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「根性」でフルマラソン完走した話

みなさん、こんにちは!

僕は23歳のしがないフリーターの男です。

大学卒業後、大学院を1週間で辞め、翌年に入社した会社を5か月で辞めた、なにも続かない男です。

いまはこんなに明るくふるまってますが、ちょっと前まで人に言ったら引いてまうくらい、メンタルが崩壊していた男です。

そんな私ですが、先日行われた北海道稚内市の「第6回わっかない平和マラソン2023」に出場し、初フルマラソンにて、完走することができました!

練習はメンタルを壊していたこともあってほぼやってません。
たまに10分外で走るくらいです。ほんまに。

大会前日まで、正直、走り切ろうとは考えてませんでした。
何キロまで行ったら、リタイヤしようか。そんなことばかり考えてました。

ですが、大会当日、稚内市のスタート地点に立った時、稚内市の景色に感動してしまいました。

雲一つない澄み切った青空、どこまでも続く広大な大地、そして、広い海。

会場には大勢のランナーたちがノリノリで爆音のBGMの中、「いざ走らん」とばかりに皆それぞれ準備体操やアップを行ってました。
その光景を見た瞬間、僕の中の迷いや葛藤が消え去りました。ほんまに。
人間って環境で意思や行動が変わるもんだなと、冷静に実感。笑


まあもちろん、練習などしてこなかった人間がそうすんなり走れるかといわれると答えはNO。10km地点で右足に違和感。20km地点で股関節に痛み。25km地点で「ギブアップしたい」と悪魔の声が。スタート地点での威勢はどこ行ったといわんばかりのやられっぷり。でもマラソン走ったことある方ならわかると思いますが、ま~じできつい。肉体・精神、この両方がうす~く徐々に削り取られていく感覚、かつお節のように。

じゃあ、なんで完走できたのか。なにが自分をそこまで突き動かしたのか。

それは、
・過去の弱い自分にケリ着けたいから。
・走り切ることで自分に自信がつくから。
・「フルマラソン完走」という響きがかっこいいから。

それだけでした。
レース途中、足を動かそうにも全く動かず、脳が走るのをやめようと命令を出しているのがわかるくらい、42.195kmは本当に未知の距離感でした。

しかし!ここでこのままリタイヤして後から来る輸送車に乗ってゴール地点まで運ばれる自分を想像したら情けないことこの上なし!逆に怖いくらい。またあのころに戻るのかと。
そんな訳にはいかない。負けてたまるかと!

そこからは己の根性を振り絞り、腕を動かし、足を動かし、ゴール地点を目指しました。

マラソンは制限時間があり、その制限時間内に関門を突破しないと、途中で強制離脱させられてしまうルールらしいです。

だから、ゆっくり歩きすぎてもだめ。走ると足が痛い。走りつつ、歩く。上手く自分の痛みと闘いながらも一歩一歩進みました。
途中メンタルがやられることもありましたが、「この一歩を積み重ねれば絶対にゴールに辿り着ける」そう自分を鼓舞してました。
実際にそうなんですよね。数センチでも前に進めばその分ゴールへの距離も縮む。そんな当たり前のことですが、それすらに感動してしまい、その事実がボロボロに疲弊した私を前へ前へ突き動かしてました。

あとは、沿道で応援してくださる地域の方々の存在。これがまじででかい。おばあちゃんやおじいちゃん、地元の小学生や中学生。普段は接点のない彼ら彼女らですが、このマラソンで前を通過することになるご縁にすら感動・感謝を覚えてしまい(感受性豊かすぎw)、ゼロになりかけていた僕の体力を回復させてくれたように感じました。

そんなこんなで走り切り、見事制限時間6時間以内で走り切ることができました!走り切った直後、辛さ、痛みより、「自分にもできた!」と心の底から喜びとうれしさの感情が湧き上がってきました。本当にうれしかった。ここ数年、何かに挑戦しては、負け、挫折し、自分への自信を失っていたから。じぶんにとって本当に大きな成功体験となった。

本気の本気の根性さえあれば、恐怖に打ち勝ち、弱い自分に打ち勝ち、動かない身体を動かし、前に進むことだってできる。世界は根性で変えられる。

学びとしては、

人間は変わることができる生き物。

「根性で」フルマラソンは走り切れる。(代償は重い)


レース後、体の状態が極端に変わりました。
右足が痛すぎて歩けない。足を上げると股関節の痛み、おろすとふくらはぎ外側の痛み。

翌日撮った写真。日焼けしすぎてやけどになった。
シャワーがとにかく痛い。

この2日後に、iPhoneサイズの水ぶくれができあがり、その1週間後に脚全体の脱皮が始まりましたがそれはまた別のお話。
そして、マラソンが終わった1週間後にベトナムに一人旅に行くのでした。(無計画すぎる)


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