見出し画像

「母親を陰謀論で失った」を読んで

母親を陰謀論で失った

というマンガを読んだ。

この本は、新型コロナウイルスのせいで主人公が両親としばらく会えなかった時期に、母親が陰謀論に嵌ってしまい、関係性に亀裂が入ってしまった…という物語だ。

原作者が実体験をもとにセミフィクションとして書いたものを、マンガ化したものだ。
実際にぺんたん氏の身に起こったことについては、noteには最初の半年ほどのまとめが書かれており、その後の経緯はBuzzFeedの取材記事などに書かれている。

今回はこれの感想文を書く。

今作、エッセイマンガの体裁で読みやすいので、1時間くらいですらすら読めるものだ。
巻末には筑波大学の原田教授による解説もあるので、もう少し陰謀論(者)の背景を知りたい人も読んでいただきたい。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

家族が変わってしまった、という絶望

読んで最初に思ったことは「主人公一人ではどうにもできない辛さ」だった。

この話に(直接)登場するキャラクターは、そのほとんどは悪人ではない。
ただ、その中に、誰かが仕掛けた見えない罠に嵌ってしまった人がいただけなのだ。

確かに母には息子(主人公)からみて「今思えばそうなりやすいかも」と思い当たる性格があったものの、これは当人や家族の落ち度ではない。
母親は、何もなければ平穏に一生を終えていたと思われる人物だった。

母はご近所さんにより勧められた動画を観て、陰謀論に嵌められてしまった。
世の中には、自分にとって都合の良い陰謀論を拡散して、それに興味を持った人々を捉えることを狙う者達がいる。それはもうカルトの手法としかいいようがなく、一度絡めとられた人を一般人が引き戻すことは簡単ではないのだ。

途中、主人公は母と同様の人々が集まる音声SNSに突撃する。そこはある意味善良で、けれど陰謀論に染まったがために世の中から弾かれ孤独となった人々が集まっていた。
主人公はこういう土壌で彼らの連帯感とエコーチェンバーが発生しているということを知り、そして母がそちら側に行ってしまった理由に思いを馳せることになる。

また、友人に話しても苦悩をわかってもらえなかったり、自分が父の苦しみをわかっていなかったことにもショックを受けたりもするが、他方で見守っている妻がいたり、主人公と同じ境遇の人との繋がりに癒されたりする。
そのような旅路の果てに、主人公は母と直接会うことになる…。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

陰謀論と「言い切り」

私の"狂信者"に対する解像度は一般人より若干高めだと思うけれど、それでも「元は違うのに、気が付いたら人が変わったようになっていた」という経験はない。
この作品を通して、大事な人がおかしくなってしまったことの深いやるせなさを追体験させられた。

“狂信者”とはいったものの、これはどこぞの新興宗教の話でもないし、何かを売りつけたい商売人や政治屋の動きはあれどそれが全てというわけでもない。
いっそ「ディープステート」みたいな目に見える敵がいればありがたいとさえ思う。(旧統一教会は目に見える敵だから、政治家も動きやすいのだ。)

かの「ムー」でさえ新型コロナ関連ではシャレにならない陰謀論を控えるという状況の中、不安の強い人にとって、わかりやすく不安の答えを出してくれる存在はありがたいものだったろう。

世の中は、科学への知見を持ち合わせていたり、多角的に物事を考える力があったり、中二病からめでたく回復でき抗体を持っている人々ばかりではない。なんなら医者や科学者といった専門家そのものが嫌い、という人もいる。
(専門家を自称する者達も人格としてはピンキリであることはいうまでもないし、キリのせいで憎しみを持たれることは割とよくある。産婦人科医とか。)

まともなで科学的な専門家ほど、言い切りはしない。
例えば最初のうちは「外出時はずっとマスク推奨」としていたものが、「屋外で人が少なくて風通しが良いところならマスクしなくても良いよ」となっている。こういう知見もこのウイルスの感染の仕方が飛沫感染だとわかったからで、そういう研究を踏まえて話を進める態度が「科学的」なのだ。
逆にいえば、メカニズムがわからないうちからマスクを外せというのは「非科学的」なのだ。

そして、科学的な物言いはそれ故に言い切るタイミングは遅いし、非科学的なもの言いは非科学的ゆえに何でも即答できる、ともいえる。

マンガの中の母親が陰謀論に染まるのは半年。ご近所さんはもうちょっと早いか。
たったそれだけの時間でも、彼女達が神真都Qと思しきところに入るには十分な時間だったのだ。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

現実世界にラスボスは居ない

新型コロナウイルスは、直接的に多くの命を奪ったり後遺症で多くの人生を奪っただけではなく、悪人達の仕掛けた罠を強固にし分断を促進するという別の問題を生んだ。

リアル社会で仲間を見つけにくい趣味仲間などは、インターネットのお陰で仲間を見つけてQOLを上げることができる時代になった。
その一方で、この機能を使ってリアルの居場所を破壊し、昏い世界に誘う悪意が生まれていった。

どこにでもいる一般人が簡単に落とし穴に落とされるこの時代に、必要なものはなんだろう。

まず、原田教授の書いていた「科学教育」は大事だと思う。「科学」を理解できている人はどれだけいるのだろう?

インターネットのリテラシーも必要だ。
今の生徒さん方は授業でもやるだろうが
(その割にバカの迷惑行為もネットに流れてくるが、そろそろ「いくら言われてもわからないバカ」に限られているのではと思う)
情報科以前の世代では学ぶ機会を持てた者が少ないので、その辺りはどうすれば良いものか。

一番はより多くの人の自己肯定感を上げることかもしれないけれど、これに関してはそうそう簡単に行くわけもない。
とにかくこういう人々は世の中に対する些細な猜疑心を増幅させられるわけで、そうなることで世の中の仕組みが多層的であるということ、0か100かで決まらないことを忘れさせられてしまう。つまり世の中への必要以上の不信感がなければ引っかかりにくくはなる、が…。

リアルの世界と電脳の世界をともに生きる時代、これはすべて「現実」の世界であり、特定のラスボスがいる創作の世界ではない

いかにして「現実」を生きる力をつけるか、というのも今後はますます必要になるのだろう。

そして、神真都Qのような目に見えにくいカルトの研究と、それに切り込める専門家の育成が、より進んで欲しいと願っている。

ぺんたん氏とその家族にも、平和が戻ると良いよね…。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?