そりゃ、おかしくなるは。

より

上記文抜粋
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じつは「日本だけ」だった…海外とあまりに違う「日本の職場の特徴」が意外だった
『日本社会のしくみ』

「日本社会のしくみ」は、現代では、大きな閉塞感を生んでいる。女性や外国人に対する閉鎖性、「地方」や非正規雇用との格差などばかりではない。転職のしにくさ、高度人材獲得の困難、長時間労働のわりに生産性が低いこと、ワークライフバランスの悪さなど、多くの問題が指摘されている。

しかし、それに対する改革がなんども叫ばれているのに、なかなか変わっていかない。それはなぜなのか。そもそもこういう「社会のしくみ」は、どんな経緯でできあがってきたのか。この問題を探究することは、日本経済がピークだった時代から約30年が過ぎたいま、あらためて重要なことだろう。

*本記事は小熊英二『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。

個室と大部屋

日本の特徴は、オフィスの形にも表れる。職務を定めてそれを請け負う雇用だと、企業という場に集まってはいても、各自が個室かコンパートメントで各自の職務をこなす。最近は回遊性を高めたオフィスや、間仕切りだけのコンパートメントも増えたが、基本は個室型である。それに対し、日本は大部屋で共同作業だ。

これはどうも、日本だけの特徴であるようだ。二〇一七年にある労働組織論の研究者は、こう述べている。「私は欧米をはじめ各国で企業のオフィスを見てきたが、大部屋で仕切りがなく、上司や同僚と顔を突き合わせて仕事をしているのは日本だけだ」。

この「大部屋」は、日本の官庁の特徴でもある。フランスの国立行政学院(ENA)から研修で来日したキャリーヌ・クラウスは、二〇〇四年に日本の官庁についてこう述べている。「驚いたことはいくつもありますが、先ず直接目にした驚き、それは役所の執務室の配置でした。フランスではほとんどの公務員は自分たちの個室を持っていますが、日本の公務員は皆同じ部屋で働いています」。

官僚制については、フランスやドイツのような大陸ヨーロッパ型と、アメリカ型では違いがある。とはいえ日本に比較的近い大陸ヨーロッパ型でも、大部屋で働いてはいない。またドイツやフランス、あるいはイギリスやアメリカの官僚制でも、定期人事異動や新卒一括採用というものはなく、欠員ができたときに部内か部外から公募する形式だ。

行政学者の大森彌は、この「大部屋主義」が、日本の行政の特徴を表しているという。

他国の官庁では、職務の内容を定め、それにふさわしい専門能力や学位を持つ人を欠員募集する。そうなると、各人の権限と責任の範囲が明確になるし、与えられた職務内容に即して評価することができる。

ところが日本の官庁では、試験で一般的な能力を試して採用したあと、職場に配置して仕事を覚えさせる。しかも大部屋での共同作業に表れているように、職務内容の境界が不明確で、権限や責任の範囲も不明確になりやすい。だから評価も、職務のパフォーマンスよりは、「人物」とか「人柄」に傾斜しやすい。

大森によれば、欧米その他の官庁では、まず職務があり、それに即した人を雇う。それに対し日本では、まず人を雇い、それに対して職務をあてがう。大森はこれを「初めに職務ありき」と「初めに職員ありき」の違いとして論じている。

行政学者の新藤宗幸は、このことが、日本で行政指導による業界と官庁の癒着がおきやすい一因だとしている。

行政指導とは、法律にもとづく正式な行政命令ではなく、官庁の「アドバイス」である。こういうものがあるのは、権限と責任の範囲が不明確だからだ。しかも省庁の「課」が全体として業界と癒着し、誰が責任者なのかもわかりにくい。それぞれの権限が明確であれば、特定の官吏が彼の権限のなかで汚職することはあっても、「課」が全体として業界と癒着する形にはなりにくいし、課内の動向が公文書で残り責任を問いやすい。

社会学者のマックス・ウェーバーは、官僚制の特徴は専門化であり、これは近代化の特徴でもあると論じた。彼が官僚の典型的人間像だとした「専門人」は、ドイツ語ではFach-menschである。Fachとは、「専門」とか「個室」といった意味だ。

つまりウェーバーの考える官僚制とは、個々の職務を個室でこなしている専門家たちの分業体制である。これが近代の特徴だと考えるなら、日本の官僚制は、あまり近代的ではないのかもしれない。

だが本書の文脈で重要なのは、以下のことだ。「初めに職務ありき」の社会では、まず職務があり、それに即した人を雇う。しかし「初めに職員ありき」の社会では、まず人を雇い、その人に職務をあてがう。この違いが働き方や教育、採用や人事にまで影響しているのだ。

そしてじつは、大森が官庁で行なった類型化と同じことを、日本の雇用を論じる人々も異口同音に指摘している。その代表的な論者である濱口桂一郎は、日本の雇用形態を「メンバーシップ型」、欧米その他を「ジョブ型」と名づけて、次頁の図2―4のように類型化している。

「初めに人ありき」のしくみは、定期人事異動や新卒一括採用、大部屋のオフィスと一体だ。日本の官庁や企業は、大量の大学新卒者を定期的に採用し、組織内に配置する。そうなると、既存の職員はどこかに押し出されるので、大規模な定期人事異動が必要になる。未経験の新しい職務に配置されたら、右も左もわからないことが多いが、大部屋で働いている隣の人が教えてくれるだろう。

このあり方では、職務で賃金を決めることはできない。第6章で述べるが、敗戦直後に、アメリカ占領軍が職務給を奨励したことがあった。しかし当時の労働省の労働統計調査局長だった金子美雄は、部下の楠田丘にこう言ったという。

〔日本では〕何々株式会社社員を採用して、そのあとで君は営業に、君は経理に、今日はこれをやってくれと、仕事はその都度組織の都合で決められるんだから、仕事で賃金を決められたら、異動するたびに賃金が上がったり下がったりする。上がるならいいけれど下がったら、君、どうするんだ。その人間はもうやる気を起こさないだろう。だから、仕事で決める賃金は日本には無理だよ。〔日本に向いているのは〕その人の価値で決める賃金だ。

そこで楠田が「じゃあ、人間の価値はどうやって決めるんですか」といったら、「それはこれからの労働省の大きな課題だ」と金子は答えたという。とはいえ第4章以下で述べるように、学歴や勤続年数、あるいは「人物」で判定することになりやすかった。この「初めに人ありき」の原理は、官庁においても、企業においても、日本の特徴なのだ。

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抜粋終わり

「初めに職務ありき」の社会では、まず職務があり、それに即した人を雇う。しかし「初めに職員ありき」の社会では、まず人を雇い、その人に職務をあてがう。この違いが働き方や教育、採用や人事にまで影響しているのだ。

荀彧だったか、諸葛孔明だったか・・・・・・・・・・。


荀彧 三国志9


諸葛亮 三国志9

「人をもって職を決めず、職をもって人を決める」

もう1000年以上前からの話。

で、1000年以上遅れている日本が、衰亡し滅亡するのは、必然な話である。

人をもって職を決める・・のは、権威主義の典型だよね。

たとえば「偉い人の子弟を、コネで雇って、それのために職を決める」ってのが、日常運用だから、当然、やる気のある人の士気が下がり、組織の運営の支障が出る。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように


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