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年齢

 ついに腰をやられました。
 右臀部に痛みの箇所があり、そこから足先まで痺れが走っている。いわゆる坐骨神経痛でしょう。先週木曜日に近所の整形外科医に行って診察を受けました。レントゲンはもちろんのこと、MRI撮影、リハビリのための腰部牽引、ストレッチメニューの作成と至れり尽くせりでした。
 ヘビーな翻訳を抱えているところに、この note のページを立ち上げたので、さすがに腰がへばってきたのでしょう。
 なにしろ今やっている翻訳の現著者の年齢が現時点で四十二歳、私の担当編集者もほぼ同じ年頃、このnoteの手助けをしてくれている娘も同世代、それに加えて、「フランスの女」を書いていた当時の私が四十二歳、よってたかって若さに責めあげられて、ついに腰が悲鳴を上げた。三十年ぶりのことです。長きにわたる生活習慣の改善によって腰痛は克服したと思っていただけにショックです。
 若さのエネルギーというものは恐ろしいものです。
 私が今取り組んでいるフランス語作品は二〇一五年の刊行ですから、作者がこれを書いている当時の年齢は三十代の後半でしょう。そして四十歳を超えたばかりの私自身の文章、どちらもとにかく若い! この二つの若さと同時に向き合っていると命を奪い取られていくような気がします。
 なぜ私は翻訳家になったか。なろうとしてなったわけではありません。
 前回投稿した坂本龍一についての文章の後半で、偉大な編集者だった彼の父一亀氏が手がけた本を列挙しました。あれはただたんに青春の愛読書を並べたわけではありません。
 誰もが経験することだろうと思いますが、青春は気がついたら過ぎ去っていたというような呑気なものではない。それは捨て去るものだ。痛ましい恋の思い出と同じように。
 だから、私も列挙したような本を捨てた。大学に残っていては廃人になってしまうと思い、小さな出版社に勤めた。そこに妻となる女性がいた。そして結婚し、子が生まれた。
 そして、何を思ったか、会社を辞め、アルジェリアに出稼ぎに行った。そこで見た地中海の碧さ、砂漠をわたる風、あの大空、太陽、月、青春の終わりに見たそれらのもの・・が自分の人生を決定した。
 Le vent se lève, il faut tenter de vivre.(風立ちぬ、いざ生きめやも)
 これはフランスの詩人ポール・ヴァレリーの「海辺の墓地」のなかの一説で、堀辰雄の訳で日本人にも親しまれている詩句です。
 堀辰雄訳のせいもあって、いかにも叙情に満ちた詩句のようですが、私はここに苦い、辛い、九死に一生を得た過去の一瞬を読んでいます。
 ヴァレリーはマラルメに師事した若き才人として、二十代半ばで「テスト氏」、「レオナルド・ダ・ヴィンチの方法への序説」などの作品をすでに上梓していました。でも、すぐれた文学作品をすでに書いていることと、いかにして生活の糧を得るかという問題とは別のことです。
 彼は雑誌社からの依頼でロンドンに出向きます。そしてロンドンのホテルの一室で、自分の将来を悲観して首吊り自殺を図る。でも、そのときたまたま自分が足をかけようとした椅子の上に置いてあった新聞のユーモア・コラムを読んで吹き出してしまう。そして、その笑いによって自死に傾く気持ちも吹き飛ばされる。
 Il faut tenter de vivre.(なんとか生きようとしなければならない)
 私がこの詩句から読み取るエピソードは、地中海の大空を渡っていく風ではなく、ロンドンのホテルの暗い一室に響く笑い声なのです。
 そして、フランスの女ジャンヌも、マチアスとの激しい交情の果てに駆け落ちを目論む。しかし寸前で破綻し、夫ルイの転任に付き従いシリアへ赴く。そこで彼女は砂漠に遭遇する。
 さて、どのような場面が展開するか。次回をお楽しみに。

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