、親戚や近所の人の紹介で、つまり誰かに後押しされて異性と出会い、結婚に至るのが一般的でした。それなのに、2000年代に入ると「自己責任」論が言われ、「勝手に恋愛して、結婚相手を探していいよ」「その代わり、自己責任だよ」と放っておかれているのです。それならば、親世代も未婚者たちに「まだ結婚しないの?」など暗黙のプレッシャーをかけることなく、「最初から完璧な相手じゃなくても、共に少しずつ成長(共創)できる相手を探せばいいんだよ」「無理に恋愛しなくても、友達結婚もアリだよね」など、結婚の多様化に向けて舵を切って欲しい。変わるべきは私たち大人のほうなのです。

恋愛結婚で苦労した母を見て

かく言う私は1968年生まれのバブル世代。幼い頃から抱いてきた自分自身の結婚観を振り返っても、育った時代の影響をかなり強く受けていると思います。結婚を機に、歌手の山口百恵さんが潔く芸能界を引退したのが小学校6年生(1980年)のとき。「純愛を貫いて結婚するって素敵!」と憧れて、当時相思相愛だった男の子と結婚を誓い合い、小学校の卒業文集に「18歳で結婚する」と書いたくらいです。(笑)

その一方で、父と恋愛結婚した母の苦労もずっと間近で見ながら過ごしてきました。母は厳格な海軍大佐の娘として生まれたので、母の両親はしかるべき家柄の方とお見合い結婚させようと考えていたようです。その反対を押し切って、母は大学時代からつきあっていた自由奔放な父と恋愛結婚をしたのですが、両親が「テレビ局に入社する男性なんて(軽い)」と危惧した通り、父は結婚当初から、女優さんらとずっと浮気を繰り返していたんです。プロデューサーという仕事柄、しかも昭和の時代、「男は浮気するのが当たり前」という風潮もありましたから。

それだけでも辛かったのに、「結婚したら、ずっと家にいろ」という父の意向で、母は入社した会社(現在のリクルート)を辞めざるを得なくなってしまった。母は4年制大卒として初めてリクルートが採用した女性社員だったようです。自身のアイデンティティを求めて仕事を完全には捨てたくなかった母は、父に内緒で、家でこっそり添削の仕事をしていました。そんな姿を見るにつけ、いくら大恋愛をして結婚しても、理解し合える相手とでなければ結婚後に大変な思いをする、とつくづく痛感させられました。

結局、私が大学に入学するのを待って、母は父と熟年離婚。母は50代で産業カウンセラーの資格をとって自立し、父は24歳も年下の女性と再婚しました。父は決して悪い人ではないのですが、恋愛や性の誘惑(ドーパミン系の刺激)に弱いゆえに、癒し系の結婚には向いていなかった。平穏な日常生活を共に過ごすにはやはり不向きな相手だったのでしょう。

結婚式の3ヵ月前にドタキャン
「恋愛結婚って素敵」「でも恋愛結婚は、後(結婚生活)が大変」――そんなアンビバレントな価値観を抱きながら大人になった私には、実は結婚式の3ヵ月前にドタキャンしたという黒歴史があります。(笑)

当時、私は28歳。仕事のイベントを通じて知り合った、かなりイケメンな男性とおつきあいをして結婚することを決めたのですが、結婚式の3ヵ月前に、彼が私に黙って仕事を辞めてしまった。その事実を知ったとき、「この人とは、たぶん生活していけない」って。

見た目も性格もいい人だったのですが、混迷の時代を生きる生命力や生活力、なにより私との信頼関係が築けなかったところに不安を感じ、結婚をキャンセルしました。式の招待状をポストに投函する直前でした。

このとき、改めて身に沁みたのです。結婚は山あり谷ありの「生活」であり、苦しいときには両者の「信頼」を築けなければやっていけないと。彼はよくも悪くもカッコつけで、私に弱みを見せたくなかったのでしょう。半面、冷静に考えれば、会社を辞めていたことが結婚後に分かれば、私や周囲から「なぜもっと早く言わないの?」と大きなトラブルになることは分かるはず。それなのに、彼は未来よりもいま、波風立てずに現実から目を背けることを選んだ。そんな彼との結婚生活は、たぶんうまくいかないだろうなと、直観的に感じたのです。

恋愛力に欠ける夫と30歳で結婚
その後、紆余曲折の末、今の夫と結婚したのが30歳のとき。実は、理系の夫は恋愛力がゼロに近いタイプで、長年、友達ではあったものの、恋愛相手として意識したことはほとんどありませんでした。

ところが、28歳で私がストーカー被害に遭い、仕事もすべて失い、心身ともに疲弊していたときに、私を全力で守って支えてくれたのが彼でした。当時、神戸の会社に勤めていた関西人の夫は、週末ごとに深夜バスで上京し、弁護士事務所に付き添ってくれたり、精神的に不安定になって泣いてばかりいる私に「落ちついて、冷静に考えなきゃダメだ」と適切なアドバイスもしてくれたりしました。そんな彼を見て、私自身「辛い現実にも、冷静に向き合える人なんだな」と尊敬しましたし、周りの友人や知人にも「こんなにいい人はいないよ」と言い含められて。その中にひとり、いい意味でおせっかいなおじさまがいて、「これから君たちはどうするんだ? 結婚するなら早いほうがいいよ」と後押ししてくれました。そのとき、たまたま一緒にお茶を飲んでいたのが、私が以前から「いつかここで結婚式をあげたい」と話していたホテルのラウンジだったのです。そのおじさまは中座して戻ってくると、「いま式場に行って、空いている日にちをチェックしてきた」と。(笑)その流れで、結婚式の日取りが決まったんですよ。

夫の場合、恋愛力は低い半面、生活力や問題解決能力はずば抜けて高い。料理はあまり得意じゃないのですが、後片付けは彼が率先してやっています。驚くほど記憶力がいいので、細かなゴミの分別や集積所に出す日にちも完璧に覚えています。洗剤も「もうすぐどれがなくなりそう」と、きちんと把握しているので、「洗濯用の洗剤がない!」って私が慌てても、「買ってあるよ~」と準備万端。何より、私がストーカーに遭い、仕事もすべて失ったときに「君の才能は、僕が一生かけて証明する!」と声を絞り出してプロポーズしてくれた人です。その言葉通り、夫は自分の仕事が忙しい時期でも20年間以上、妻である私の仕事をサポートしてくれています。夫のご両親は共働きだったので、お母さんが働く姿を見て育ったのも大きいかなと思います。

ちなみに、私の父は長男、しかも男尊女卑の風潮が強い土地柄に生まれ育ったので、母にも常に上から目線で接していました。そのためか、「妻は夫を立てるもの」という古い価値観が私のどこかに刷り込まれているようです。自著の中では、「これからは、経済的にもっと女性が男性をリードする社会になってもいいんじゃないか」と書いているにも関わらず、心の中ではなかなかそこまで吹っ切れない。やはり親の生き様や育った環境は、子の結婚観にも大きく影響するのではないでしょうか。

今、夫にはほとんど不満がないのですが、唯一問題なのが、彼が太ったせいでイビキがひどいこと。(笑)毎晩、ゴジラのようなイビキをかくので、結婚して2年目からは「夫婦別寝室」です。一緒に旅行に出かけても、2部屋とって寝室を別にしないと、私は一睡もできないんですよ。

生活防衛のための人脈作りを
夫との暮らしで1番楽しいのは、たわいない話をしながら一緒に食事をしているときですね。テレビのニュースを見ながら、「なんなの?あの政治家は!」と憤慨したり、「今日は、仕事でこんなことがあった」との報告やグチを言い合ったり。もともと私は大の寂しがり屋なので、ひとり暮らしが苦手だったんです。私も夫も阪神ファンなので、タイガース戦をテレビや球場で一緒に見て応援できる利点もあります。ただ、私は興奮するとヤジを飛ばすので、球場で夫に注意されることも多いんですが。

いまの時代、必ずしも「結婚」という形(婚姻届)にこだわる必要はないでしょう。ただ、トシをとればとるほど、老親の介護など、自分だけでは背負いきれない問題が増えてくる。家事や住まいのメンテナンスなども、自分ひとりだけで行うのは次第にしんどくなってきます。そんなとき、一緒に問題解決してくれる「共同生活者」がいれば生活防衛にもつながります。  

結婚は大きな賭けですが、柔軟に相手を受け止め、互いに軌道修正し合えれば、大きなヒビが入るリスクは減らせます。大切なのは、素の自分をさらして建設的に本音を言い合える相手かどうかではないでしょうか。もっとも、その見極めが難しいからこそ「まずは結婚せず、同棲してみよう」と考え、結局は別れに至る若者も一定数いるのだと思いますが。

いずれにせよ、女性は男性より平均寿命が6~7年長いので、今、結婚している方でも、夫に先立たれて「おひとりさま」になる確率が圧倒的に高い。75歳までに亡くなる女性は1割程度ですが、男性では4人に1人(女性の約2.5倍)もいるからです。そんな女性も、頼りになる友人や知人が近くにいれば安心。ある時期から近所に住むなどして、お互いに助け合える人脈作りを早めに心がけておいた方がいいでしょう。

子育てという夫婦共通のタスクを終えた後、50代、60代で熟年離婚をしたり、卒婚という道を選んだりする人(おもに女性)も増えています。「人生のセカンドステージ」を幸せに歩むための決断ですから、周囲がとやかく言う問題ではありません。ただ、ひとりに戻った際に、いざというときに頼れる人脈を作っておくことは重要です。人はひとりでは生きられない――そう考えると、結婚というシステムも意外と悪くないのではないかと思います。

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抜粋終わり

そういえば・・・

これも

上記文抜粋
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恋愛と結婚は水と油

──新著『恋愛結婚の終焉』でも、そうした恋愛幻想(一例がロマンティック・ラブ・イデオロギー)が日本の未婚化の大きな要因になっている点が指摘されています。改めて執筆動機を教えてください。

 未婚化・少子化が進む中、「結婚には恋愛力が必要」という考えはもう古いと、きっぱりと言い切るべきだと思ったのです。15年刊行の『恋愛しない若者たち』では若者の恋愛離れを取り上げましたが、同書の企画・プロデュースを担当してくれたディスカヴァー・トゥウェンティワン代表(当時)の干場弓子さんとも「恋愛離れが進めば結婚も減るのは当然。次は未婚化・少子化問題についての本を」という話をしていました。

恋愛・結婚・出産を「三位一体」と考えるロマンティック・ラブ・イデオロギーは、18〜19世紀にヨーロッパ社会で生まれ、日本でも常識と見られています。ですが日本に定着したのは、実際には高度経済成長期以降、つまり半世紀程度の歴史しかなく、欧米ではどんどん陰を潜めています。恋愛結婚の社会規範化の影響を強く受けた50〜60代の親世代・上司世代(私と同世代)は、「今の若い子たちは覇気がない」「恋愛もできないなんて」といったことを平気で言いますが、時代は変わりました。SNSで次々と恋愛リスクが露呈し、厳しい経済状況も続く中で、恋愛を高リスク、高コストと考える若者が決して少なくない。彼らに、結婚に恋愛力は必須ではないと、その重荷を下ろす新たな価値観に気付いてもらうことこそが、現状の好転につながると考えています。

 また、国立社会保障・人口問題研究所の21年の調査によると、結婚相手に求める条件として、男性は女性に「経済力」を求める人が48%(「重視+考慮する」の合計)、女性は男性に「家事・育児の能力や姿勢」を求める人が97%(同)。つまり、恋愛となると「壁ドン」してくれる力強い男性がいい、飲み会でサラダを取り分けてくれるような女性がいいなど、男(女)らしさを想起しながら、結婚相手にはそうした昭和の”女子(男子)力”とは真逆ともいえる条件を求めています。脳科学的にも、恋愛好きな人は、刺激や新規性に関心が高く、結婚後も新たな相手に引かれやすいなど、安定した結婚生活には向かないケースも多い。逆もしかりで、恋愛と結婚は水と油のように別種の物であり、この乖離(かいり)が根本的に結婚を難しくさせている可能性が高いのです。

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抜粋終わり

>脳科学的にも、恋愛好きな人は、刺激や新規性に関心が高く、結婚後も新たな相手に引かれやすいなど、安定した結婚生活には向かないケースも多い。逆もしかりで、恋愛と結婚は水と油のように別種の物であり、この乖離(かいり)が根本的に結婚を難しくさせている可能性が高いのです。

然り・・・・

恋愛・・・一時の人間関係

結婚・・・長期の人間関係

合致するところもあるが

https://arukanatikait.com/未だ与に權るべからず|「論語」子罕第九30-5480.html

「孔先生がおっしゃった、
一緒に学ぶことはできるが、未だに一緒に徳性を重ねながら正しい道へ向かう人はいない。
一緒に徳性を重ねながら正しい道へ向かう人はいるが、未だに一緒に成し遂げる人はいない。
一緒に成し遂げようとする人はいても、未だに一緒に臨機応変に処置をできる人はいない。」

子曰わく、与に共に学ぶべし、未だ与に道に適くべからず。与に道に適くべし、未だ与に立つべからず。与に立つべし、未だ与に権るべからず。

結婚生活が破綻した孔子に言われても・・・だけど、言っていることは正しい。

「恋愛結婚至上」の今の日本のありようでは

最良の伴侶は、ホストとホステスってなる。

かの商売を低く見積もるつもりはないが、それで多くのカップルが破綻しているような現状に思う。

てなもんで。

何処に書いたか忘れたが、

銀英伝のラインハルトとヒルダの関係も、恋愛っていうよりも友愛なり信頼が強い関係に思う。



作家の五木寛之氏が「恋は恋愛、結婚は友愛」とか言ってたそうだが、そのようだし。


まあ、経済力の無い私には無縁の話ですが、結構社会的には重要なことに思えます。


余談。

ヒルダも結構な「共感能力」があったと思う。

ただ、キルヒアイスほど長い間の修羅場もともに潜った中では無かったので、一足飛びに「共感の神」にはなれなかった。


時間があれば「いい夫婦」になれただろうけどラインハルトが「命数」を使い果たしたのでね・・



これに ラインハルトとヒルダは近いところがある。

時間と信頼・・て重要でしょうよね・・・・・・



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