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チッソというのはもう一人の自分だった

□要約

 愛という言葉はなんとなく、わたくしどもの風土から出て来た感じがしませず、翻訳くさくて使いにくいのでございますが、情愛と申した方がしっくりいたします。そのような情愛をほとんど無意識なほどに深く一人の人間にかけて、相手が三つ四つの子供に対して注ぐのも煩悩じゃと。人間だけでなく、木や花や犬や猫にも、煩悩の深い人じゃと肯定的にいうのです。これはどういう世界なのかと常々わたしは思います。

「名残りの世」『親鸞——不知火よりのことづて』

 仏教では繰り返し末世の到来を説きながらきたわけですが、わたしたちは煩悩——若い人には煩悩という言葉は聞き慣れないかとも思います。非常にもどかしくて言い得ないのですが、狩野芳崖が描きました悲母観音の図、神秘的な、東洋の魂のもっとも深い世界を、日本人の宗教意識のもっとも奥のところを描ききった名作だと思いますけれど、わたしが申しますときの煩悩の世界とは、あの絵のような世界を思い浮かべております。

同前

『苦界浄土』の世界は悲母観音の世界。人が悲しめば悲しむほど、仏が近くなってくる。人が苦しめば苦しむほど、それを支えてくれる大いなる力が現れる。それが、石牟礼が大いなるものとの間に見出している実感。

□本

『100分de名著 石牟礼道子 苦界浄土 悲しみのなかの真実』
若松英輔 NHK出版 2019年

目次
はじめに
第1回 小さきものに宿る魂の言葉
第2回 近代の闇、彼方の光源
第3回 いのちと歴史
第4回 終わりなき問い
*第4回から構成

□景色

 患者さんの杉本栄子さんと緒方正人さんからいろいろうかがううちに、あるとき「私はもうチッソを許します」というお言葉が出てきました。私はハッとして「それはどういう意味でしょうか」と申し上げましたら、「いままで仇ばとらんばと思って来たけれども、人を憎むということは、体にも心にもようない。私たちは助からない病人で、これまでいろいろいじわるをされたり、差別をされたり、さんざん辱められてきた。それで許しますというふうに考えれば、このうえ人を憎むという苦しみが少しでもとれるんじゃないか。それで全部引き受けます、私たちが」と。水俣病になったことも、途中の経過がいろいろございましたけれども、そういうのをチッソのせいでとか、あの人たちのせいで苦しまなきゃならないということを、その一番苦しみの深いところを、そっくり私たちが引き受けます、と。「許す代わりに、水俣病を全部私たちが背負うていきます」

『花の億土へ』

 この40年の暮らしの中で、私自身が車を買い求め、運転するようになり、家にはテレビがあり、冷蔵庫があり、そして仕事ではプラスチックの船に乗っているわけです。いわばチッソのような化学工場が作った材料で作られたモノが、家の中にもたくさんあるわけです。水道のパイプに使われている塩化ビニールの大半は、当時チッソが作っていました。最近では液晶にしてもそうですけれども、私たちはまさに今、チッソ的な社会のなかにいると思うんです。ですから、水俣病事件に限定すればチッソという会社に責任がありますけれども、時代の中ではすでに私たちも「もう一人のチッソ」なのです。「近代化」とか「豊かさ」を求めたこの社会は、私たち自身ではなかったのか。自らの呪縛を解き、そこからいかに脱していくのかということが、大きな問いとしてあるように思います。

緒方正人『チッソは私であった』

責任を追求している間は恐ろしくないんですね。攻めるだけだから。ところが、逆転を想像するだけで、立場がぐらぐらとするわけです。それまでの前提が崩れるわけですから。チッソの中にいたとしたらと自分を仮定してみると、自分が実は大きくぐらついて答えがない。絶対同じことをしていないという根拠がない。そこにさらされると狂いに狂って、これはもう一人の自分をそこに見るわけですね。ですからそういう意味では十年前から、チッソというのはもう一人の自分だったと思っているわけです。

同前

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