AIが教育に与える影響と倫理問題一人工知能と教育人材の養成一

●『教育AIが変える21世紀の学び』 
 教育現場で使われる人工知能の詳しい説明と未来の学校を考えるヒントが書かれているウェイン・ホルムス、マヤ・ビアリック、チャールズ・ファデル著『教育AIが変える21世紀の学び』(北大路書房、2020)」は、今後の指導と学習の新たなかたちを明示した良書である。
 同書はAIの発展が教育の「何を教えるか」と「どのように教えるか」に与える影響を論じたものである。指導と学習にAIが何をもたらすかを具体的な事例をもとに紹介した書籍はほとんどない。同書は教育AIについて多くの応用例を紹介し、さらに今後の可能性や倫理的問題までを詳しく論じており、新学習指導要領の学びをAI時代に対応した学びと捉え直し、より深く理解することを可能にするものである。
 東京学芸大学大学院は、AIが教育に重要な役割を果たす社会を見据え、それを支援する人材を養成する「教育AI研究プログラム」を開設したが、同大学の松田恵示副学長が教育のAIの利活用、さらにはAiそれ自体のリテラシーの教育を担う人材育成について論じた「付録・人工知能と教育人材養成」が同書の末尾に載録されている。
 同書に寄せられた国際機関からの賛辞を列挙すると、以下の通りである。
⑴ 人工知能は既存の価値を打ち壊す存在だが、教育がその最前線となりつつあることを理解している人はほとんどいない。本書は、嵐の海を乗り切っていくための助けとなる実に大胆な知的営みである!(OECD教育・スキル局副局長)
⑵ 政策立案者や教育者が人工知能について深く理解し、そこに何があるのかを教えてくれる、初の国際的、包括的な試みである(ユネスコ教育政策部長)
⑶ 人工知能がカリキュラムの設計や学習の個別化、教育評価にどのような影響を与えるかを解説しており、それらがもたらす興味深い未来(入試に終わりをもたらすことや、AIが生涯にわたる学習コンパニオンとなることなど)を誇大広告となることなく、垣間見させてくれる(ヨーロッパのスクールネット事務局長)

 教育振興基本計画の二大教育理念は、持続可能な社会の創り手の育成と日本社会に根差したウェルビーイングの向上であることが明記された。個人と社会のウェルビーイングの実現という役割を担う教育は、この時代のニーズに応えなければならない。

●人工知能と教育人材の養成
 2019年に始まった「COVID-19」の感染拡大時に見られたように、ICT技術の社会的偏在という現状が「格差社会」の象徴として現れたことは記憶に新しい。感染拡大防止のための「学校休業」という事態は、「学び」を支えるPC・タブレットなどの学習機器と通信環境という優劣の格差が「学び」「機会の提供と質の確保」の格差を生み出した。AI技術が逆に個人と社会のウェルビーイングを阻害する事態が生じかねない状況が生まれている。
 教育における「AIリテラシー」育成への普遍的な取り組みが、基本的な取り組みの一つとして強く求められている。「何を」「どのように」という取り組みと並行して、「誰が」という教育人材育成の取り組みが必要である。
 2015年からOECD(経済協力推進機構)が、「Education2030」という、これからの教育に求められる内容と方法を、広範な国際協力の中で検討する取り組みを進め、第一段階として、「ラーニングコンパス2030」という、そこでキーワードとなるコンピテンシーやエージェンシーといった概念と全体のビジョンの提案を行っている。
 第二段階の課題は、そうしたビジョンに基づき教育を革新できる教育者の要請と研修である。国際的な動向として、教員と教員以外のスタッフとの「チームアプローチ」による協働的な教育活動体制の構築が進んでおり、我が国では、新学習指導要領に基づく教育活動を進める際の枠組みとして、「社会に開かれた教育課程」や「チーム学校」というキーコンセプトから学校と学校外が協働的な体制を構築することを通しての、公教育の新しい方向性が模索されている。
 社会学者の堀内進之介東京都立大学客員研究員は『人工知能時代を<善く生きる>技術』(集英社、2018)において、そもそもAIに対する楽観論や待望論、脅威論を生み出すのは、人間と技術を区別し、技術は「人間らしさ」を体現しないと仮定するから生じていると指摘する。そして理性や意志に「緩やかに促進される環境」の中にこそ、期待すべき時代がAIによってもたらされているのではないかと論じている。
 そこで、前述した松田恵示は次のように結論づけている。

<AIEDによってもたらされる学習者の「学び」とは、学習者自身の道具に補助された高機能化による量の拡大ではなく、環境の拡張にとる「自身」の変化であり、自身の中に「他者」を見いだし、そしてその他者と「出会い」、より良い方向へと変化する営みを自ら生み出していくことであろう、この意味では、個別最適化された学習とは、スマートスピーカーの事例に類して考えると、ドリルの個別化によって自身の内部を「効率よく鍛える」ことが可能になったというのではなく、自身を取り巻く環境との相互作用の結果として、本書でも触れられたような学習における「熟練」と「転移」が、まさに実践的に経験されたという事態ではないだろうか。>

 最後に、AIEDの倫理について述べたい。AI技術の研究は飛躍的に進んでいるが、AIEDの研究者たちは、道徳的な基盤を十分に確立しないまま活動を行っており、その倫理的影響についてはほとんど考えていない。
 データはAIED分野に大きな倫理的問題を提起するが、AIEDの倫理の問題はそれだけでは収まらない。AIEDの倫理だけでなく、教育の倫理、指導と学習の倫理(特定の指導法アプローチ、カリキュラムの選択、平均値の重視、資金の分配、その他の多くのことに関する倫理)についても十分に理解する必要がある。最も重要なことは、AIEDの倫理の問題は完全に解決されなければならないということである。
 
 
 

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