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「風立ちぬ」を観て「生きねば」と思った話

卒業論文の発表まで終了し、大学生活がひと段落したので、早速映画「風立ちぬ」を観た。

この二つの出来事の関係性のなさはおいておいて、ひとまずこの映画の面白さを語りたい。2013年公開の同作は、もう皆さん観て感想を抱いていると思うので、筆者が語ることは…筆者とか言っちゃった、まだ卒論の文体の癖が抜けていないのだ、ご容赦願いたい。

2013年に公開された映画「風立ちぬ」。監督は宮崎駿氏。スタジオジブリの作品である、この作品は、宮崎駿作品では唯一の実際の人物がモチーフとなっている作品である。

その人物とは、「零戦」を作った堀越二郎氏。しかし、その人だけではない。タイトルになっている「風立ちぬ」は1938年に堀辰雄氏が、重い病に侵された婚約者とともに過ごした時間が描かれた小説からきている。つまり、同作「風立ちぬ」は、飛行機の設計士である部分は堀越二郎氏から、結核を患った婚約者を持っている部分は堀辰雄氏から、という2人の人間の人生がごちゃ混ぜになって、全く新しい物語として、宮崎駿氏によって創作されたものなのだ。


と、ここまで一気にまくしたててしまい申し訳ございません…2分前に映画を観終わり興奮しております。


知っての通り、宮崎駿さんという人間は戦闘機大好き人間(ジブリのドキュメンタリーを観ると宮崎さんの机には、戦闘機のフィギアがたくさんあり、ブーンなどと言いながら自分の手で飛ばしたりしている)。しかし、戦争には反対、という矛盾を抱えた人間である。

本作の主人公の堀越二郎という男は、かの有名な「零戦」を作った男。ジブリプロデューサーの鈴木敏夫氏が語るように、本作は宮崎駿氏がその自己矛盾に向き合った作品だといえるだろう。

そう言った意味で(もちろんそう言った意味でなくても)、本作は本当に面白い。


作中何度も
「飛行機が作りたいのだ

という言葉が繰り返される。

宮崎氏は映画公開後のドキュメンタリーで、以下のように語っている。

堀超二郎という人間は本当につかめない。彼が残している文章を読んでも、本心を明かしていないように思う。しかし、一つだけ確信していることがある。それは、彼は戦闘機が作りたかったのではなく、飛行機が作りたかったということだ。

また、本作の企画書では、

自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少くない。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能においてもっとも抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。

と語っている。


時代は第二次世界大戦中、ただ美しい飛行機に憧れ、素晴らしいものを作りたいと憧れたその想いは当時戦闘機に向かう以外の選択肢はなかった。

宮崎氏も、ただただ美しいその戦闘機の機体に(ドキュメンタリーで宮崎氏は本当に楽しそうに、零戦の機体の曲線を描くことがいかに難しかったかを語っていた)憧れを抱きながら、その戦闘機が犯した罪の部分は許すことができない。という矛盾と向き合ってきたのだろう。

しかし、その美しさへの憧れは、当時の二郎が抱いた飛行機への夢は罪だったのか。(作中で、堀越二郎がサバの骨を観た時に、この曲線は美しい…と語り、設計にヒントを得ている描写がある、本当に飛行機が大好きな2人なのだ)


大きな矛盾に対する答えは、僕のような若輩者には到底出せないし、出すべきでもないだろう。

宮崎氏は映画の公開後こう語っている。

歴史の中でその時々に精一杯生きた人間がいた、ということを伝えたい。

「風立ちぬ」のポスターには大きな文字で「生きねば。」というコピーが書かれている。

また、ラストシーンでは二郎の妻の菜穂子が天国を思わせる場所から、「生きて」と伝える。

この部分は当初、宮崎氏の絵コンテでは「来て」だったそうだ。本作を描いている途中に、監督である彼自身も「生きねば。」と感じ、変えたのだろうか。

時代は否応なく変化し、一個人が大きく変えられるものではなく、僕らが懸命に生きた軌跡が後の時代、功罪の罪になってしまう可能性もなくはない。

しかし、本作を観て今最も感じるのは、力強く「生きねば。」と言うことだ。そう、歴史の先人に恥じぬよう、懸命に。


あまりにも浅学で恥ずかしいのですが、読んでいただきありがとうございました…また、性懲りもなく書くと思うので、読んでいただけると幸いです。

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