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選挙と投票の話「野球観に行こうぜ!」「OK」「どのチームの試合観るかはお前決めて」「は?」11/1462

職業柄、政治や選挙のことを常に考えているようなものなんですけれども、今回は世間でよくいう「みんな選挙に行こう!」的なことについて思うところを書きます。ひねくれてる、って思われるかも(笑)あ、一応、所属してる企業・団体の見解とは関係なくあくまで私個人の見解です、って断っておきますね…念のため。

「投票に行こう!」って言われたら、行く?

遅くともこれから2か月ちょっとの間に参院選があることは決まってますね。(衆参ダブルの話は今してもしょうがないのでしません(笑))4月にあった統一地方選や参院選みたいに大きな選挙の前によく世間で言われるのが「投票に行こう!」「一票を大切に!」的なやつです。選挙啓発、投票啓発といえばいいんんでしょうか。

この「投票に行こう!」がいつから世間で言われているのかは浅学の身なのでよく知りません。が、ちょろっとググって出てきた「明るい選挙推進協会(明推協:めいすいきょう)」のページだといわゆる「選挙啓発」は戦後まもなくは「投票に行こう!」というよりは選挙違反しないようにしよう、公正な選挙をしよう、というものだったらしいです。へぇ…。

つまり「投票に行こう!」が盛んになってきたのは投票率が下がってきた比較的近年(といっても20~30年くらいだと思いますが)の話のようです。その間いろんな人、団体がずーっと手を替え品を替え「投票に行こう!」をやってきたはずですが、時折ある「ブーム」で投票率が上がることはあっても基本右肩下がり(特に平成に入ってからは)。直近の国政選挙、2017年衆院選では53.68%でした。あぁ…

うーん、これは。「投票に行こう!」って本当にいろんな人が頑張って運動している一方で、「投票に行こう!」と言われても別に行かない、って人の方が多いんじゃないか、って思えてきます。それともまだ「投票に行こう!」の声が小さいんでしょうか。

「サッカーファンを野球観戦に誘ってる」感

「投票に行こう!」の呼びかけで多いのは「投票しないと意見が反映されないよ」「○○な損、デメリットがあるよ」「権利なんだからもったいない」「無関心でいるとこんなヤバいことが…」等々をよく目にします。特に関心を持とう、系の「投票に行こう!」からは結構感じるんですが、どうもこれにサッカーファンに「野球の試合観に行こうぜ!」って言ってるのと似たようなズレを感じてるのは私だけでしょうか。

はぁ?って思った方もいるかもですが。そもそも野球に興味ない人が「野球観に行こう」って言われたところで行きます?。私は野球ファン、祖父の代から三世代続く西武ライオンズファンでサッカーには見向きもしたことありません。仮に私が知り合いに「今度レッズの試合観に行こうよ!」「アルディージャの試合行かない?面白いよ!」って言われたとしても大方の場合行きません。(投票に行く行かないって話と全然違うだろ、って言われるかも(特に政治や選挙のことをよくわかっている方から)ですが正直興味ないことへの対応ってそんなものじゃないでしょうか…残念ですが…)

しかも、「投票に行こう!」だと大抵は特定の政党・政治家を推すこととは離れて「投票に行こう!」とだけ言われます。つまりこれがサッカー・野球の話だったら、

A「今度プロ野球の試合観に行こうぜ!」=「投票に行こう!」
B「(え~興味なかったけどAが言うし行ってみてもいいか…)あー、いいよ」
A「どのチームの試合観に行くかはBが決めて!」=「投票先は自分で考えて」
B「は??」
A「個人の自由だから!自分で決めて!」

というように奇妙な具合になるんじゃないでしょうか。

サッカーファンを西武の試合に誘う

サッカーファンに野球を観せたい―選挙に興味のない人に投票に行ってもらいたい―と思わせるにはどうすればいいんでしょう。私は「任意の野球の試合」に行こうと誘うんではなく「西武ライオンズの試合」を観に行こう、と誘った方がまだ観てもらえる可能性は高いんではないかなぁと思ってます。

ざっくりとした「野球」ではなく「西武」もっといえば特定の選手なんかでもいいかもしれません、チームや選手を観に行こうぜ、と誘う感じです。野球ファン(スポーツとかならなんでも換言できると思いますが)は巷にたくさんいますが、その多くは「野球」全般が好きというよりもどこかの球団や特定の選手、高校野球なら贔屓の高校を、それぞれ推しているのではないでしょうか。野球界全体のことを考えて野球ファンをやっている、という人は実際のところあんまりいない気がします(ゼロではないでしょうけども)。

だったら「野球」を観てもらうよりも「チーム」「選手」を観てもらうほうが早いのでは…ってな訳です。

この話の「野球」を「選挙」に、「チーム」「選手」を「政党」「政治家(候補者)」と置き換えるといかがでしょうか。

スポーツに興味ない人に西武の試合を観てもらうには

じゃあ、サッカーファンに、というかそもそもスポーツに興味ない人にどうやって西武の試合を観てもらいましょうか。私だったら「秋山っていうイケメンですごいヒットたくさん打つ選手がいてね」「西武ドームで売ってる飯がおいしくてね」「応援歌大声でうたうの楽しいよ」「山川と中村のホームラン、まじで美しいから」「暑い中で飲むビール最高」「今度所沢のメラド(※メットライフドーム、西武ドームのこと)じゃなくアクセスしやすい大宮で試合あるよ」とか言ってとりあえず一度は試合を観てもらおうとします。

あ、もっと大事だな、って思うのはそのスポーツに興味ない人に私が少なくとも嫌われてない関係であること、ってのも一つ。おそらくどんなに西武というチームやその選手の魅力、メラドの楽しさを伝えても私のことを嫌いな人は私の誘いでは絶対に西武の試合を観てくれないと思います。

一度ドームで試合を観てもらって、そこから「関心ない人」から「西武ファン」になるかはわかりませんが、その試合で何かしら面白い、楽しい、と感じてもらえたら、もしかしたらその人は西武ファンになってくれるかもしれません。そして同時に「野球ファン=野球に関心のある人」になってくれるかもしれません。

「野球ファンを増やす」というより西武ファン、ソフトバンクファン、楽天ファンを増やすように「政治・選挙に関心のある人」を増やす

政治・選挙に関心ない人に、どうやったら関心を持ってもらうか。どうやったら投票に足を運んでもらえるか。私は「選挙」「政治」の重要性を語るよりも個々の政党・政治家候補者がどんなこと考えているのか、何を言っているのかを理解してもらい、その上で自分はどこを・誰を投票先に選ぶのか、という一見遠回りに見える段階を踏んだほうが結果的に「投票に行く人」は増えるんじゃないかな、と思っています。

つまりは、これまで行われてきた「中立」「不偏不党」の立場からの「投票に行こう!」ではなく、政党や政治家候補者がどう「関心のない人」を取り込んでいくか、あるいは政党の政策や政治家候補者の考えをどのように「関心のない人」に届けるか・伝わる形に変換できるか、(あるいは政治家候補者を人間として身近に感じられるかどうか―ちょっとこの点は別の場で深められそうです…)ということのほうがより影響が大きいのでは、と考えてます。(もちろん、「中立」の立場から行われる投票啓発に意味がないという訳ではなく選挙そのものの重要性、政治に関心を持つこと、主権者教育が大切と思っているのは言うまでもないです)

翻訳する役割

と、ここまで好き勝手に書いてきましたがどう思われるでしょうか。私は「政治的な翻訳者」(←私が勝手に作った言葉です)でありたいな、と常々思っています。それは世間でよく聞く「政治に無関心でいられても無関係ではいられない」という言葉が示すように政治に関係ないことなんてないと感じるからです。

なのに関心がないという人が確実に一定数いる、というのはそもそも政治と自分とが関係ないと思っている、政治と自分との距離が遠い、と思い込んでしまっているからではないでしょうか。その間を埋める―政治的なことが身近な文脈に翻訳できる―役目でいたいと私は思っています。

という私自身に対するプレッシャーで今回は終わりにします(笑)ここまで読んでいただきありがとうございました!