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ミートソースは食べ終わったけれど話は終わらない②

前回(?)のnoteで続くと書いておきながら早数か月。書きかけのまま放置しちゃいそうでしたが不完全でも出せ、という言葉を思い出した気がしたので供養の意味を込めて公開しておきます。要望があったらさらに続きを書く日が来るかも…しれませんし来ないかもしれません。


企業/民間部門と公共部門の違いについても話が伸びてきたぞ

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最初に考えを巡らせた通り、民間部門と公共部門の違いから端を発した疑問だったみたいでした。

いよいよ政治じゃなくて経済学の話に入ってきたので内心ちゃんと説明できるかどうかがドキドキです。でもこうして考えてみると日本の大学教育における「政治(学科)」が、「政治経済学部政治学科」のように経済学と連結しているか「法学部政治学科」のように法学と連結しているかっていうのは面白いですよね。確かに法と経済、は政治と密接(不可分??)なんだなと。

まずは私的財と公共財の違いから。

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「財」ってのは世の中のありとあらゆる生産物のこと。

パスタ、小麦、水、道路とかの目に見えるモノはもちろん、
夜道の安全、携帯の電波、大学の授業とかの具体的な形はないサービスも「財」。形がないものも「財」?って思ったらサービスを使うチケット(は形があるよね)、ってイメージしてくれれば。
財にもいろいろあって、小麦、パスタみたいに俺が買ったら他の人はまったく同じものにはありつけない・食ったらなくなってしまうものもあれば、

きれいな空気とか、夜道の安全とか、別に俺がその恩恵を受けても他の人がきれいな空気がすえなくなるわけでも、他の人の帰り道が危険になる訳でもない、そういう財もある。

小麦・パスタみたいな財のことを「私的財」
空気、安全とかのことを「公共財」といいます
(ちなみにこの話はミクロ経済学入門でやります)

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↑これで財の競合性と排除性について説明できてるのか…な?クラブ財とかについてはちょっと混み入ってくるので割愛してます。

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 やっと民間と公共の違いを。

ビジネスセクターでは基本的に「私的財」をやりとりしてる。
モノの売り買いはもちろん、経営コンサルの○○さんにコンサルティングしてもらう、みたいなサービスのやりとりも(○○さんの時間を買うって捉えれば)「私的財」。
私的財の場合は基本的に他の人がフリーライドするってことはない
(俺が食ったパスタを誰かが俺の口に手をつっこんで食べるなんてことはないし、あったらそれはフリーライドではなく俺とその人との間でパスタをやりとりしたってことになる。)
けれど、公共財はフリーライドができてしまう。

またまた水路と水の例を使います。

仮に水路の流量がめっちゃ多くてそこに住んでる人が全員使ってもなんともないレベルの量とすると、
この場合の水路の水は、さっきのきれいな空気や夜道の安全みたいに誰が使っても他の人の水の利用にはなんも影響しないから「公共財」っていえる

もしもこの水路を誰か一人がめっちゃ頑張って作ったとしても、
みんなが少しずつ頑張って作ったとしても、
最終的に水路の水から得られる恩恵はみんな一人ひとり同じってことになる。誰がいくら使っても減らないから。

こういうとき水路を作るときに「俺一人くらい水路作りに協力しなくても他のやつがやってくれれば水にありつけるから手伝わなくてもいいよな」って誰かが手伝わないかもしれない。

同じことを全員が考えて誰も水路を掘らなければ水路は完成しない=水には誰もありつけない、ってことになる

・公共財にはフリーライド(ただ乗り)ができてしまう
・自由な市場に任せきりにしてたら公共財は生産されない(もしくは過少にしか生産されない

…ってことの説明です。

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ここまでが書きかけ。途中のものを出すのはなんとも恥ずかしいですがそもそもやりとりじたいが続いているのか続いていないのかわからないものなのでこんな終わり方でもいいんじゃないでしょうか。自己満足大切。

たぶんこの続きを書くとすれば投票行動とか、足による投票なんかの説明になってきます。

これ↓の9章とか、

こちらの3章とか。

パスタみたいにミートソースを絡めてお話するのは自分の力不足なのでまた書くとすればまた分けて書く気がします。それではそれでは。