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いい夫婦の日、ラジオ・デイズ。①

僕はラジオとテレビを兼営する放送局で職を得た

ラジオがやりたい、と嘘をついてwww面接を受けていたので、最初の配属がラジオなのはまぁ仕方なかった。

ホントはテレビの報道がやりたかった。
しかし入社して、色々見聞きすると、必ずしも楽しそうではなく見えた。なんか間違った就職をしたきがしてきた。

ラジオの営業、編成と制作現場をしらないまま30歳になろうとしていて、色々悩みは大きくなった。

3年編成にいて、そろそろ移動だな、と思っていた時、呼ばれてラジオの情報番組への移動を内示された。テレビはもう遠い遠い世界だった。
それはそれでなんか死刑執行が延期された気もした。

担当する情報番組は、関東で一番高い数字を出している番組で、テレビに行けなかった、と思う反面、楽しみでもあり、プレッシャーでもあった。

その番組から、他の番組に移動した優秀な腰の座った同期の女性ディレクターの存在が大きすぎ、代わりとして務められるか自信がなかった。

見習いとして、番組にか関わり始め、何かを理解できていないことに気がついていた。

本番前、徹夜で用意した原稿をボツにされ、違う話題の原稿をコマーシャルの間に泣きながら(嘘)用意することもしばしば。

編成部に長くいて、優秀な先輩の会話を通じて、ラジオのなんたるか、をぼやっと理解したはずだったが、原稿を打つ手と脳みそは理解したように動かなかった。

そして11月22日、取材モノのコーナーのディレクターを担当する前日、新聞を見ていたら、いい夫婦の日という記事があった。

街頭録音で、沢山の人の声を面白く聞かせたり、一人の人に短く意見をきくコーナーで、どの内容で話を聞くか、という企画が命のコーナーだ。

その記事の下に、中東のどこかの国で、夫婦喧嘩でロケットミサイルを打った旦那の話が出ていた。

💡ひらめいた。
いい夫婦の日に「オタクの夫婦喧嘩のパターンは?」という街頭インタビューをしよう🎤、しかもみんなきこしめした新橋駅前で、と。🚂

もう一つ、明治維新の頃、敵味方に別れた藩の今の市長さん同士が仲直りした、という何百年喧嘩してるんだ!という記事を見つけ、ひらめいた💡

勝った市長さんに長い歴史の話を聞こう、と。

勝った側の市役所に速攻電話をしたら、市長に繋いでくれて、市長の電話取材取材オッケーになった。

さぁ、テーマをは決まった。
後はどんなインタビューができるかだった。

(後半に続く)

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