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【書評】 佐橋亮 『米中対立 ー アメリカの戦略転換と分断される世界』 中公新書


本書の問い

 「米中対立」の時代と言われるようになって久しい。アメリカのトランプ政権の中国に対しての言動は、その最も過激な一例である。では、今日における米中対立の起源はどこにあるのだろうか。なぜ米中は対立をしているのか。本書はこれらの問いに多様な視点から答えるものである。
 本書の基本的な方針は、アメリカの対中政策の分析を中心として米中対立を考察することである。中国政府の対米政策はアメリカの政策転換によって受動的に変化したと著者は認識している。したがって、中国の対米政策についての記述はあまりない。

論旨の展開

 著者はアメリカの対中政策転換の背景に「三つの期待」による信頼の喪失と、力をつけた中国への恐れがあると述べる。三つの期待とは「政治改革」「市場化改革」「国際秩序の受容」である。米中対立以前には、これらの期待をもとにアメリカの対中政策は策定されたため、米中はいくつかの事例では対立することはあっても、決定的で修復不可能な程までは関係が悪化しなかった。しかし、近年この前提が崩れ、米中対立が決定的になったと著者は指摘する。これが本書の主張の根幹である。 
 以下で、戦後の米中関係史をざっと見通す。まず、米中国交正常化までアメリカは東アジアにおける脅威は、ソ連よりむしろ中国であるとの認識が強かった。しかし、東アジアの安定化のためには中国との協調が肝要であり、同時にソ連の封じ込めに役立つとの認識から国交正常化に踏み切る。 
 それ以降のアメリカは一貫した「関与政策」を進める。また、科学技術支援を行い、交換留学生なども積極的に受け入れた。そのため著者は今日の中国の著しい発展はアメリカの支援が大きな要因であると述べている。
 しかし、こうした「関与」の姿勢はオバマ政権後期から変化し始める。サイバー攻撃や南シナ海での拡張など多くの懸念事項が浮上し、オバマ政権は対応に追われた。そうした文脈からトランプ政権が誕生するわけだが、トランプの最大の関心事は貿易による利益の最大化であった。一方で、人権や安全保障などについては国防省・国務省が関心を払い、政策を決定していた。そのため、強硬姿勢はトランプ大統領一人が主導したとは言い切れない。バイデン政権においても対中強硬姿勢は変わらず、むしろ強まるとの見方を著者は示している。 
 それでは、「関与政策」を支えたのは何なのか。著者はその答えとして産業界を挙げる。産業界は中国を有力な市場とみなし、ロビー活動を積極的に行なった。貿易先として魅力のある中国への関与を推進した産業界は「伝統的な擁護者」として対中「関与政策」を主導した。しかし、雇用の減少や知的財産権の侵害などによって中国が米経済を脅かすという懸念が浮上し、産業界は一転して中国への警戒を強めていく。こうしたことからアメリカの対中政策は変化したと見られる。 
 もちろん本書には多様なアクターが登場する。例えば、連邦議会、中国専門家、米軍、国務省などの官僚機構である。それらが混ざり合った議論の末に対中政策が決定されていたことには留意しておきたい。 
 米中関係を概観した上で著者はこれからの米中対立の行方について述べている。米ソ冷戦と比較して、中国が資本主義経済を取り入れていることなどを挙げ、米中対立は完全に米ソ冷戦の構造と一致しているわけではない。しかし、両者の信頼関係が崩れ、政治的不和が継続している点では一致しているとし、その打開にはゴルバチョフのような妥協を模索する指導者による根本的な政策転換が必要ではないかと著者は主張する。 
 著者は以下のような点を指摘して本書を締め括っている。アメリカ国内ではグローバルな問題に対して中国と協調する姿勢が若年層には多く見られる一方で、アメリカの覇権を守り抜くという想いがエリート層には強くある。また、米中も異なる世界秩序の構築を目指しており、根本的な価値観の対立がある。いずれにせよ、米中対立の行方を占うのは困難を極めるだろう。

本書の評価

 本書は新書とは思えぬほどの情報量であり、第一級の学術書と言えるだろう。膨大な文献をもとに根拠を積み上げ、米中対立について述べた本書は相当に質の高いものである。
 各章の末には小結と題してその章をまとめる項があり、議論の整理に役立つ。具体的な事例も豊富であるが、それゆえに少し冗長な印象を与える。したがって、各章の細かいところまで理解するためには一周するだけでは難しく、骨の折れる作業だろう。しかし、長年米中関係を研究してきた佐橋氏の信頼性もあり米中対立という事象を概観するには最適な本である。近年、いたずらに米中の対立を煽る書籍や過度な単純化による米中関係の分析が散見される中でこれだけ論理的かつ冷静に現状を分析し、最近の話題を取り入れた本はないだろう。
 著者が述べているように国際政治の行方を予測するのは困難な作業である。しかし、本書をもとに米中対立について洞察を深めていくことは今後の国際政治を分析する上で大いに役立つだろう。