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【文章を書くこととAIについて、時々恋文】

皆さんはchatGPTをご存知ですか?対話型のAIで文章形式で質問したらAIが返信してくれるというもの。記憶が正しければ昨年末頃から一部の流行に敏感な人たちが遊び始め、毎日Twitterから流れてくるchatGPTの威力を実感してました。そして今週には夜の全国ニュースでも取り上げられるほどに。なんでも世界中でユーザー数が1億人を突破し、この増加の仕方はTikTokのユーザー数の増え方よりも勢いがあるのだとか(ちゃんとニュースを見てないので適当です)。使い方はさまざまで、ニュースで紹介されていた使い方には文章のタイトルを考えてもらったり、上司への謝罪文を代筆してもらったり、プログラムのコードを投げかけてバグを見つけてもらったりしてました。その中で特に印象強かったのは、note社員のchatGPTの使い方で、記事の本文を校正してもらっていた使い方でした。もちろんchatGPTにはまだまだ問題があり、chatGPTの回答にはデタラメなものもあったり、引用にも適当なものがたくさんあるらしいです(下のツイートは自分の大学の教授のツイート。投げかけた内容に関連する先行論文を出してくれと頼んだらデタラメな論文を返されたという内容だったはずです)

さて、本題に入りますが、僕は先ほど1番気になったchatGPTの使い方はnote社員の文章を代筆してもらう使い方が一番気になったと言いました。なぜこれが気になったかというと、正直に言うと使い方というよりnote社員が文章を書くのに代筆してもらっていたからです。僕はnoteを約半年前に始め、小なり小なり駄文を書き散らしてきた自負を持ちますが、これらの文章は全て僕という人間を苦悩の万力ですり潰して、そこから絞り出た文学、とまでは言いませんが、僕という人間をぬくぬくのホットカーペットの上に固定して、ひねもすTwitterと InstagramとYouTubeを徘徊したあと、いよいよすることがなくなってしまい滲み出た駄文です。そこにAIの力はありません。あったとしてもアプリのおすすめ欄に次々と僕の興味のありそうなコンテンツを見せてくるAIくらいです。回りくどくなってしまいましたが、一番言いたかったこと(駄文に言いたいことも何もない)は、文章すらもAIに取って代わられてしまうのはもの寂しいので、せめてささやかな抵抗ときてこれからも駄文を書き散らしていき、駄文をら書き散らす能力を日々研鑽して行きたいと思う所存です。

またまた話が脱線するのですが、同郷の大学の大先輩に森見登美彦氏という物書きがおられ、その方の作品は有頂天家族を除いてほとんど読んだと自負しているのですが、最近読んだ氏の著書の中で「恋文の技術」は大変面白うございました。簡単にあらすじを述べると大学院で教授から京都から遠く能登の僻地に飛ばされた主人公が、もの寂しさを紛らわすためにかつての研究室の同僚や先輩、はたまた妹にまで文通を送るのですが肝心な意中の相手には文通を送ることができずにいる…みたいな話で、本文は全て主人公から仲間に宛てた手紙の書体、つまり書簡体小説の形式で書かれています。小説を書いているのが一流の作家さんなので当たり前ですが手紙の書き方、文章の扱い方全てが美しく、この本を最近読んだことも上に述べたようなことを思うようになった原因の一つでもあります。

綺麗な文章を書くことは、書き手が何歳になってもその人を綺麗なままにさせると、私はこの頃思うのです。


草々頓首

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