見出し画像

雨に紛れて、灯火のままに書く


大雨の降る札幌だ。

最近、特に雨が多くて嫌になる。

札幌に梅雨はないと聞いて引っ越してきたのだが、
梅雨はなくともどうやら秋雨の類はちゃんとあるようだ。

夜の窓から、車が水飛沫を
バシャバシャ跳ね上げている音がこちらまで侵入してくる。

同時にどこからか若者の笑い声なんかも聞こえてくる。
完全な夜だ。気の落ち着く夜でもある。


最近、全国各地、
あちらこちらで洪水や土砂崩れや
川の氾濫なんかが相次いでおり、
ニュースを観ているだけで
雨に対するネガティブな気持ちも湧いてきそうだが、
こうして“音”だけを聞いていると、
これほど気の落ち着く環境音はないのではないかと思えるくらいに、
心地よさが膨れ上げる。


人には音楽のジャンルの好き嫌いはあるだろうが、
環境音を嫌いだと言う人はおそらくいない、と思う。


環境音は音楽とは違い、
何やら本能の部分で好きと感じてしまうものらしい。

でなければあんなに規則性のない
音の配列が好まれるなんてことありえない。

素人が考えなしにピアノをポロポロ鳴らしたって
誰の関心も引かないだろうに、
このような雨の音は人の気持ちを緩和させる。
いかにも不思議なものである。

音楽のない時代から、人は音楽の代わりとなるものを見つけていたのだろうか。


むしろ音楽が後に現れたのだともいえる。

どこの誰とも知らない古来の人物が、
音の組み合わせで心地よくなることを発見したのだ。

音を聞くことで心地よさを感じることに気づいた人類が編み出したもの、
それが音楽だろう。

ここでふと疑問が湧く。

一体、人類史上最初に音楽に気づいた人は誰なのだろうか。
もし誰なのか判明しているのならば
とんでもない功績を讃えられるはずだが、
残念ながらその人はもうこの世にはいないだろう。

僕達が日々音楽を聴いていられるのもその人のおかげかもしれない。
まあ、その人が別に音楽を見つけなくても
他の誰かが見つけたのかもしれないが。

こんなことも全部、例えばの話。


毎日こうして文章を書いていると
いろいろな空想も思い浮かぶ、それは仕方がない。

現実のことばかりを日記にしていたらつまらない。

単調になり、複雑さが生まれてこない文章はまるで平坦な道だ。

折角歩くならば、もっと手応えのある凸凹の山道を歩きたい。

街中のネオン街を歩いて行きたい。
迷路のような世界を歩きたい。

そんな希望が自然と湧き出てしまう。
その気持ちが強くなりすぎると、
つい独りよがりの抽象的文章になりがちだが、
これは所詮日記、そんなのもまた一興である。

少しくらい自分勝手なものでいいとも思う。


というか勝手きままに書かないと
1日2000文字を書くことができない。

それくらい自由度を高めていかないと一生不自由のままだ。
最近の自分はまるで雨の音に紛れている中で、
まるで自分一人にしかわからないような
めちゃくちゃな文章ばかり書いているのだが、
むしろそれでいいのかもしれないと今唐突に思った。

今日くらいは安定した内容に留めようと努力していたのだが、
まるで一向に書ける気配がしなくてとても困惑している。

もっと吐き出してやる感じで、
むき出しの自分を演出してやるくらいじゃないと毎日続かない。
毎日どころか1日も続かない。


前にも書いたかもしれないが、別に笑われたっていいのだ。
笑われたり批判されたりするくらいの勢いでいくしかない。
別にこちとら人に迷惑をかけているわけでもないのだから。
ただ文章を書いているだけ。本当にそうだ。
ただ文章を書いて、自分なりのロジックをぶちまけて、
それが2000文字くらいになったら、
今日も色々書いたな、と満足して終わりにする。
本当にやっていることといえばそれしかない。
お前にはそれしかないのかと言われたって仕方ないくらい、これしかないのだ。


しかし不思議なもので、これしかないと思って書いていると案外続く。
書くのが嫌になることがない。
書く内容に困って苦しみもだえることは多少あるものの、
書くことそのものに嫌気がさすわけではない。

たとえどれだけ書く内容が見つからなくても、
ユーザ辞書がまともに機能しなくて
PCをぶん投げたい衝動に駆られようとも、
やめたいとは思わないのだ。

もう飽き飽きしてやめてしまいとはならないのだ。
毎日更新もそろそろ50日が経過しそうで、
飽きたってまるで不思議ではないというか、
飽きることのほうが自然であるのに、なぜか書きたいと思っている。
この書きたい欲の根源はどこから来ているのか、果たして。


単純に自分の中にあるものが消えないからだと思う。
それが何なのかは説明がつかないが、
まるで灯火のようにただゆらゆらと燃えているから、
消えないうちに活動をしているだけだ。
ただそれだけなんだ。

雨が降ろうが降らまいが、
疲れが出ようが出まいが、
パソコンのスペックにイライラしようがしまいが、
結局心の中の火が燃えているらしいので、
そのエネルギーに従うだけだ。

エネルギーが溢れる以上は、
機械と同じで動き出すのが自然の成り行きだろう。
だからどれだけ疲れても、
イライラしても、落ち着きすぎても、灯火があるなー、と感じるうちは、
ただひたすら書き続ける。以上です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?