考えてること

やりたいことをやってから死ぬと決めた。
やりたいことが多すぎるのだが、その中に「会社で出世する」とかそう言った要素が無いことに気づいてしまった。
社会人になって10年を超えると、自ずといろいろなモノが見えてくる。
最初のギャップを埋められないまま10年が経った。
所謂成果主義の会社で働いているのだが、成果主義などは経営者側にとっては大きいメリットを持つ。しかし、評価査定方法が納得できず、長年たっても評価は上がらず、給与も上がらず。人間関係も悪化してモチベーションも下がる一方。
転職も考えるも、年齢に対してのスキルが身についていないように感じるので上手く動けぬ。成果主義とは、本当に実力のある若手向けの制度だと思うのだが、皆が皆成果を毎年上げられるわけでもなし。やはり、色々と考えさせられるのだった。
社会人人生で納得して毎日が面白くやりがいのあったのは「好きなこと」と「出来ること」がマッチングした2年間だけである。
仕事とはなんだかわからぬ。金を稼ぐためという側面もあるのだろうが、将来の不安から財形や自社株での貯金をちまちま行うと月の手取りは18万にしかならぬ。
部署異動と働き方改革で、残業時間が減り額面だけでも150万は落ちている計算になる。
残業時間が減るのはいいことなのだが、金が無くてやることが無い。
仕方が無いのであるが、生活改革も求められている気がする。
とりあえず、出向で地方のグループ会社いって、徒歩10分くらいのところに住みたいのが今の仕事で実現したいこと。そこで、「出来ること」の仕事をしたい。
興味が無くて、苦手なことをずっとやるのは仕事とはいえ辛い。
であれば、得意なことや出来ることを軸に生きていきたいモノである。

しかし、通勤時間というは大きな労力であり無駄な時間だと思う。
東京都内には住みたくないし家賃も高いし、バイクもクルマも持てなくなるのが自明の理なのであるが、まぁこれはお金の無駄である。
であれば、働く場所を変えてしまうのがもっともメリットがあることだと思う。
東京にこだわる必要が無いことは、広島への転勤で過ごした1年半でよくわかった。
そもそも、埼玉で過ごした期間が長いので「上京」という概念が無く、東京で一旗揚げようとも思わないのである。向上心の欠落。
埼玉県民で良かったことなど一つも無いのだが、その一つが「東京を一つの世界や選択肢として気軽に取り入れてしまっていること」だと思う。
進学や就職のときもそう。
気楽に東京の学校や東京の会社を選択肢としてあげてしまっていて、それに対する罪悪感も無いまま過ごしてしまっているのだ。

いっそのこと広島に帰って、広島の人間として一生を過ごすのもありかなと思うのだが、まだ34歳。もう一勝負やりたい気持ちもある。

広島は生まれ故郷では無いが、第二の故郷である。
下手すると、小中高を過ごした埼玉県より友人知人が多いぞ・・・

これはいくつかある夢の一つ。
夢があるっていいこと。日常に忙殺されすぎている今日この頃。

ひとときの夢があってもいいかなと思う。

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