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新型コロナ禍の思い出:2021年の新型コロナワクチン事情と反ワクチンの人々

日本国内で新型コロナウイルスのワクチンの接種が始まったのは2021年のこと。

札幌市では前年に、とある介護老人保健施設で大規模なクラスターが発生し、連日悲惨な話が報道されていた。その記憶も新しい中、まず先にこういった施設のお年寄りからワクチン接種を進めようという方針はそれほど間違っていないと思った。

ただ、当初はワクチンの提供数がかなり少なく、年齢が下がるほどいつ接種できるのかがみえない状況となっていた。
(子供向けワクチンはこの時点では存在していない。)

北海道においてはもう一段問題があった。都道府県別のワクチンの割当が初回はかなり少ないものだった。2020〜2021年前半は、どうみても北海道が被害の先頭を走っていたにもかかわらず、だ。

そのせいで計画を崩される羽目となった中、自治体の担当者の皆さんは本当によく頑張られた。
改めてお礼を申し上げたい。

私は持病の都合でステロイド剤を内服していたので、他人より免疫力が落ちているという理由で優先接種枠を申し込むことにした。
これには当時の主治医からのお墨付きももらっている。医師は高齢者と同様、真っ先に順番が回ってきた人々なので、私の質問に「先に我々で人体実験しておきます」とちょっとブラックなユーモアで返してくれた。

札幌市で優先接種枠が認められた後、最終的に無料接種の最後の回となった7回目まで、こちらからは特段アクションをすることなく接種券を送ってくれた。市役所には最後まで便宜をはかっていただいたことになる。

私のような人間の経験談にはそれなりの意味があるだろう、ということで初回から接種後の経過を記載し続けていった。

もっとも、4回目あたりから特に特記することもないほど副反応が軽くなってしまった。6回目「接種当日に落語を観に行った回」や7回目「ノリと勢いで当日予約可能な接種会場に行って帰りに餃子喰った回」など、もはや全く情報量がない。
なので、今後自費で接種したとしても「ワクチン接種してきたわ」くらいの報告で終わるだろう。インフルエンザワクチンと大差のない扱いだ。


新型コロナワクチンについて、最初期に登場し、以後の主軸となったのは「mRNAワクチン」だ。

これの機能を理解した時、あまりに変態の発想(褒め言葉)で笑うしかなかった。これを実用化する研究に20年くらいかかっていたらしい。

一般的にRNA→DNAの逆転写が起きないこと(逆転写するウイルスはそれ用の酵素を持ち合わせている)、スパイクタンパク質が遺伝子を守る鎧(エンベロープ)にくっついた棘であること、までわかるとある程度やりたいことはみえてくる。

mRNAワクチンの中身は新型コロナウイルスの一部を写し取った体のmRNAで、こいつをリボソームに食わせてウイルスのスパイクタンパク質だけを作らせ、そいつを敵キャラとした防災訓練をする、というわけだ。
(なおスパイクタンパク質そのものも厄介で、ワクチンの副反応の一つに心筋炎があるのはこれのようだ。とはいえ、ワクチンで生成された量で軽い心筋炎になる人はノーガードで「本番」を迎えるにはあまりに高リスクといえるだろう。)

これは高校生物を通ってくると簡単に理解できるものの、中学生物の知識で理解した剛の者もいたようだ。
こういう時、義務教育を真面目に身につけることの重要性を理解させられるのだと、しみじみ感じたのだった。


反ワクチンの動きが「ノーマスク」の人々に広がっていったのは、ほぼ一瞬だったように思う。

元々「反ワクチン」の人々は存在する。特にHPVワクチンに顕著にみられていたわけだが、ノーマスク勢が反ワクチンに向かっていったのは様相が少し違うと体感で考えていた。

これをSNS分析で明らかにしてしまった東京大学の2024年の研究が存在するが、今は私の経験談に留めておく。

2021年春頃、大通・狸小路でノーマスク・反ワクチンのビラ配りをしているママさんグループをみかけるようになった。ベビーカーで連れ出され付き合わされるお子さんも大変だなと思った。
また、ちょいちょい市内中心部でデモもしていたようだ。一度、デモの集合場所らしき場所に行き当たってしまい、そそくさとその場を離れたことがある。

こうして少しずつ反ワクチンの人々の動きが可視化されてきた6月、札幌市役所と北海道庁にノーマスクのグループが押しかけるという出来事があった。うち、対応にあたった市役所職員は新型コロナに感染させられた疑いがあった。

私がワクチン接種を少しでも早くしてほしい、と願ったのも、こういう人々が私の行動範囲内を闊歩していることに恐れをなしたせいもあった。

2021年夏頃は神真都Q(Qアノン的陰謀論と日本のスピリチュアルがない混ぜになった、全国的グループ)はまだないはずだが、デモをしていた中の相当数がそちらに流れていったのだろう。

かなり脅しのような内容のビラ配りやデモをしていた割に、活動をしている本人達は割と楽しそうだった。今思えば、人によっては家で孤立してしまったとかの取り返しのつかない事態もあったのだろう。それなら仲間と集まれるのが純粋に嬉しかっただろうが、その様子が私にはかえってイラッとくるポイントではあった。

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