ウェルビーイング論に欠落している視点

●廣池千九郎「縦軸・横軸が調和する幸福」

モラロジー道徳教育財団の「道徳サロン」の拙稿連載76において、「道に志す」姿が廣池千九郎博士の理想とする生き方であり、縦軸の国家・家の伝統と横軸の社会・国際道徳の調和の上に「個人の幸福というものの基礎」を置き、「国民としての国家生活」と「個人としての社会生活」を充実させていくことが「道徳の基本」であることについて詳述した。
 廣池は『道徳科学の論文』第一巻において、「幸福を実現することを目的とするところの社会を実現するには、道徳によらなければならぬ」「道徳は因習的にして浅薄且つ形式的なものでは人類を救済する力なきことを覚り、いま一歩を進めたる古来東西の聖人の実行せられたる最高道徳・・・を人類一般に普及させねば、今後の世界を平和にして全人類を幸福にすることは出来ない」「真に権威ある道徳の科学的研究によりて、これを上下各階級の利己心に訴えて、道徳を行うものは栄え、然らざるものは亡ぶということを示して、その反省を促すほか方法はない」「各国民の利己心に訴うるところの道徳の科学的研究の結論に基づかなくてはならぬのであります」(20-22頁)と説かれている。

●ウェルビーイングの意味を問い直せ

 ポジティブ心理学のウェルビーイング理論は「主観的幸福観」を重視しているが、人類の安心・平和・幸福を目指した「古来東西の聖人の実行せられたる最高道徳」及び「スピリチュアル・ウェルビーイング」の視点から、ウェルビーイングの本質は何かについての科学的研究を深める必要がある。
 また、高齢化社会の到来により、高齢期に高まる物質主義的、合理的な世界観から、自分が宇宙という大きな存在につながっていることを自覚する超越的世界観へと変化する「老年的超越」の視点からも、ウェルビーイングの意味を問い直す必要がある。
 発達心理学者のエリクソンが身体的・精神的・社会的の3つの視点から分析し、心理的・社会的危機を乗り越えていくことを提唱した発達段階論によれば,65歳以降の老人期の発達課題は「自己統合と絶望」である。
 退職して人生の意味を見失って絶望し、老後に不安を抱え、精神疾患を発症する老人が増えているが、自己統合が絶望を上回った時に幸福感を実感できるようになる。

●「自己統合」と「老人の生き甲斐」

 「自己統合」とは一体何か? 魂の成長のために幼少期につらい経験をしたり、問題の多い親・家庭を選択して生まれてきた人が多くいるが、それ故に幼少期に深く傷ついたことで抱えてきた深い悲しみや強い怒りを優しく癒してあげる必要がある。
 人格形成に深く影響している闇の記憶と光の記憶、ネガティブな感情とポジティブな感情を統合することを「自己統合」といい、あれは良い、これは悪いとジャッジすること自体をやめ、執着を手放し、思い通りにいかないことでもそのまま受け入れて、自分以外の誰かをコントロールすることを手放すことによって魂の浄化が促され、目標や自分軸が定まる。
 この「自己統合」が老後の不安や絶望を上回る「老年的超越」の視点から、ウェルビーイングの意味をさらに深く掘り下げ、ホスピス(死が迫っている患者とその家族の苦痛を最小限にすることを主な目的とするケアのプログラム)やターミナルケアの視点から、「老人の死に甲斐」についても考察を深める必要がある。
 かつて私は作家の草柳大蔵氏と仙台テレビで毎月対談をしていたが、対談の前日に仙台のおいしい料理を御馳走になったが、草柳さんは一度も翌日の対談のテーマについて語ってくれなかった。ぶっつけ本番のトークでなければつまらないからだという。
 いつものように草柳さんは地元の常連メンバーとジョギングした直後にスタジオ入りし、目の前で着替えて、「今日のテーマは”老人の死に甲斐”にしよう」と言われて、頭が真っ白になった。私には何のアイデアもなかったからである。このことについては「道徳サロン」連載86の拙稿「人生五計説から『死に甲斐』について考える」を参照されたい。
 


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