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おばあちゃんの思い出に見る模範的なタイムトラベラーとは②

前回の続き。

パターン5.まだ見ぬ将来の知人
これはまさしく信じないパターン。
将来の恋人です、将来の友人です、将来の子供ですと言われ信じる人は居ないでしょう。どれだけ可愛くても煙に巻きますね。


次に視点を変え、自分が過去に赴いた場合、誰に会いに行くだろうかという超個人的かつ勝手な未来人のび太的なタイムスリップを考えてみましょう。

ここからは、これまでも個人的な意見でしたがさらに超個人的な意見になります。


……
………

20年前であれば、亡くなってしまった親友に会いに行くのですが10年前か。

死に目に会えなかった祖父母、鬱になってしまう前の友人、当時の恋人あたりくらいだと思います。

あまり自分自身に会いに行こうとは思わないですね。(その結果と云うかやはり未来の自分が僕に会いに来た事実もありませんし、未来の僕の本質が今と陸つなぎだとしたらよく分かる理論)

これらの尤もらしい個人的な意見をまとめて考えてみると、

自分が宛もなく事故的にタイムスリップした場合、

  1. 当時の自分を愛してくれていた人

  2. 故人

  3. さようならが言えなかった人

この属性の人たちに会いに行くのが、傾向としてハズレの少ない過去への旅が出来る気がします。
あくまで宛のない旅の場合であり、宛のある場合はさっさと両親を引き合わせたり、誰かを導いたり、ゴールドオーブを取り替えたり、進化退化放射線源を浴びせたりしてください。(いま考えるとドラえもんのび太の創世日記はシミュレーション仮説そのものじゃん?)

また逆に未来人化した知り合いが事故的に宛もなくタイムスリップして自分に会いに来た場合、その未来人の世界では自分が存在していない可能性が高いと思うべきだと思います。
そんなときは凹まず慌てず騒がず、
“ありがとう会いに来てくれて”
などと言うのが現在人としてのハズレの少ない振舞い方なんだと思います。

“future lover”でAI画像作成


唐突に思いついたことをそれとなく羅列して書いてみたものの、以上から考えられる仮説を置いておきたい。
未来からの使者が僕のところに来ていないのは、

  1. 僕が今までの人生で深く誰かを愛していない

  2. 未来で僕は死んでいない

  3. タイムトラベルはパラドックスを起こさない為に注意深く行われている

  4. 知人知り合い友人家族が事故的にタイムスリップに巻き込まれていない

の内のどれかの要因にあたるのである。
少し寂しい気持ちになってきたので、私、僕はあなたと違って幸か不幸か未来人が会いに来ましたよなんて人は惚気にも似た自慢を僕にしなくて大丈夫です。

そして逆説的に考えると、日々誰かを深く愛し丁寧に生きたほうが未来人たちは会いにきてくれやすいのか。
えらく普遍的な考え方に落ち着くあたりが、それっぽくて笑えます。

今回は未来人来襲パターンで考えてみましたが、夏への扉/ロバート・A・ハインラインみたいな過去人襲来パターンでも愛や慈しみをもって接した人と幸せになるのだから、結局大切なのは昔から人間原理で使い古されている表現であるところの愛とか思いやりなんでしょうね。

着地点があまりにも普通過ぎて不満ではありますが、以上おばあちゃんの思い出に見る模範的なタイムトラベラーを考えてみるの回でした。


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