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「言語の本質 今井むつみ・秋田喜美」を読んで、まとめてみた

なぜ人だけがこんなに膨大な記号体系である言語を持つのか?

誰もが一度は抱いたことのある疑問。
これを順序よく系統立てて、時折まとめをはさみながら、説明してくれる。非常に面白い。

また言語学者たちの共著なのだが、章ごとに別々に論考を書く形式ではないので、話が繋がっていって理解しやすい。

うちの3歳の息子を見ていて、まさにこんな短い期間で言葉を爆発的に覚えていくことに驚いていた。彼の脳みその中でこういったことが日々行われているのかとさらに驚いた。

内容をまとめてみよう。

まずはオノマトペ

キーとなるのはまずイメージを写しとるオノマトペ。音印象の擬音語から動きのイメージなどの擬態語まで(ちなみに日本語や韓国語はオノマトペが多い言語なのだそうだ)。言葉を習得していない子どもでも直感的に分かる。だから子どもはオノマトペが大好きなのだ。乳幼児向けの絵本にもオノマトペがいっぱい出てくる。この最初に学ぶ言葉が感覚的に接地しているということが、大事なのである。

名前の存在

感覚イメージを描写するオノマトペは直感的に分かるのだが、万能ではなく欠点もある。似てるけど違うものなど微妙な違いを切り分けにくい、他の言葉に比べて対象を具体的に捉えられることが逆にたくさんの言語を覚える上で効率が悪くなる、などだ。
膨大な言語体系を習得していく過程で少しずつオノマトペから離れていかねばならなくなるわけだ。

直感的、連続的に見えている世界を、言語は細かく切り分けていく。例えば色の概念、赤という色の範囲、どこからオレンジや黄色になるのか、世界はただ連続的に存在しているが、言語はその範囲を切り分けてカテゴライズする。さながらアナログからデジタルといったところだ。そしてその過程で「名前という存在」に気づく。ヘレン・ケラーが手に水をかけられ、サリバン先生がその手にwaterと書いたときに、モノには名前があると気付いたように。これが物凄い気付きなのである。

アブダクション推論

そして、その手助けとなるのが、アブダクション推論という仮説を形成して推論していく人間特有の力である。

ある結果に対してその由来や原因の仮説を考える。直接視認できるわけではないが推論を立てて考えることができる。(というか考えてしまう)

一般的に推論には演繹推論、帰納推論があるが、言語を習得する中ではさらにアブダクション推論という人間特有の思考が活躍する。

演繹推論はある規則が正しいと仮定し、またその事例も正しい時に正しい結果を導く。これは規則が正しい限りつねに正しい正解を導くことができる。
しかし、新しい知識を生むことはない。

帰納推論は同じ事象の観察が積み重なったときにその観察から一般規則を導く。観察された多くの事象から一般規則を導くわけだ。ただし、一つでも違う事象が見つかると論理的には偽となる。

対して
アブダクション推論は「観察されたデータを説明するための仮説を形成する推論」である。直接見えない何かを推論する。
しかし、そもそも仮説にすぎない

ただし、帰納推論とアブダクション推論はきっちり区切られるものではない。仮説を作らなければ帰納的方法も成り立たず、科学においても観察の限界を超えて帰納を広げていくと結局アブダクションの性格を帯びるようになっていく。

子どもが言語を習得していけるのは、帰納推論とアブダクション推論を行えることによる。持っている知識から洞察を生み、その洞察から生まれる推論を修正しながら、また新たな知識を創造していく。仮説を形成し、推論しては一般化し、間違えて修正を繰り返す。この循環によって言語を習得することが可能となるわけだ。

対称性推論

もう一つ。アブダクション推論に関係するものとして、動物が行わない対称性推論というものがある。
これは「AならばXである」ときに反対の「XならばAである」とする推論である。

言語習得でいうと「対象→記号(言語)」を教えたときに「記号(言語)→対象」にも変換できることを意味する。一見、我々からすると当然のように思えるが、これは人が行う過剰な一般化なのである。

紹介されていたチンパンジーの実験によると、チンパンジーに積み木の色とそれに対応する記号(○や△などの図形)を覚えさせた後、反対方向の記号から積み木の色を選択することができるかというとこれはまったく出来なかったのだそうだ。確かに一歩引いて客観的に考えるとわかるが、「色→記号」という法則を覚えたとしも、記号が先に来たら「記号→?」となり、それは新しい法則と思うのが合理的であろう。「XならばA」だったとしても「AならばX」となるわけではない。動物達のほうがむしろ理論的とも言えるのだ。

しかし、人だけは対称性推論という反対方向の過剰な一般化を行う。そしてこの思考は幼少の頃からすでに行っているようだ。自然に対称性推論を行う人のバイアスが動物たちと人との大きな違いであり、言語を持つかどうかに大きく関わってくる。

まとめ

まとめていくと、
人は赤ちゃんの頃はオノマトペからさまざまな感覚的なイメージを言葉として認識する。そして、大人たちが話している言葉には物の名前があることに気づく。幼少の頃からアブダクション推論を行えるヒトは、この時すでにさまざまな自分なりの仮説を立てて、アウトプットしては間違えを修正して言語を覚えていっている。
意味を過剰に一般化するヒトの思考は間違うことも多いが、さまざまな面でその考えを拡張していくことができる。これは言語だけに留まらず、こういった思考ができるからこそ、科学や芸術の分野でも創造し、発展できてきたとも言えるのだろう。知識から新たな知識を創造することができる。この人間特有の思考方法が人が膨大な言語体系を持っていることの理由の一つなのだ。



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