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自分の文章に人が涙してくれたという体験

平凡な僕が書くエッセイにどれほどの価値があるのだろう。

未だに信じ切ることができず、ここnoteでは自分の記事に値段をつける瞬間に多くの方がぶち当たる最初の精神的壁だといいます。
ドラマチックな物語を創作できるわけでもなく、波瀾万丈な人生を歩んだわけでもなく、文章術を学んだわけでもない。
いったい誰がそんな僕のエッセイに興味を示してくれるのだろう。

もし、僕の文章に価値があるとするならば、一縷の望みとして、読み手と同じように日常を生きている僕の言葉は「共感」という感情を提供できるのでは、と思っていました。
そうなればいいなと思っていました。


今日大学時代からの友人宅で久しぶりに集まりました。
お昼から集合し、ご飯を食べながら、これまでの話しやこれからの話し。
気を遣わずとも何時間も場所を共にできる友人がいることは幸せです。

みんなもう30代半ば。
学生の頃の話題とはやはり違っていて、仕事や家庭、そしてこれからの生き方。
腹が出てきた僕ですが、変わってきたのは見た目だけではないようです。
考え方や身近な人、環境、いろんなことが変化しているという当たり前を、今更ながら実感しました。


メンバーの中には、未だ忘れられない恋を胸に抱えている友人がいました。
しかも2名。
「もう終わった恋ではあるけれども、忘れられない。
忘れられないけれど、そんな自分も大切にしたい。」

人はどこまで相手の辛い想いを共感してあげられるのでしょうか。
話しや情景をつぶさに聞いても想像力には限界があります。
話しを聞いているこの瞬間、僕も同じように辛い気持ちになることは不可能かもしれませんが、僕だって同じように恋愛で辛い気持ちになったことはあります。
そしてふと昔書いた自分の文章のことを思い出しました。
当時好きだった人を空港に見送りに行った気持ちを書いたモノです。
もう会えなくなるという別れの瞬間です。

辛い気持ち真っ只中の彼らへの共感を、当時の僕に託しました。
文章を自分で音読するのはさすがにこっ恥ずかしかったので、一人の人に読んでもらいました。

友人は文章を読み切る前に涙を流してくれました。
(うまい具合にランダムに流していたBGMがミスチルのバラードを流してくれたのも良かったのかもしれませんが)

今日はあの頃の気持ちをリアルに書き残しておけたことに、過去の自分を褒めようと思います。

また、今回のこのひと場面から、僕にとって思いがけない贈り物をいただきました。
「ありがとう」と言ってくれた友人ですが、僕の方が感謝です。
自分が書いた文章に人が涙してくれた。
そんな成功体験を初めて与えてくれました。
これからモノを書いていく一つの自信になりました。

文にして言葉で表現すること。
noteを毎日更新しながらその難しさを痛感しています。
書くことを諦めようとしたとき、友人の涙を思い出し、勇気を奮い立たせようと思います。
これからも誰かにとって価値のある文章を書けるよう文章と向き合っていきたいと思いました。

↓友人に読んでもらった文章↓


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