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【やさしいSocial Capital(3)】”社会”の持続可能性を考える。

私の記事は、初めてSocial Capitalという言葉を目にした方やちょっとだけSocial Capitalに関心を持っている方に楽しく読んでいただけることを意識して、できるだけ身近なところのお話を書いていくつもりです。
すでにSocial Capital研究を行っている方には特に目新しいこともないでしょう。ですから、初心者がこんなことを考えているんだな、くらいのゆる~い感じで読んでください。


現代社会は経済優先?

日々の暮らしを維持するためにはお金をどう使うかが大切、なんていうことは今さら私が言うまでもないことです。
仕事をして収入を得て、支出はほどほどに。毎日家計簿を見つめて、今月はちょっと予算オーバーかな、などと毎日考えてしまいます。会社も然り。収入と支出、資産と負債の数字を睨みつけて、かといって見つめているだけでは業績が上がることはなく、日々の営業と管理が続くわけです。
そういう日々を続けていると、何でもない日常であってもどこか追い詰められているような気分になることもあるでしょう。時には羽目を外したくもなってしまいます。
お金があれば幸せになれると思っていたけれど、お金があっても幸せにはなれないみたい。改めて考え直してみると、やはり何かが足りない。

じゃ、もっとお金があればいいんじゃない?、って。

資本主義を突き詰めていった先にあるのは、さらに高いレベルの欲求、ということになるのかもしれません。現実にそのようになっているようにも思います。もっと、もっと・・・、と。
じゃ、何があれば満足するのだろうか。

18世紀後半から19世紀前半にイギリスの紡績産業から端を発した産業革命以降、次第に個人主義、経済合理主義が支配するようになりました。人間は合理的で利己的であるという前提で経済発展を重視するようになりました。誰もがお金持ちを目指して、富める者と貧する者との間で経済格差が拡大した、というのが近代化の経緯だったと思っております。
日本では、太平洋戦争の戦後復興から経済は目覚ましい成長と遂げたのですけれど、その副産物として生まれたのが公害、大気汚染などの自然への影響でありました。オイルショックで経済が混乱した時には省エネという言葉も流行しましたが、それでも経済合理主義が重視されていて、環境保護よりも石油の輸入が激減したからやむなく省エネ、という考えは強くなかったように思い出されます。その後も高度経済成長の余韻を引きずりながら、やがてバブル景気、そこからのバブル崩壊を経てデフレ経済がやってきたのでした。
成長しきった経済はなかなか伸びなくなり、日本経済は低成長の時代に入り、やっとこの頃になって環境保護が求められるようになりました。
SDGs(持続可能な開発目標)という旗印の下で17のゴールと169のターゲットが設定され、環境に関する取り組みは進んでいるようですが、それも“グリーンウォッシュ”、つまり「環境保護を利用した経済活動」になっていないだろうかと思うのです。

何かが足りない。置き去りにされている何かがある・・・。

私は、これから大切になってくるのは社会のあり方だと考えております。
むしろ、そうならなければなりません。

トリプル・ボトム・ライン ー経済的側面、環境的側面、そして社会的側面ー

1994年に経済作家のジョン・エルキントン氏が提唱したトリプル ボトムライン(TBL: Triple Bottom Line)では、組織の活動を「経済的側面」(Profit=利益)、「環境的側面」(Planet=地球)、「社会的側面」(People=人)の3つのPを軸として評価する持続可能性の枠組みです。なお、その後、2018年にはトリプルボトムラインが本質的な問題解決になっていないとして撤回し、再生型資本主義を意味する「リジェネレーション」(Regeneration)を提唱しています。
「経済的側面」については誰もが取り組んでいることあり、「環境的側面」への取り組みも進んでいることは周知のとおりです。一方で、「社会的側面」については取り組みが進んでいないように私は思うのです。
私は、これからの世の中をより良いものにするためには、この「社会的側面」にしっかりと取り組むべきであるということを主張したいのです。

社会をどう評価するか。

問題は社会をどのように評価すべきかということです。
経済については数値で評価することが比較的容易にできます。
環境については数値で評価することは経済ほど容易ではないとしても指標を設定することで評価することができそうです。
しかし、社会を評価するためには数値で評価することが難しく、また指標を設定するとしても、どのような項目をどの程度の値で評価すべきかを設定することは難しいものです。
そこで、社会の評価するにあたっては、社会のあるべき姿を考える必要があると考えています。そのような社会を考えることが最も難しく、そのためにいつまでたっても社会を評価することはできないままでいるのではないだろうかと私は考えております。

ソーシャル・キャピタルで持続可能な社会を探る(道半ば)。

社会のあるべき姿を考えることは、社会を持続可能なものにすることにつながります。
そうして社会のあるべき姿を考え、どのように実現していくべきかを模索していた私は、ソーシャル・キャピタルの理論に着目し始めました。
私はまだソーシャル・キャピタルを勉強し始めたばかりで経験が浅いのですが、世界中にはソーシャル・キャピタルを研究している、主に社会学者が多くいらっしゃいます。今は先達の皆さんに教えていただきながら、少しずつソーシャル・キャピタルの本質に近づいていくための勉強を進めているところです。

これからも思い付いたことがあれば、発信してまいります。
ソーシャル・キャピタルに関心を持っていただける方が、一人でも二人でも多くしていければ嬉しく思っています。

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