茂木健一郎氏が英書で強調した「和み」の精神

●名作落語「芝浜」と「和み」の精神

 脳科学者の茂木健一郎氏が英語で出版した『ザ・ウェイ・オブ・ナゴミ』に、三遊亭円朝の名作落語「芝浜」の次のような内容の全編が英語で翻訳されている。茂木によれば、この落語はプーチンとゼレンスキーのように意見が対立し、立場が異なるおかみさんと熊五郎を一人の落語家が演じていることであり、これが日本独特の文化である「和み」の精神であるという。
 「芝浜」には、魚屋の熊五郎という腕のいい男が登場する。ある朝おかみさんが「あんた、起きておくれよ」と。「何だ」というと、「商売に行っておくれよ」と。「行きたくないよ」というのを無理矢理起こして仕事に行かせるのである。そして芝の浜に行ったら、財布が落ちていて、持って帰ったら何と50両入っている。これでもう、明日から遊んで暮らせるというので、酒を飲んでどんちゃ騒ぎをして、眠ってしまった。そうしたらおかみさんが「あんた、起きておくれよ」トイウノデ、「50両拾ってきたから大丈夫だろう」と言う。すると、「あんた、何を言っているの。夢を見ているの。そんなもの無いわよ」というのである。そして早く「商売、行っておくれ」と言われて、商売に行く。そこから熊五郎は「俺は酒のせいでこんな夢まで見るようになっちゃった」と心を入れ替えて、酒を断って一生懸命働き、ついに自分の店を持つまでになる。そしてある年の大晦日に、おかみさんが「お疲れ様でした」と言って「実は、あんたに謝らなくてはいけないことがある」と。「実はあんたは、あの時に50両持ってきたのだけれど、大家さんに相談したら、そんなものを自分のものにしたら大変な罪になるから、熊五郎には夢だったと言って誤魔化してしまえと言われて。でも、本当は、あんたは、あの時に拾ってきたのだよ」と言って、財布を出して50両を出すわけである。熊五郎が「俺が悪かった」というので、おかみさんが「あんた、今日はお祝いだからお酒を呑んで」と言ってお酒を出すと、熊五郎は「久しぶりだな。じゃあ飲むか。でも止めておこう」と言う。「え、どうして?」と聞いたら、「また夢になるといけないから」というのが落なのである。

●AI,道徳感情の視点から道徳の起源を探る

 東大大学院広域科学の客員教授でもある茂木氏は、数理的アプローチから脳科学について研究し、「脳科学から見た倫理、価値の起源」について考察している。茂木氏のライフワークは「クオリアと人工意識」で、意識がどう生まれるか、クオリア(意識の中の質感)がどう生まれるかがメインテーマである。
 5人を救うために1人を犠牲にすることが許されるのかどうかという有名な「トロッコ問題」がある。さらにそれがスイッチで線路を切り替えて5人がいる方ではなくて、1人がいる方に向かわせる場合と、橋の上に太った男がいて、その男を突き落として、落した男がトロッコを止めて5人が助かる、という2つの条件設定だと、1人が死んで5人が助かるというのはいずれも同じであるが、橋の上から男を突き落とすというのは、かなり抵抗fがあると思われる。
 能の部位で言うと、側頭葉と頭頂葉の接合部である側頭頭頂接合部で倫理判断が行われているという。この部位に深くかかわているのが感情で、感情とは脳科学的に言うと、不確実性に対する適応戦略で、後悔という感情は、眼窩前頭皮質で生じるという。
 後悔しているときに脳の中で何が起こっているのかというと、実際に起こった事実と、起こったかもしれないという反事実/仮想事実を比較しているのである。人生には何度も分岐点があり、こっちに行っていたらどうなったかなと考える後悔というのは、極めて高度な脳の働きであり、茂木氏は人工知能AIとの関係という視点から道徳の起源について研究している。
 AIは評価関数、すなわち人工知能に対して「こういうことが大事だよ」とということを人間が定義してあげると、AIはそれを最適化できる。ということは、人工知能においては、我々の価値観が問われているということになる。
 『AI親友論』を著わした京都学派の哲学者の出口康夫京大大学院教授、AIロボットのPepper君の感情開発にかかわった光吉俊二東大大学院道徳感情数理工学特任准教授と共通した視点、問題意識を茂木氏も持っていることが注目される。

●「和み」の精神の具体的事例

 茂木氏は同書で強調する日本独特の文化である「和み」の精神の具体的事例として、「和をもって尊しとなす」から始まる聖徳太子の17条憲法、明治天皇が崩御された後に、365種類の木を全国から集めて、当時の植物学者が工夫して、バランスの取れた人工林を作った明治神宮の森、天皇陛下が乗られrる特別列車の名前が「和み」トレイン、「生き甲斐」や「金継儀」「一期一会」などの言葉の母なる概念は「和み」などを列挙している。
 さらに、「ザ・ジャパンな抹茶と、ザ・ヨーロピアンなアイスクリームを混ぜ合わせて抹茶アイスのフレーバ―を作る、これこそ「和み」であり、インド料理のカレーとフランス料理のカツを組み合わせて作るカツカレーも同様であると指摘している。
 イギリスでは今、カツカレーが大ブームになっていて、ロンドンを歩いていると、「町で一番美味いカツカレー」と書いてあったり、イギリスの新聞が「なぜカツカレーはあんなに悪魔的に美味しいのか」と書いているという。「もう完全にイギリス人はカツカレーに制覇されている」という。
 興味深いのは、もう一つの「和み」の例として、我が国の与野党対立と海外の与野党対立とは異なると指摘している点である。ちょっと差し障りがあるかもしれないと断った上で、「官房機密費みたいなものがあるらしくて、それを野党の国対委員長なんかに配っていたのだと思うのです。その過程で、もちろん、政策も野党の主張を取り入れていた」と述べている。 

 
 

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