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デブでも年商1億になるまでの軌跡

上京してから今に至るまで簡単にまとめさせて頂きました。

※3分で読み終わります。
 その後に詳細を書かせて頂いておりますので
 興味があり、お時間がある方はご覧になって頂ければ幸いです。


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上記の漫画で語られなかった僕の人生の詳細

みなさん改めまして数あるページの中から
訪問して頂きありがとうございます!


初めまして
体は重いけど
思いたったら即行動する
高橋@デブでも年商1億と申します。

趣味等は割愛させて頂きますが
一応おススメの漫画はまとめています。


一つでも当てはまれば間違いなく友達になれます!


さて、ここからのお話は長くなってしまいますが
少しでも興味あり、お時間がある方には見て頂ければ
より僕の事をわかって頂けると思います。



それでは長編スタート!



何も無い、しかしそれが幸せ

1994年1月15日これが僕の生まれた日。

僕は自然豊かで人の温もりが溢れた、
東北地方のとある田舎で生まれました。

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みなさんが田舎というワードを聞いて
想像する場所で間違いない事でしょう。

・電車やバスは無い
・玄関がフリーパス
・知らないうちに近所からのおすそ分けがある
・人数が少ないので全校生徒の名前はもちろん家も大体把握
・夏はカエルの大合唱
・野生のサル・タヌキ・カモシカが出現する
・ごく稀に牛が散歩している(もちろん野生ではない)

ここが僕の故郷だ。
都会では考えられないような環境で、僕は18歳まで生きてきました。


人として大切な事を教わった18年間

今では信じられないが、幼少期は体が小さくて弱く、
さらに喘息持ちだった。
僕の両親は共働きだったから、
もっぱら面倒を見てくれたのは僕のおばあちゃんだ。
心配も迷惑もかけたと思う。

小学校に入ってからは野球部に入部し
下手ながらに奮闘。

当時は野球が好きとか
体力をつけたいから入部!
とかではなく

田舎過ぎて野球部しかなかったのだ。


その流れで中学も野球部。
今度は本気のマジメなやつだ。

坊主にして毎日練習に明け暮れた。
現役最後の試合で、僕がラストバッターで試合を終わらせてしまったのは
今でも鮮明に覚えている。

それはチームメイトも同じだったようで
10年経った今も皆で集まればいまだに
この試合の話になるから肩身が狭い。

そんな部活仲間やクラスメイトそして両親におばあちゃん。
たくさんの人達に支えられて、
僕は何不自由なく平凡に少年時代を過ごすことが出来ました。


そんな中とある事件がおきた。

勉強

文字通りとなります。
勉強をまったくしてこなかったのです。
監督が厳しい方で武両道は当たり前。
テストなんて80点以上取れないと、
一週間は部活に参加できないという、厳しい現状でした。

しかしこのような環境を作ってくださっていたのにも
関わらず全く勉強をしてこなかったです。

部活に明け暮れ、一年が過ぎ、二年が過ぎ、
三年目の夏が過ぎ、秋が来た頃。
それは突然やってきました。

『高校受験を控えた、中学三年生の三者面談』です。
字面だけでも頭が痛くなりますよね。僕も痛いです。

そして、担任から言われた一言。

「高橋くん、このままだと行ける高校がないんです…」

時すでに遅し。
行く高校が無いという事実。

そしてあまりの成績の悪さに、引き摺られるようにして
家に帰り、全容が父に伝わったかと思えば、普段温厚な父は大激怒。

その事実に、僕はその時やっと
“自分はヤバい状況にいる!”と理解できました。

実際、父に怒られたのは人生で二、三度しかないからです。
恐怖を感じていられるのも束の間。

『高校くらいちゃんと出ろ!!』

この一言が強烈でした。

そしてその日の夜。
中学一年生の教科書を部屋の奥底から発掘した僕は、
職員室に入り浸るようになり、
何とか受験日までに基礎と少しの応用が出来るようになりました。

結果、250点いくか、いかないかの点数をとる事が出来
無事、工業高校へ入学を果たすことができました。


田舎過ぎるので
漫画やドラマのようなヤンキーもいないので
高校に行かないという
人生を振り切って生きるという決断を当時の僕は出来ませんでした。


ここで変化が起きます。
7年間続けた野球を辞めサッカー部に入部しました。
辞めたというのは聞こえがいいのですが
入学出来た高校は地元では野球が強くて有名でした。

どこでもエースを張れる人や
四番を任せられる様な人がゴロゴロいました。
そう、自分の能力じゃとてもじゃないが
ついていけないだろうと理解し早々に諦めました。

そんな形でサッカー部に入る事になりましたが
良い意味でも悪い意味でも先輩に恵まれ
普通の高校生だとあまり体験出来ないこともさせて頂きました。

若気の至りというやつですね。

そんな楽しく刺激的な毎日だったから、
受験であれだけ苦労したにも関わらず、
勉強からはまた一気に遠ざかった。本当に懲りないと思う。


恐ろしい事に高校は赤点というものが存在する。

赤点に怯えつつも勉強には手を出さない生活を送り、
赤点を取った時には心優しい先生方に助けられ、
何とか生き延びてきました。

今思い返すと本当に何も考えないで
のうのうと生きていた事を恐ろしく思います。

そうして

僕はまたやらかしました


工業高校という事もあり、生徒の90%は就職するのがあたりまえ。
しかも、高校生は一回しか就職試験を受けることしか出来ない。
大学生とは違う、高卒の弱い所ですね。

とある大手企業の就職試験を受けに田舎から
東京まで面接を受けに行き全てが終わったと
ゆっくりしていました。

一週間後くらいでしょうか
急に職員室に呼びだされました。

いつもの事のようにクラスメイトは笑っています。
しかしここ1カ月くらいは就職試験の事ばかり
至って真面目に過ごしていたので
何をやらかしたのか見当もつきませんでした。

職員室に入り、学年主任に言われた一言。

「おめ~落ちだど、どうする?」

学年主任の訛り口調が頭にスッと入ってきた。
落ちた。落ちた。就職試験に落ちた。

基本的に、皆試験は一発合格が当たり前。
その中で僕は落ちた。しかも第一号。

僕は指定校推薦というものを使ったのにも関わらず落ちたのだ。
それはもう内定が決まったも同然の代物。
なのに、落ちた。




とにかくつべこべ言っている暇はありません。
僕には就職するしか、生きる道はなかったので。

結局、工業業界では“良い”と言われている企業先は諦め、
就職試験が終わっているのに未だ募集されている
人気の無い会社を適当に選び、就職する事にしました。

結果
誰でも回答出来そうなテストと面談で数個質問に答え即日合格でした。

この2カ月後に地獄が始まるとは思っていもなく
あとは問題なく卒業するだけだとこれまた呑気に考え
高校三年間の幕が閉じました。

僕が18年間で学んだ生きて行く上大事な三つの事

・挨拶・礼儀・感謝

親から教えてもらったただ一つの事であり最も大切な事。

勉強出来なくていい
スポーツ出来なくていい
喧嘩してもいい
ちょっとした悪さならOK

結局最後大事になってくるのは人間性です。
挨拶や礼儀など誰でも出来る事。

だけど大人になれば出来なくなる人が多い。
この3つを忘れずに。
そして身近な人こそ絶対にやる事。
これが出来てれば何も出来なくっても
社会人として生きている。

これだけやれと教わった。

ビジネスをやるにしても徹底してやっていたからこそ
色んな人に助けてもらったと思っています。

・目的の無い人生は無駄

人生に無駄は存在しないのです。
しかし目的が無い人生は無駄だと思います。

少し矛盾しているでしょうか。
僕は就職に失敗しました。
その時はマイナスに感じるかもしれませんが
後になればプラスになる可能性があるという事です。

僕自身もしこの時合格していたのであれば
週休2日
ボーナス有
福利厚生もしっかりしている企業で働いていた事でしょう。

そう考えると僕はきっと今ビジネスをしていなかったと思います。
こういう点からも人生に無駄はないのです。

しかし目的が無い人生を生きていると
生産性無い
取り組んでいる事があるにしても定着率が低い
生きる熱量が低くなります。

まずは目的を定める事。
それに対して
何を
なぜ
どのように
どれくらい

など目的意識をしっかり決め
PDCAを回す事


これを行うだけより濃い人生が送れるようになります。

・やれば出来る

僕は18年間で色々なピンチがありましたが
案外やれば出来るなと思いました。

もちろん飛びぬけた結果を出すという点ではなくて
自分が目指す合格ラインへです。

諦めずに行動を続ければ絶対に成長していきます。
行動さえすれば失敗をしたとしても結果は出ます。

凄く抽象的になってしまいますが
やれば出来ると常に信じ込む事が僕は大切だと思います。



地獄の始まり・・・・

就職して一か月。
流石のバカでアホの僕でも気づきました。

この会社ブラックじゃね??         

仕事的には毎日が新しい発見だし、
多少危険なこともあるけれど、
今までの生活では体験出来ない事だらけで
最初は楽しかったです。最初だけは。

しかし上記の漫画でも描かせて頂いたのですが

余談ですが、上この世の中では3Kという言葉が存在します。
『キツイ・汚い・危険』。これが3K。

しかし、上記の漫画でも描かせて頂いたように
僕の職場の実態は5Kでした。

①きつい

②きたない

③危険

④臭い

⑤金銭的問題

この5つのK要素を併せ持ちながらも
生活リズムはカオス労働。

軽く実態についてまとめましょう。


・朝6時出社からの21時過ぎの帰宅(ほぼ22時)
・月に4日あるかわからない休日
・基本的にどんだけ残業しても手取り13万
(残業届けを出した時に18万。基本出すと嫌な目をさせるか受理されない)
・昔の職人さんが多い為殴る・蹴るは当たり前
(根本的に皆さん優しいんですけどね)
・行きの交通費は出るが帰りの交通費は出ない謎のルール
・会社から支給される作業着が買い取り
・仕事で使う工具も基本的に自腹
・退職届けを出した数日後に地方に飛ばされる
・地方から戻ってきて2日で退寮命令
(地方にいたので諸々準備・手続きする時間が無くホームレス確定)
・退職時に色々な理由をつけられ約25万ほどの請求が来る
(確かほとんど天引きされていて最後あまり給料無かった気がする)


などなど。
書いていて自分で笑うほどです。
半分愚痴ですね。
(何か不快に思った方がいましたらごめんなさい)

これが勉強をまったくせず
就職試験に失敗した当時の高橋の末路です。

冷静に考えれば
コンビニでバイトしていた方がよっぽどホワイトだと思います。

だけど自分にはやりたいこともないし
どんな仕事がむいてるかもわからない。

何より勉強して来なかったツケが今になって
まわってきたら自業自得だと思っていましたし
そしてなにより
単純に辞める勇気がありませんでした。

だからこそ決断の重要性がもの凄くわかります。

【当時貰っていた実際の給料明細】     

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明細が汚いのはごめんなさいです。
   
過去の事に何をいっても無駄だけど
しかしながらこの明細はだいぶ補正されてる。
   
実際はもっとやばい(笑)


ある一冊の本との出会い

そんな最悪な会社に呑み込まれ、怒涛の日々を送っていました。
そうやってくすぶったまま迎えた3年目の春だ。

僕がいつものように残業を1人でしていると
日頃から僕の事を気にかけてくださっていた現場監督が

「高橋君今日も残業?親方は~~?」

と話しかけてくださり
いつものように他愛のない話をしていたのですが
その時は少し真面目な話をして下さりました。

「高橋君って今いくつだっけ?」

「20歳です!」

「20歳になったなら大人としてちゃんと将来の事も
考えていかないとダメだよ。明日勉強になる本を持ってきてあげる」

「何か変わるかもしれないよ。」

と言われました。

勉強嫌いだった僕は勿論、本なんて好きなはずもなく。
いらねーと思いつつも、彼が“現場監督”というのもあり、
僕は次の日渋々お借りすることになりました。


ご存知の方もおられると思いますが
そのお借りした本があの有名な

「金持ち父さん貧乏父さん」

です。
ご存知の無い方は、是非読んでみてくださいね。


とはいえ、本は苦手だし嫌いだしと思い
借りた手前読まなきゃと思い帰宅後読み始めました。

きっと20ページほどでしょうか。
読み終えた所でそっと本を閉じました。
結局挫折してしまったのです。

言葉の意味などの難しい事よりも、
本への嫌悪感が先行して内容が頭に入ってこないのです。


それから何もしないまま2ヶ月。

とある日曜日。
ここ半年の日課になっていた
転職サイトを見るだけ見るという行為を行っていました。

そんな時ふと思ったのです。

『変化がないから何も変わらない。
だから毎日同じことの繰り返しなんだ。』

ようは今の自分の言葉に直すのであれば
行動しないから当然結果は変わらないという事です。

当時の勇気の無い僕は
いきなり転職活動の勉強や実際に面接に行くのは
気が引けるのでまずは何か小さな事をしようと思いました。


そこで
「何か変わるかも」と
言って頂いた言葉を思い出し
本を読んでみるという小さな小さな【行動】をしてみました。

とは言っても
やはり本を読むのは苦手で
読み終わるまで1ヶ月弱かかりました。
苦手などと言い訳をせずに
読むことを辞める事はありませんでした。


けれど、諦めずに読み切った事は、僕の自信になりました。
小さいかもしれませんが、
初めて自ら行動を起こしからこそ新しい結果が生まれたと思います。


読み終わった後
自分の価値観が変わったのです。
新しい世界に飛び込んだとでも言っていいくらいです。


こんな事もあるんだ!
こんな世界もあるんだ!
自分見てる世界小さっ! 
などさまざまな感情が湧いてきました。

僕は、なかば興奮気味に現場監督へ自分の変化を語った。

すると、現場監督の協力もあり見る見る行動が変わり始めた。

ご協力を頂きながら
自分の世界を広げる為、
使える休みは全部
セミナーに出てみたり
人脈を作るパーティーに出てみたり
人と会うという事から始めてみました。

本を読むという所から
人に会うという新しい【行動】を起こす事が出来たのです。


この行動を始めた時期に成人式がありました。
(僕の地元は夏に成人式を行います)

地元に帰省して友達を含めいろいろな方にお会いし
改めて地元の素晴らしさを強く再認識出来ました。

そして、初めて自分の人生の目的が定まったんだ。

『この地元を活性化させてずっと残したいと』


地元パワーを貰った僕はやる気に溢れる中、行動を再開しました。
そして都内に帰ってきたところで再認識したことがあります。

都会はおっかねえ

都会はキラキラしている中に恐怖がたくさん存在しています。

行動する中たまたま地元が近い人と出会いました。

・地元近い
・同い年
・共通の友人がいる
・趣味が一緒
・金持ち父さん貧乏父さんを読んでいる←

まさかこんなに共通点があって
読んでいる本まで一緒なんて、、、、

僕は一気に距離が縮まりました。

その子が普段よくしてもらっている
社長さんがいるから紹介するよと言ってくれました。

今までも行動してきましたが
初めてこれチャンスかも!!!と思い
機会をセッティングして頂きました。

その日を緊張しながら待ち続けました。
そして場所はタワーマンション。

田舎から出てきた僕は震えあがりました。
これが俗にいう成功者の家か。

いよいよ緊張の瞬間。
いかにも金持ちといった風貌ではなく安心しました。

勝手ながらかっちりとした、
凄いブランドのスーツとか着ているんだろうなと思っていたのですが
思った以上にラフな格好をされておりました。

その方が金持ち父さん貧乏父さんに書いている事を
より分かりやすく嚙み砕いて教えてくださりました。

シンプルに言えば
ビジネスオーナーになって権利収入を得よう。
誰もが簡単にビジネスオーナーになれる
仕事があるという内容でした。

はい。
MLMです。
日本では連鎖販売取引と言われ
メジャーな言葉ではマルチ商法と呼ばれるものです。

無知の僕はブランディングにまんまとハマり
権利収入やべー
タワマンやべー
高級車やべーとなったわけです。

行動という意味では正解ですが
中身の無い行動は本当にもったいないですからね。

魅了された僕は次の日にはサインアップしました。

簡単に説明すると
MLMというビジネスモデルは
誰かに会ってお話をするお仕事です。


しかし冷静に考えてみてください。

・朝6時出社からの21時過ぎの帰宅(ほぼ22時)
・月に4日あるかわからない休日

そうです。
始めてから気が付いたのですが
僕は一般の企業で働いている方より
人にお会いする時間を作りにくいという事実を。

20歳高橋。
相変わらずバカ丸出しです。

権利収入というパワーワードにやらてた
僕は空いた時間は人に会うようにしていました。

そんな中で僕自身勉強をし世の中には
たくさんのビジネスモデルがある事に気が付きました。

気付いた時には色々美味しいお話が転がってきていました。
なんでしょうね。引き寄せの法則ともいうのでしょうか?

・FX商材
・アフィリエイト商材
・ダイヤモンド(これに関してはなんで買ったか未だにわからない)

ただでさえ時間の無くお金に困っていた僕は
色々な言葉に踊らされ片っ端からマニュアルや教材を買いました。

ここで一つ忘れてはいけない事があります。

皆さんは覚えていらっしゃいますか?
そうです。

・基本的にどんだけ残業しても手取り13万

想像通りです。
借金生活のスタートだ。

別に稼げれば問題が無かったのですが
そもそもとして理解が乏しい自分にとって
教材?マニュアル的なだけ渡されても
前に進むのが大変なのです。

前に進むのですら大変なので
もちろん収益化なんて夢の又夢です。

それでも、不思議なことに僕は誰も恨まなかった。
痛い目を見たけど、これも勉強代だ。
この人達との出会いは無駄ではない。
そう思えたんだ。この決断をしたのは、他でもない自分だったから。

このような事を続け2ケ月。

気が付けば借金は250万ほどに。

請求書を見る度にため息が出る。

ラストチャンス

借金を抱えため息しか出ない日々。
不安と恐怖に震える日々。

しかし過去は変えられない。
前に進むしかない。

けれど、知識もセンスも無い。
僕には何をしたらいいかなんて見当もつかず、巡り巡った挙句
何を思ったのか、僕はまた人に会うことを始めました。


そして11月初め一人の男性とお会いしました。


第一印象はチャラい。

でも聞くだけ話を聞いてみよう。


お話しさせていただくと凄いという言葉しか出て来ませんでした。

よくよく思い出せば、
今まで会ってきた人達が話すことと言えば、
自身のビジネスの事ばかり。それって自慢話。


しかしこの方は初対面にも関わらず
何もない自分に本気で向き合ってくれて
自分の駄目なところをビシバシ容赦なく指導してくれた。
ありがたい出会いだった。

何よりモデルも大事だけど
ビジネスという
お金を作り出すということの本質を理解しなければならないと
僕に教えてくれた。これまで僕が身につけようとしてきたのは、
本質を無視した手段だけだったのだ。


僕はこれが本当のラストチャンスだと思い
その方に弟子入りさせて頂きました。

ここからは意味のある努力をしようと、僕は決意を新たにしました。

中身の濃い努力。

借金もあるので、足は止めていられません。行動あるのみ。
そこからは怒涛の日々を過ごした。


当時の僕のスケジュール
6:00~22:00
 仕事 
お昼休みの1時間 
10分でご飯食べて50分睡眠  
15分休憩×3 
メールのチェック 帰ってからのやる事リスト確認
行きと帰りの往復は常に音声や動画を聞いている

22:30~23:30
お風呂 ご飯 洗濯など

23:45~4:00
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情報収集
課題
明日のやることリスト整理

4:00
就寝

このような生活を続けました。
もちろん寝落ちしてしまう事もありました(笑)

そんな生活を続け、3ヵ月。

驚きの結果に。
今まで1円も稼ぐ事が出来なかった僕が、
何とアフィリエイト報酬で30万ほど稼ぐことが出来たのです!
自分が一番ビックリしました。


何も無い人でも素直諦めずに行動する。
たったそれだけで、人生が変えられるのだと、実感した瞬間でした。

結果が出たので会社を辞めようと決意。

ところが、さすがブラック企業。
そう簡単にすんなりと僕を辞めさせてくれなかった。

退職届けを出した数日後、なぜか地方に飛ばされた。
一体、何の嫌がらせだ……?

そして、やっと戻ってきたと思ったら
2日後には住んでいた寮を出るように言われたのだ。

家の無いフリーランス誕生


21歳にして家が無くなりました。

当然、地方に行っていたので
新居を探す時間などなかったから、あっという間にホームレス確定。

慌てて地元から都内に上京している友達に電話をした。

しばらく泊めてもらうことを快くOKしてもらった。
やっぱり僕は人に恵まれている!!
本当に感謝だ。


そこから借金を返済しつつ資金も貯めて
環境を整えながらフリーランスとして進んできました。

そこから色々な経験をしました。
・営業代行
・テレアポ代行
・マーケティング
・システム開発
・アフィリエイト
・物販
・為替投資
・事業投資
・コンサルティング

この経験を元に事業の拡大をしてきました。
もちろん書ききれないくらいの失敗もしてきました。

デブでも年商1億

それらの経験を元に、
地道に拡大し、今現在、年商は約1億円だ。

毎月
・コンサルティング 500万
・コミュニティ運営 300万
・事業投資     150万
・アフィリエイト  50万

ほどの売り上げを上げる事が出来るようになりました。
※まあ、あくまでも売り上げですので
ここから人件費・賃料・維持費・税金などがガッと引かれるんですけどね。

羨ましいって思った人もいたかもしれません。
しかしながら会社経営ってそんなに甘くない。

自分一人が暮らすのに十分なお金を稼ぐくらいだったら、
フリーランスで十分だ。
でも、僕には大きな目標がある。

平成から令和に変わった途端
とても勢力の強い台風が関東を襲い
世界ではイギリスのEU離脱が話題になりましたね。
中国を中心にコロナウイルスが猛威を振るい
世界的にもコロナショックと呼ばれ
NY市場でも暴落が起き、続いて日経平均や仮想通貨市場の暴落。

誰もが想定していなかったことが“普通に”起きるのです。

それが身近なものか、
遠い他人事のようなものなのか。それは人それぞれだと思います。

しかしこれからの世の中は、暮らしていくのも一苦労。
そんな厳しい時代へと確実に突入していくでしょう。 


そんな時、もしあなたに会社や組織に依存せず
 自分自身の力で「お金を稼ぎ出す力」がなかったとしたら?

僕は怖いです。

だからこそ、僕は人生に“目的”を求めます。

目的が無い人生を生きていると
生産性の無い取り組んでいる事があるにしても
定着率が低い状況になっていきます。

まずは目的を定める事。
それに対して、
『何を、なぜ、どのように、どれくらい』

PDCAサイクルを回すことで
少しでもその目的にたどり着けるようになる。

改めて思うのですが
僕は、僕と関わってくれる人の為に役に立ちたいです。
周りに生かされているというのを身をもって体感したからこそ
湧き出る感情だとも考えております。

どんな環境・状況下でも自分で考え、お金を生み出す事が出来る。

それを成し遂げる為には『対応力』と『考え方』
身につける必要があると、個人的には思っております。


そして今の時代は、昔よりも
インターネットや金融な文明の発展があることにより稼ぎやすいです。

昔の様に、自分で何か商品を作り
それを実店舗などで売る事もしなくていい
のです。
本当に便利な世の中です。


インターネットを使えば自宅で稼ぐ事が可能ですし
色々なサービスを組み合わせれば
自分が思いついたアイディアも簡単に再現しやすいです。

商品化も、間違いなく簡単な時代になっています。

断片的に見たら不遇な時代と思えるのかもしれません。

だから、まず感謝しよう。こんな時代に生まれたことを。
そして、日本という国に生きているだけで、
世界の富裕層側の人間にどれだけ近いことなのかを。


どれだけチャンスに恵まれて
どれだけ自分の頑張りで這い上がれる社会にいるのかを。


僕が今後やっていきたい事


最後に僕のこれからの目標を二つ語らせてほしい。

一つ目は
シンプルにお金を稼ぐ事です。

別に贅沢をしたいとか何かが欲しいとか、そういうことじゃない。

喜怒哀楽どんな感情な時も
お金があれば大概の事は解決出来るのが事実です。

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これは、コロコロコミックで連載していた
『でんぢゃらすじーさん』の一コマ。

まさに本質だと僕は思います。

どんな状況でもお金が無ければ困ってる人を助ける事が出来ないです。
何より自分の命を守る事も出来ません。



例えば、お子さんがいるなら、良い教育を受けさせたいと思うでしょう。
例えば、親孝行をしたいと思うのならその為の費用が必要です。
例えば、大切な人に好きなことをさせてあげたければその為の資金が。
例えば、身内で病気の人がいれば、治療費が。

考えれば考える程、お金が必要な場面はたくさんあります。


だからこそ、お金はいくらあっても足りないと考えています。

あとは面白い事業があれば投資して、
一緒に色々な世界を見て
自分では作る事が出来ないサービスや商品をたくさんの人に届けて
少しでも幸せだな、便利だなと
思ってくださる方を増やしていきたいですね。

2つ目は
地元を中心に、方々の地方に貢献する事です。


20歳からの夢です。

本当に何もない所です。
高齢化が進み、自分を含め、若者が働き口や勉強の場を
求めて県外に出ていってしまって、人口は著しく減少。

これは地元に限らず、どの地方でも同じことが起きていると思います。

しかし、いい場所やサービスや商品。
価値あるものが眠っているのも事実です。

今までたくさんの企業が挑戦してきた事でもあるのですが、
それを届けるという意味でのルート開発等をするのが当面の目標ですね。

その場所に行く為のルート、生産者が消費者に届ける為のルート。

色んなルートがあり、それは一つじゃ足りないかもしれない。

勿論、僕1人の力じゃ限界がありますので、
まずは僕に共感してくれる仲間を
時間をかけてでも作っていきたいですね。

最終的には、自分で雇用出来る働き口を作り
若い人がそこに就職し、住んでくれて
温かい幸せな家族を作れる環境を整える事が出来たら最高だと思います。


この二つが目標です。
だから、僕はこれからも歩みを止めない。
そして、人との縁は大事に。感謝を忘れずに生きていく。

まとめ

~簡単な経歴~
・田舎に生まれる
・スポーツと漫画とゲームが好き
・彼女無し
・太っている
・工業高校出身
・18歳春 よくわからない電気工事の会社に就職
     手取り13万(経費実費)
     6時から22時勤務
・20歳夏 友達に進められMLMを始めるも三か月で辞める
・20歳冬 キャッチセールスに引っかかりダイヤモンドを買う
・20歳秋 総額借金300万 本気でビジネススタート
・21歳春 脱サラ
・26才  年商1億の会社を経営している


長くなりましたが、僕の人生はこんな感じです。


最後に一つだけ。

人生は大体、70万時間くらいです。

ここまでの文章を読んでくださった方は20~30分ほどでしょうか。

もっとかかった方もいらっしゃるかもしれません。
冒頭から飛ばして最後に来ている方も、
冒頭で辞めてしまった方もいらっしゃるかもしれません。

時間の大小はともかく、
そのどれもが僕の自己紹介を読む為に時間を使って頂いています。

この20分も大切な時間です。
人生レベルで見たらたった20分かもしれません。


ただ、時間は有限です。


無限にあるなら大切にしないかもしれませんが、
限られているものは大切にしなければいけないです。

時間はこれを見てくださってるいる
あなたでも、僕でも、富豪でも同じです。

その同じ時間を有意義に過ごすのか、
勿体なく過ごすのかは自分次第です。


僕が今の生活があるのは諦めず努力した結果でしかないんです。

僕は20歳からビジネスを始めましたが

月収100万稼ぎます
タワマン住みます
高級車乗ります
いつでも旅行行きます
ブランド品買います


と言うだけ言って辞めていった方を
数え切れないくらいみてきました。


お金を稼ぐことを舐めたらダメですよ。
1円でさえも。

お金を稼ぐ事は本当に甘くないです。
SNSを含めたインターネット上には
色んな情報がありますし
生活している中で人と会い色々な話を聞く事があると思います。
中にはもちろん怪しい情報もあります。

僕はハッキリ言います。
お金を稼ぐ事は甘くないです。
なんなら厳しい道のりです。



じゃないと
普通の企業で働いていても100万くらい貰っても問題ないでしょう。

だけど出来ないって事は企業でもお金を作るという事は難しいのです。

だからこそ本気で努力し続けた人だけが勝てる世界なのです。

夢ばかりみていたらダメです。

その夢を夢で終わらせるのではなく
実現させるために【行動】してください。

個人的にビジネスや投資の世界は
「可能性を見る」世界だと思います。

今のまだまだ成長していない小さな自分で判断するのではなく、
もっと大きな視点を持って

自分がどういう風になりたいのか
どういう風な生き方をしたいのか

をしっかりと定めましょう。


一歩を踏み出した事により僕は失ったものも沢山ありました。

しかし行動を続けた事によって失ったものなんて
笑い話出来るくらいのたくさんのものを手に入れる事が出来ました。

あの時諦めていたらどうなっていたかわかりません。

絶対やってやるって
半ばやけくそな時もありました。

自分を信じて、可能性を追いかけてきて
本当に良かったと思います。

こんな僕でも出来たのだから
間違いなく誰でも出来ると心から思っています。

出来るようになるのは行動次第という事は忘れないでください。

以上が、僕の自己紹介となります。
貴重な時間を割き、最後までお読み頂きました事、心より感謝いたします。
本当に、ありがとうございました。


PS.
ここにきて約12,000文字近くになりました。

僕の人生を赤裸々に書いてきましたが
急に恥ずかしくなったのはここだけのお話です汗


■高橋@デブでも年商1億


Twitterをやっていますので
こいつ面白いと思ったら
フォローよろしくお願いいたします。


拙い文章にも関わらず
最後まで読んで頂きありがとうございました!!!!



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