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アトリエが始まるまでの話②

Mはいつもまわりの目を気にしていて、なにをするにも自信がなく、小グループの話し合いでも友達と遊ぶ時でも「なんでもいい」「それでいい」と自分の意見を飲み込むところがあった。「無理」「できないからしない」もよく言っていた言葉だ。少し離れた姉がいろいろとできるようで、母がよく比べていた。

造形の時間は、いつも居心地が悪そうで、ソワソワしたり、まわりの子の様子を真似してみたり、でも上手くできなくて潰したり、捨てたりしていた。そんなMに対して「もう、見ないで」「また真似してる!」と女の子たちの容赦ない言葉が飛ぶこともあった。

ある日、画用紙を前に固まっているMを園長が別室に連れていった。「ちょっとだけ手伝ってほしいことがあるんだけど、少しだけいい?」と小声で。

あの場所から離れられた安堵と、園長先生と2人だけでって、後で「なにしてたん」とか言われる(っていうか、なにするん…)と不安な気持ちとで、なんともいえない表情をしながらついていった。

園長はMの画用紙を「めちゃくちゃに塗ろう!」とクレパスで塗りつぶし始めた。「はい、Mちゃんもどうぞ。」と渡されたクレパスでMは端の方を少し塗っただけだった。それでも、30分経って出てきたMは少し顔を高揚させた笑顔だった。

次の時間は私が声をかけた。Mはすぐに自分のクレパスと画用紙を持ってついてきた。後ろから「どこ行くん?」とクラスの子に声をかけられても振り返ることなく、少し得意気にも見えた。

部屋に入ると、「先生もして。」とクレパスを渡してくれた。私は端の方を少し塗った後、無言で塗っているMの様子を無言で見ていた。いろいろな色が混ざって黒っぽくなり、さらに上から黒で塗りつぶした。黒が小さくなって全て塗るには足りないとわかると、途中から薄く塗りだした。とにかく黒で覆いたいようだった。この時点で息が少し上がっていたがまだ足りなさそうだったので2枚目の画用紙を持っていったところ、「1人で大丈夫。」

「OK。終わったら出てきてね。」と言うと、私が部屋を出るより先に、画用紙に色を塗りだした。

他の子たちが外に遊びに行っても、まだ部屋から出てこなかった。しばらくすると出てきたMは小走りで「できた」と持ってきてくれた。

そこには、いろいろな色がぎっしり塗られていたのだが、混ざって黒っぽくなったりしておらず、黒で上から塗られた1枚目とは正反対の、とても綺麗な1枚だった。一つひとつが、ガラスのようにキラキラ光っているように見えた。その感想をそのまま伝え顔を見ると、真っ赤な顔で汗びっしょりのMが満面の笑みで立っていた。

今、思い出しても鳥肌が立つくらいの最高の笑顔!

それからMは180度変わった。もちろん急にではない。少しずつ、少しずつだけど、話し合いで「それがいい」「そっちは嫌かも…」と自分の気持ちを伝えられたり、ずっと描きたかったであろうかわいいドレスのお姫様を友達に見せてもらいながら描いて笑いあっていたり、苦手な跳び箱も挑戦するようになった。縄跳びは144回と、クラスで一番跳べるようになった。友達もそんなMの姿を応援したり、励ましたりした。表情がとにかく明るくなり、声の張りも出てきた。遊びに集中していて、まわりの目を気にする暇なんてなさそうだった。

あの、別室での時間がMを変えたのは明らかだった。

ぐちゃぐちゃでもいい、真っ黒でもいい、もうなんでもいい、だってこれが私。今の私はこうなんだもん。「どうせ」「できない」「無理」ばっかり言ってたけど、私だって、大嫌いな画用紙をこんなふうにできるんだ!見て見ろ!!

クレパスを2本折ってまで、力強く塗りつぶしたMの叫び声のような。本当はお姫様が描きたいし、跳び箱とびたいし、やりたくない遊びは断りたい。そんな自分がいたことをM自身が気づいて、認めてあげたんだと思った。そして、私はやりたいことがある!できることもある!とたくさん出てきたのだろう。それが行動にあらわれたのだ。

私たちも驚いたが、一番驚いていたのはMの母だった。画用紙を塗りつぶした話をした時は「そうですか…。」と少し異様な感じに受け取っていたが、Mにとって必要な時間だったと改めて感じてくれていた。そして、姉と比べていたことを反省している、とも。「MはMの良いところがある。これからはこの子が頑張っていることを認めてあげたい。笑っている顔が一番いい。」と。

Mが友達とケンカするようになってうれしかった。造形の時間が近づくと、ニコニコしながら「今度はなにするん?」と聞きにくるようになった。自分の体の枠をとった等身大の自画像も笑った顔だった。冗談も言うし、ツッコまれるし、「なんでそんなおもろいのに今まで隠してたん?」といじわるで言ったら、「ずっとこうやで。」とキョトンとした顔で言われた。

~つづく~

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