飲み過ぎの手記

9月13日。

気づけば9月も後半に差し掛かろうとしている。
札幌ではそろそろ半袖半パンで外を出歩くのには肌寒くなってきている。
来週からいよいよ季節は秋めいてくると思う。
そうなると本格的な衣替えを考慮しなければならなくなる。

これがまた面倒臭い。
服装を考えるのは面倒臭いのだ。
いっそ常夏の島に住んでしまえばそんな懸念もなくなる。
それもまて妄想で終わらせたいものだが。


それにしても夏が終わるのが早すぎる。

昨今は、地球温暖化の影響もあって暑い日が長引いたりするものだが、
北海道ではそんなことお構いなしに寒い季節が到来するらしい。


まるでいいんだか悪いんだか。


いやきっといいに決まっている。
暑い日がだらだら続いていくともう夏なんだか秋なんだかわからなくなる。
せっかく三ヶ月ごとに季節が変わる設定にして四季を楽しもうよ的な塩梅にしているのだから、いちいち季節感が狂わないでほしい。

そう願ったって、これから先どんどん暑い日が多くなるのは想像に難くない。

これは誰のせいかと考えても、誰のせいでもなければ、どうやらみんなのせいでもあるらしい。環境問題にいちいち責任を追求していたらきりがない。

それなのに考えなければいけないのが環境問題だったりする。
めんどくさい限りだ。

昨今の豪雨とか猛暑とかが、来年再来年と続いていくうちに被害も大きくなっていくとなると、さすがに無視できなくなる。
でも先のことを考えずに、今この瞬間の利益や欲に応えてしまうのが人間の性みたいなものだ。

だから人は35年もかけてローンを組んだり、投資をしたり、転売したり仮想通貨を買ったりエネルギーを消費しまくったりしている。そんな人間が、面白くないわけがない。


まったくもって自分は面白い世界に産み落とされたものだと再認識する。


過去に例を見ないほどに、現在はカオス一辺倒だ。
誰も何もこの先のことはわからないんじゃないかと思う。
でもそう思うのは自分の勉強不足からくるものなのかもしれない。
もしかしたら世の中はもっと単純で、わかりやすく分析できるもので、自分はそうとも知らずにただ惑わされているだけかもしれない。


もっと勉強しなければと考えて、しなければならないことなんて今更着手するのも馬鹿らしいんじゃないかと思ったりする。
何をしなければいけないことで、何がしたいことなのか。
したくないことは何か。
しなければいいことは何か。
誰と会うべきで、どこにいるべきか。
誰と会いたいか。

もうわかんない。

わからないことだらけでつい嫌になる。

それでもくたばるには値しない模様で、ただ生かされているだけのような日常が続いていく。その中で自分は何をしなければいけないのか。どこにいるべきか、誰と話すべきか。


いくら考えてもわからない。

もう人も何もかもが怖くなってちびってしまって部屋に篭っていたくなる。
そして誰とも話したくなくなる。
どこにもいたくなくなる。
自分が在ることに苛立ちが募る。

そもそも自分がいなければ、全ての面倒なことは認識するまでもなく進んでいたはずなのに、自分が存在するせいでちゃんと世界が進んでいくことを見てしまっている。

希望も絶望も見てしまっている。
喜怒哀楽も老いも若きも平和も苦しみも向き合ってしまっている。
もしかしたら地獄に生まれたのかもしれない。
これもまた、自分の勉強不足から生まれる悲壮感かもしれない。


相変わらずnoteには悲観的なことばかり書いている。
なんでそんなに悲観的なのか、憂鬱で下向きに生きているのか。

別に誰のせいにするつもりでもないが、ただ生きていたらこんな人間になってしまった。
口の中はいつもカサカサと乾いて、脳はロクな栄養も回っておらず、まともでいると気が狂いそうで依存できるものを探している。
何かに包み込まれて守られていなければ不安でおかしくなりそうだ。


それでも自分はこのままを続けると思う。
理由なんて知らない。
破滅してしまえば楽なのだ。


それでも生きる。
理由は単純で、ただくたばるのに値しないからだ。


酒の飲み過ぎでおかしくなっている。今日はこの辺で。





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