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【施設コンフリクト】地域共生に立ちはだかるエゴとエゴ

施設コンフリクト
今でも多くの地域で起こっている。
というかあらゆる人が声を上げやすい時代になり、こういった反対運動も大なり小なり増えていることは想定される。
先日、某自治体で起こった救護施設建設反対の報道を聞き、なんとも複雑な気持ちになった。
ただ、どちらも責められない。



数年前も同じようにとある自治体で福祉施設建設の反対運動があり、自治体と住民とのやり取りがワイドショーなどで連日面白おかしく流された。
メディアも中途半端な知識で報道してしまうので、結果「面白い」やり取りだけを切り取ってしまい、余計に世論を混乱させてしまった感は正直否めない。


以前のコラムでも触れたことがあるけど、昔の福祉施設は例えば人里離れた山奥であったり、市街地から距離のあるひっそりとした場所に建設されることが多かった。
私が学生の頃、現場実習として初めて関わった障害者施設はまさに山奥にあった。
山林を行き進むと突如巨大な施設が目に飛び込んできたその光景と、「なぜこんなところに住んでいるのか」と疑問を持ったことは昨日のことのように覚えている。
最近ですら就労支援事業所やグループホームなどを中心に住宅街や駅の近くなど利便性のある場所に作られることが増えてきたけど、地域性や施設のイメージにより、時折反対の声が上がることもある。


内容は少し被るけど、以前執筆したグループホームにまつわる住民とトラブルについてのコラム。


この10数年、障害者の生活支援の考え方が施設支援から地域支援と変わり、「地域に出す」という言葉を何度も耳にする。
障害を持つ人が当たり前のように地域で暮らすこと。これはもはや社会福祉のデフォルトの方針とまでなっている。
この業界の研修などはほぼこの「地域で暮らす」ことに重点を置かれているといっても過言ではない。
それは現実的なのか、ただの机上の理想なのか。

このことを考えるにあたり、
「当事者及び家族の思い」
「支援者(支援機関)の思い」
が強く反映されることとなるが、一方で名指しされる
「地域の本音」
はどうなのか。

先に述べた施設建設反対運動においては、いずれも自治体主導の建設計画にその地域住民が説明不足を指摘するという建前が見える。
おそらく、これらの住民は他の地域で同じ計画がなされたとしても全くもって関心は起きないはず。
反対の理由はただ一つ、「自分たち(の生活)に降りかかる可能性がある」からだ。
他人事から自分事に変わるその反動は冷静さすら失う。
まあ、この考え方は非難はできない。
当たり前に安心して暮らすのは何も障害者だけでなくすべての住民に言えることだからである。

私は障害福祉の専門家と名乗りつつも、個人的に常々「障害を持つ人を地域で」の考え方に対し、若干の「福祉のエゴ」が感じられて、そうなのだけどちょっとそこは丁寧に・・というスタンスである。
ある時、某自治体で入所施設を全解体し、入所者をすべて地域に出すという方針がなされた。
その理想はわからなくはないし、言葉は自体は美しい。
ただ、受け皿が整備されているのかどうかの議論は後回しにされた印象があった。
地域に出すという理想だけが独り歩きし、他の自治体も「そうだ、地域に出そう」という声をあげつつも、出してどうするのかの議論がいまいちピンとこない。
「まず出すのが大事だ」という意見もあった。
大事なのは「出すこと」ではなく「出した後どうするか」なのでは。
出されるのはモノではなく人である。
それこそ勢いで計画を進めてしまうと地域住民の不信感につながってしまう。
同時に出された本人が一番つらい思いをしてしまうのは本末転倒だ。
そう考えると「机上の理想だ」という後味がなんとなくぬぐえない。


ちなみに、前にも言ったことがあるけど、私は「施設=悪」ではなく、施設は必要に応じて在るべきものだという考え方である。
それはどちらかのエゴではなく「地域と当事者お互いの安心した暮らし」につながることが大前提となる。
私が問題としたいのは施設の存在ではなく、地域で暮らせる力がある人が支援者の都合で施設で生活している部分だ。
これについては今回はこれ以上触れない。


また一方で、住民側の言い分もちょっと偏向的だと感じる。
「危害を加えられたら」なんて言っていたら、それこそ誤解を恐れずに言うと地域にはいわゆる「危険な人物」はごまんと普通の住居で暮らしている。昨今起こっている凶悪な事件はほとんどがそれまで当たり前のように地域住民として暮らしていた人たちではないか。
「施設に入るような人は子供に危害を加える心配がある」この考え方に関しては私は「差別」だととらえる。
逆に子供たちが地域の中で施設を利用する事情がある人たちと日常的に触れ合うのはまさに「地域共生」の根幹であろう(これも福祉のエゴかもしれないけど)。

一方的にラベルを貼るのではなく、地域住民も施設入所者もお互いに安心して暮らせるような仕組み(体制)はどう整備されるのか、そこを掘り下げるべきだ。
例えば音(声)への対策、衛生面、安全管理などの徹底や、適切な情報発信などにより、お互い歩み寄るしかないと思う。
ただのエゴVSエゴの図式になると、すっきりした解決は到底困難であろう。

施設運営側も「たまたまその土地だった」ではなく、その地域のアイデンティをしっかりと調査したうえで場所を検討するべき。
最近の福祉事業所の建設はその配慮が確かに足りない。



巻き起こった反対運動を「けしからん」「理解がない」ではなく一つ一つ検証し、いかにお互いが手を差し伸べ合って生きていけるような社会につなげていけるか。
これからの地域支援の在り方を改めて「他人事」の域を超えて考えなければと思う次第である。

最後までお読みいただきありがとうございました。皆様のお役に立てるようなコラムを今後も更新してまいります。ご縁がつながれば幸いです。 よろしければサポートお願いいたします。