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必要な情報

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役に立つ文章を書くことをおそらくインターネットでは求められているそうですが、もっぱら私には耳寄りな情報や役に立つことの紹介など、できるとは思えません。

ブログの記事なんかはよく読む方ですが、あれは本当によくできていて、Googleで今すぐ欲しい情報を調べると簡単にそのページに辿り着き、ちょうどいい塩梅のページがあってくれたりする。

これは果たしてGoogle大先生が素晴らしいのか、はたまたGoogleに貢献している形としてブログを書いている方達が素晴らしいのか。

それはまあどちらもということでしょうが、そもそも世の中を生きやすくするためにインターネットの色々が発展してきたのは確かなことですが、娯楽としてのインターネットはもちろん、買い物や情報取得や通信のやり取りにまで、インターネットはもはやなくてはならないものということは、小学生でもわかることです。

しかしながら人一人分の人生の長さは決まっておりまして、その人生の長さのだいたい数十年とかの間に、目にすることのできること、耳にすることのできることは有限となっております。

ときにはYouTubeのしょうもない広告が嫌でも目に入ってきて、情報として取得してしまうことだってあるわけです。

まあそれでも大体の情報は自分で選べるものです。

何を見たくて、何に興味がないのか。
何を聴きたくて、何を聴きたくないのか。

音楽、文章、漫画、映画、動画、もはや無限とも言われる、インターネットにはこの世の全てと同じくらいの世界が広がっていますから、もう自分で選んでいくしかないのです。

私は自分の好きなものを選べているのでしょうか。
そんなこと今の段階では何も判明することはなく、後々になってようやくああだったこうだったと、後悔してじんわりと人生の骨身に染みていくものなのだとは思います。

しかしたとえば、ずっと同じようなYouTubeの動画を毎晩の食事のお供として観ていたりだとか、散々聴いた音楽を鼓膜が擦り切れるまでイヤホンで流し続けたりとか、寝る前の日課のようにYouTubeのラジオを垂れ流したりとか、そんな数々の情報たちは私の日常に新しい彩を与えてくれているのだろうか。私にとって有益となるものなのだろうか、そう考えると後ろを振り返って確認する必要があります。

おそらくほとんどの情報が、ただ私の脳に圧力をかけるだけの雑味のあるものでしかないはずです。

この世は溢れています。物や人や情報で。


だから少し考えて、本当に本当に興味のあるものにだけ着手したいものです。

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