縄文文化の「持続可能性」の五原則一和の精神と多様性が生む自然との和・共同体の和

一万数千年続いた縄文文化の「持続可能性

 一万数千年も続いた縄文文化が他の古代文明と異なるのは「持続可能性」である。立命館大学環太平洋文明研究センター長の安田喜憲著『森の日本文化』(新思索社)には、次のように書かれている。

<縄文文化が自然との調和の中で、高度の土器文化を発展させ、一万年以上にわたって一つの文化を維持しえたことは、驚異というほかはない。縄文文化が日本列島で花開いた頃、ユーラシア大陸では、黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明、長江文明など、農耕に基盤を置く古代文明がはなばなしく展開していた。…
 これらの古代文明は強烈な階級支配の文明であり、自然からの一方的略奪を根底に持つ農耕と大型家畜を生産の基盤とし、ついには自らの文明を支えた母なる大地ともいうべき森を食いつぶし、滅亡の一途をたどっていく。
 それに対し、日本の縄文文化は、たえず自然の再生をベースとし、森を完全に破壊することなく、次代の文明を可容する余力を大地に残して、弥生時代にバトンタッチした。それは共生と循環の文明の原点だった。>

 国連が提唱する「持続可能な開発」のためには、自然との和、共同体の和という「和の精神」が必要不可欠であり、SDGsを日本の「常若」文化で捉え直し、SDGsの経済圏・文化圏の土台である「生物圏」を中村桂子が提唱する「生命誌」の視点から捉え直す必要がある。
 そして社会圏の目標は「自然との和」、経済圏の目標は「共同体の和」という「和して同ぜず」「異なるものの調和」という「和の精神」で乗り越えて実現していく必要がある。縄文文化はそのお手本といえる。
 縄文人たちは自然を一方的に収奪することなく、自然の恵みの中で暮らし、その自然との和のもとで共同体の和も育まれ、以下の5原則が「持続可能性」をもたらした。

●「持続可能性」のための五原則

⑴ 自立性一共同体の和を生み出しを守るための最重要課題
⑵ 分散性一生命圏そのものの本質への随順
⑶ 適応性一気候・風土・植生に適応した暮らし
⑷ 循環性一自然の季節循環に従う
⑸ 緩衝性一自然の変動を吸収する仕組み

 第一の「自立性」については、各集落が食料やエネルギーを採集する独自の生存圏の中で暮らし、周辺の集落との連絡路が土砂崩れや火山噴火などによって遮断されても、すぐに生活が危機に瀕する心配はなかった。
 第二の「分散性」は、森や海など広域に多様な生命が分散しているという生命圏そのものの本質であり、自然の中で自立性を保つためには、分散性に随順した生活スタイルが必要不可欠といえる。
 第三の「適応性」については、各地の気候風土に適応した独自の食べ物や生活スタイルが、その地域の人々を結び付けて共同体を育てる。島田彰夫著『身土不二を考える一ヒトと人間の食と健康』(無明舎)には、次のように書かれている。

<伝統的な食事は、それを満足するまで食べた時には栄養もちゃんと取れている。適切な栄養の摂取ができたかどうかなど、いちいち考える必要がない。…それはなぜかというと、伝統的な食事は、一つの民族が何世代もかけて、どうすれば適切な栄養の摂取ができるかを追求し到達した料理の体系に基づいているからだ。>

 第四の「循環性」は縄文人の生命観そのものであり、近代物質文明には「循環性」という発想が欠落している。食料とエネルギーの循環性をいかに確保していくかが今後の日本の課題といえる。
 伊勢神宮は式年遷宮による循環性によって永遠の生命を保持し、田植えや稲刈りなどの農作業は季節の循環性に基づいて行われる。循環性とは、ものや生き物の寿命を乗り越える原則である。
 第五の「緩衝性」は共同体の和と密接に関係しており、和風建築の「縁側」は、内なる生活と外なる自然を繋げつつ、適度の緩衝性を保つ工夫といえる。持続可能性のためには、自然の変動を人間が生存可能な範囲に吸収する仕組みが必要であり、それが「緩衝性」に他ならない。

 この縄文文化の「持続可能性のための五原則」をいかに確保していくかが日本発SDGs・ESD・ウェルビーイング構築の最重要課題といえる。詳しくは、伊勢雅臣著『この国の希望のかたち一新日本文明の可能性』(グッドブックス)を参照されたい。

 
 
 
 


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