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謎の秘湯「伝法谷温泉」に迫るルポルタージュ

温泉。

人は誰しもその桃源郷を求め、荒廃した大地をさまよい続ける。時には己の命をかえりみることなく、危険に満ちた火山帯や未知のジャングル果ては地球外の惑星まで踏み込むことをためらわない。

だがそうした者たちの多くは、二度と帰ってくることはない。道半ばで力尽きるか、あるいは温泉の禍々しい魔力にとらわれ、湯から這い出す術を失うからである。

それでもなお人々は未だ見ぬ温泉を求め、旅することをやめようとはしない。なぜなら温泉という空間は、その所在が謎に包まれていればいるほど人心を掌握してしまう、おそるべきシステムを搭載しているからだ。

そんな温泉のなかでも、一段と危険度が高い土地にひそむものを、学術的には「秘湯」と呼称する。だがこれは現代道楽学における非常に高度な専門用語であり、耳にしたことがある者はそういないはずだ。もしいるとするなら、それはかなり名の通った研究者であるか、あるいは命知らずの温泉冒険家であるか、そのいずれかだろう。

それにしても、こうも人類をひきつけ狂わせてしまう秘湯の魔力。その源は一体なんなのだろうか。地質学や心理学など、あらゆる角度から研究がなされてはいるが、現代の科学では秘湯の謎を解明するには至っていない。


「温泉、それはまるで……神のいたずらだ」


現代道楽学者の権威、高木洋さえもこのように舌を巻いている。

そして我々ソニックパルスフィクションもまた、神々のいたずらに絡めとられた憐れな人類の一部なのだ。愚かしいと自覚しつつも、前人未到の秘湯を求める心を抑えることができず、情報収集にいそしむ日々を送っている。専属ハッカーが常時30000人態勢でGoogleにアクセスしており、サイバーポリスの目をかいくぐっては「温泉、日帰り」「秘湯、お手軽」などの危険な検索ワードを駆使している。時にはYahoo!知恵袋の使用さえためらわないほどだ。以上の点からも、我々の覚悟のほどを察していただけるのではないだろうか。


そして、ある日。
我々は、出会ってしまった。

究極の秘湯、伝法谷(でんぽうや)温泉に。



先入観による罠

秘湯といえば山奥。そのような決めつけをしている読者のみなさんも多いのではないか。だが冒頭に記したとおり、秘湯の在りかはジャングルから銀河系まで、そのヴァリエーションは無数に存在する。例えば2014年に発見された「青筒温泉」などは、駄菓子屋のポリバケツから湧きでていたことが確認されている。安直な先入観に惑わされてはいけないという好例だ。

しかしかく言う我々も、ついつい山奥の情報ばかりを追い求めていた。人類のDNAに刻まれし「秘湯=山奥」あるいは「秘湯=なんか野生のサルとかいっぱいいる感じ」という悪しき固定観念は、よほどの自制心がなければふり払うことができないらしい。それゆえ伝法谷温泉の情報に行きつくまでに、そうとうな時間を犠牲にしてしまった。

我々に貴重な情報をもたらしたのは、電子社会の中枢たるインターネットではなかった。なんとソニックパルスフィクション本部に隣接しているアパート「プリズム桜木」の住人によるタレコミだったのだ。本人の希望により匿名とさせていただくが、彼はアマチュアの現代道楽学者であり、また生粋の冒険家でもあった。

彼に感謝すると同時に、我々は猛省した。インターネットのデジタルインフォメーションを過信するあまり、原始的にして肉体的な情報収集方法、つまり御近所づきあいをおろそかにしていたからだ。情報元の彼とはせいぜい回覧板を回す際にしょうもない天気の話をする程度の間柄だった。なんとも情けない話だ。このようなたるみきった組織体質に改善のメスを入れる必要があることは、明らかに決定的な確定事項であることが明白な事実としてゆるぎない。だがその話題は関係ないので置いておく。

その御近所さんからもたらされた情報は、実に意外なものだった。伝法谷温泉と呼ばれるその秘湯、なんと我々が住むこの町内会にあると言うではないか。にわかには信じ難かった。だが信じた。ご近所さんだから信じた。そして即座に調査チームを派遣した。



冒険に次ぐ冒険、そして秘湯へ

いくら町内会とはいえ、目的地は秘湯だ。それゆえ危険な罠や凶悪な守護者に囲まれた土地であることは想像に難くない。だからこその秘湯なのだ。

当然ながら調査チームは苦戦を強いられた。軽自動車での道中は路地につぐ路地であり、予期せぬ襲撃者たちに注意せねばならなかった。具体的には下校中の小学生による急な飛び出しとかだ。さらには何者かがしかけた狡猾なトラップ、すなわちエンドレスな一方通行にはまったりもした。逆にどう考えても一台通れるかどうかという細い路地が両通道路だったりして、わけがわからなかった。調査チームの精神はみるみるうちに削られていった。とても町内の道とは思えなかった。

やがて一人、また一人と隊員たちが脱落していった。コンビニエンスストアと呼ばれる魔の誘惑地帯に吸い寄せられてしまったのだ。涼しげな店内から流れる有線の軽快なJポップ、それはまるで船乗りたちを引きつけるセイレーンの歌声だ。ひとたび誘惑に負けてしまえば……死あるのみ。

我々はこのまま力尽きてしまうのか。秘湯を求めて散って行った先人たちのように。心がメキメキと音を立ててへし折れようとしていた、まさにその時である。

曲がり角のむこうに「秘湯・伝法谷温泉」の看板が見えた。隊員たちはもつれる足を引きずりながら、走った。そして疲労によりかすんだ視界に、謎に包まれた伝法谷温泉の全貌を、いよいよとらえたのである。


すごく民家だった。
通りすぎちゃうくらい、すごく民家だった。

これは罠だ。
誰もがそう思った。

でも罠じゃなかった。
ぜんぜん罠じゃなかった。

完全に民家然とした玄関をくぐると、そこには番頭の老婆がいた。彼女は黙って調査チームの面々を見つめた。そしてあごで脱衣所をさし示した。過剰とも言える現代日本のサービス基準からすると、彼女の対応は相当以上にシンプルであり、ハードボイルドですらあった。ちなみに部屋の風景も完全に民家然としていた。野蛮な外敵から温泉を守るための偽装なのだろう。

我々は確信するにいたった。
ここはまぎれもなく秘湯である、と。

肝心の浴室は庭にあった。露天風呂だ。御近所からまる見えだ。つまりハードボイルドだ。ほのかな硫黄の香りがするように思われた。しないようにも思われた。よくわからなかった。モール泉なのか、湯はコーラのような半透明の茶色だ。肌に触れるとぬるぬるするのは、なんからの温泉成分によるものと推定される。だが成分表がどこにもないので判然としない。これもまたハードボイルドだ。あと温泉法違反だ。

隊員たちは先を競って湯にダイブした。そのような悪質行為は国内にある通常の温泉ならば法律違反であり、500年以下の懲役または10000000000円以下の罰金となる。しかしここは秘湯だ。つまり治外法権が適用されることは明白である。よってここが温泉法違反でも問題ない。

法の呪縛から解放された温泉体験により、冒険の疲労がまるで魔法のように癒されてゆく。これこそが秘湯の原始的にして神秘的なパワーなのだ。そこらの文明ボケした大衆浴場とはわけが違う。成分表がないので効能など一切わからないが、リュウマチとかが治りそうな感じに満ちていた。肩こりもほぐれた気がしないでもなかった。近所から聞こえる古紙回収車のローファイなサウンドが、耳に優しかった。我々はコンビニで脱落した隊員たちを偲び、静かに涙を流した。

だがいつまでもそうはしていられない。精神力を保たねば温泉の魔力につけこまれ、二度と湯からあがることができなくなるからだ。我々は鍛え上げた強靭なるスピリチュアルをぞんぶんに発揮して、どうにか湯から脱出した。そして民家然とした脱衣空間でコーヒー牛乳を飲みほし、……再び湯につかった。お隣からカレーライスの匂いがただよい、夕陽は赤くメランコリックだった。これが温泉の恐ろしさだ。やがて番頭さんにのぼせるからと怒られ、しぶしぶ湯からあがった。この救出劇があと一歩でも遅ければ、我々は永遠に地上へ復帰することは叶わなかっただろう。



真なる秘湯とはなにか

どうにか生還を果たした調査隊は、番頭の老婆に取材を試みた。だがそこで衝撃の真実を突きつけられることとなる。


伝法谷温泉は、温泉じゃなかった。
すごくふつうの銭湯だった。
お湯のぬるぬるは入浴剤だった。


どういうことだ。看板には「温泉」の二文字が確かに掲げられているではないか。温泉法により定められた定義を満たしていない場合、温泉を名乗ることは法律によって禁じられているはずだ。秘湯だから治外法権だとか言っている場合ではないし、温泉じゃないなら秘湯でもないので治外法権は適用されない。そもそも秘湯だからって治外法権が適用されたりしない。あたりまえだ。ここは日本国内であり我々が住む町内会だ。なにをとち狂っているのだ。

ここにいたるまでの冒険と感動を踏みにじられた我々は狂乱した。そして憤った。

しかし老婆は冷静だった。


「あんたたちが湯につかっている時に感じたであろう、ここは秘湯なのだという気持ち。それは紛れもなく……本物だよ」


怒りのマグマが静まってゆく。なぜなら彼女の言葉が真実そのものだったからだ。我々は秘湯を求め、そしてたどり着いた。それは揺るぎない事実として心に刻まれているではないか。

泉源の水温が何度以上だとか、リチウムイオンやメタホウ酸が含まれているか否かとか、そんなことは一切関係ない。温泉というものは、そして真なる秘湯というものは、我々人類の心の中にこそ湧いてくるものだからだ。よって伝法谷温泉は秘湯だ。だれがなんと言おうと完全に秘湯だ。温泉法ごときに惑わされてはならないのだ。あと温泉法の公布は昭和23年であり伝法谷温泉の創業は昭和20年なので法の適用外となる。だから法律違反じゃなかった。しかしそれさえも、今となってはどうでもいいことだった。

住宅街を吹き抜ける風の心地よさを感じつつ、我々は帰路についた。往路の時とは打って変わって、なんとも静かな道のりだった。それはもう夜になっていたからだ。自動販売機の灯りがすごくアンニュイかつメロウだった。冒険の終わりとはそういうものだ。


温泉とはなにか。
秘湯とはなにか。

我々は認識を改める必要に迫られている。ホモサピエンスが古来より温泉を求めてやまない生命体であることは、考古学の研究成果からも完全に
明らかだ。しかし誤解してはならない。人間は温泉につかりに行くのではない。温泉へと帰還するのである。何故なら温泉は海と同じ、いわば生命の故郷だからだ。

その気持ちを忘れないためにも、ソニックパルスフィクションは秘湯をめぐる冒険を、これからも継続してゆく所存である。


※Photo by Jonathan Forage on Unsplash

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