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バッキュン

僕たちは冷たいシャッターに閉ざされた軒先の長いおばんざい屋の前でしゃがみ込んでいた。

「君のこと好きじゃなくなってもうてん。」

僕は睡眠不足とアルコールで緩んだ脳みそを何とか奮い立た後、彼女には気づかれないようにだぶつく胃袋をさすった。

「別れたいと思ってる。最近、私は君の話を100%の興味を抱いて聞けなくなってきてるし、君は私が聞いて欲しい時に話を聞いてくれなかった。君は私の癒しにはならない。
あと、君って周りにすっごく気をつかうやんか、私は常に人間丸出し、丸裸の人が好き。要は君を魅力に思わないわけ。君と私じゃ性格も気質も好みだって合わん。」

灯籠から流れる柔く優しい光に助けられてか、この期に及んでも彼女の口調には優しさが満ちていたためか、僕はこの唐突で無遠慮な決別の意をむしろ穏やかな気持ちで聞くことができた。
深夜の先斗町は、想像していたよりもずっと静かで人気(ひとけ)がなかった。一本道を真直に吹く夜風は、濡れた路面から湿気を吸い上げて少し重たくなっているものの、身体にまとわりつく様な特有の陰険さはなかった。

「どうして、二、三週間足らずでそこまで思うようになったの?」

彼女がやたら僕と目を合わそうとしているのを左目の端で感じた。

「具体的に何がって聞かれると自分でもよくわからへん。原因らしい原因ってなくって、正直、自分でも論理で話せへん。
ひとつ断言出来るのは私、君にもうラブないねん。激しいのはもちろん温泉に浸かるようなゆるっとしたラブすらもうないねん。」

「確認なのだけれど、君が今やってる転職活動、本業、副業、余裕とか器量はこの話とは関係なさそう?」

「ないとは言い切れん。」

喉元まで込み上げた溜息をなんとか飲み込んだものの、酷い頭痛と跳ね上がる心臓に容赦なく情緒を揺さぶられ、僕は雪崩れるように口をついた言葉で以って別れを決定的なものにしてしまった。

「君が自分でも分かってないきっかけって、本当はないんじゃないの?
やってることとやりたいことに対して君の余裕や器量が追いつかないから、自分の手にある一番付き合いの短い僕を切ってしまおうということじゃないの?

最初の話さ、感性やら気質の話なんて、僕からしてみれば今更なんだよって感じだよ。二人でいろんな角度から過去だって混じえて、言葉と心事を尽くして話して、擦り合わせてきたんじゃないの。
それを合わないの一言で、根こそぎひっくり返されても、脈絡が無さ過ぎて、戸惑う。
アンタは僕を無理矢理引き合いに出してるけど、根本は自分の話しかしてないんよ。
キャパオーバーを起こしたアンタは『別れたい、逃げたい、別れたい』で別れる理由を後から重ねたから、理由が矛盾だらけのツギハギになってて、ちょっと突っ込まれれば、よく分からんけど好きじゃないねんの一点張りしかできないんよ。

君はこれで終われるって、悦に入ってるかもしれないけれど、僕が最後に言いたいのはアンタは一人相撲しかできないやつだってことだ。

僕は勝手に盛り上がって、身勝手な八つ当たりをぶつけてくる人間と長い関係は望めないと思っているし、望みたくもない。
こっちから願い下げだ。アンタはもう僕の人生にいらない。」

彼女は「解決策」と呟いたまま黙っていた。

僕は申し訳程度に「今の話で何か言っときたいことある?」と聞いた。彼女は「ない」とだけ答えた。

この先は何も思い出せない。
最初からダメになっていた脳みそを無理くり回転させていたためか、まったく記憶がないのだ。
はっきりしているのは、僕の携帯から彼女の連絡先や写真、痕跡と呼べるものの一切が消えたことと、今朝鏡の前で向き合った顔がこれまでになくひどかったことだ。

これから長く険しい人生を頑張れます