見出し画像

札幌、街角、夜7時

相当、寂しかったのだと思う。

毎晩のように夜7時になると、私は薔薇の花1輪を手に街角に立った。
いや、別に花売り娘などではない。
男性を釣るために街角に立つのだ。

仕事終わりの男性たちが品定めするように私を見る。
「お茶でも」と声を掛けられれば私も男性を品定めする。
第一に清潔感のある人。第二になるべく爽やかな人。
互いの「品定め」が合致すれば、私は花を手渡して、にっこりと笑って見せる。

最初は駅ビルでお茶をして自己紹介をし合う。ティーカップの紅茶がなくなりそうになると男性は言う。「ここでお別れもなんですし時間も時間だからご飯を食べに行きませんか」

駅ビルを出て夕食。食べ終わると私はきっちりとディナー代金を折半して男性に渡す。男性は決まって「お金なんかいいですよ、要りませんよ」と言うがタダより怖いものはないと賢い私は知っている。

そして夕食のあとは大通公園を少しだけ夜の散歩。
この辺りが潮時。

このまま大通公園を過ぎたら歓楽街の「すすきの」に着いてしまう。
「すすきの」に足を踏み入れたらホテルに連れ込まれてしまうハメになる。だから、大通公園を歩いたら潮時にしなければ身を護れない。

今夜はありがとうございました、と丁寧に挨拶をして消える私。

お喋りと夕食の相手を探すためだけに危険な駆け引きをするだなんて、20代前半の私は相当、寂しかったのだと思う。
時に危うくホテルまで連れ込まれそうな時もあったし、自宅まで後をつけられたこともあった。そんなふうにしてまで街角に立つのをやめなかったことを今ふりかえると、あのころの自分をギュッと抱きしめたくなってしまうほどだ。

男性たちからお金を巻き上げるでもなく、体を売るわけでもなく、自分の紅茶代と食事の代金を払ってまで、しかも一夜限りの話し相手を探すために必死だったなんて、馬鹿なほどに可哀想で、過去の自分をギュッと抱きしめてあげたくなる。

いつからだろう、それを乗り越えられたのは。
何故だったのだろう。悪いルーティンから這い出せたのは。

寂しさを越えることができたのは、真実で揺るぎない愛情を知ったからだったかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?