高橋啓

翻訳家。北海道帯広市在住。40年東京で暮らしていましたが、10数年前に猫を連れて里帰り…

高橋啓

翻訳家。北海道帯広市在住。40年東京で暮らしていましたが、10数年前に猫を連れて里帰りしました。その猫も去年(2022年)秋に19歳で世を去り、老母もつい最近、高齢者住宅に入りました。翻訳三昧の毎日です。

最近の記事

ノートの勧め(その3)——余白について。

 結局、ここで言う「ノート」とは余白のことか、と思ったりもします。  もちろん、人によってノートをつける目的は様々です。取材ノートとか、料理ノートとか。でも、この場合のノートはメモと置き換えてもいい。  前回の投稿には「創造的なノート」というサブタイトルをつけました。メモというのは備忘録の一種、ヴァレリーがつけていたような「ノート」は、おそらく自分自身と対話するためのもので、彼はそのときの言語を「自我語」と呼んでいたほどです。公の場に発表する文章は、この「自我語」で考えたこと

    • ノートの勧め——その2 創造的なノート

      「ノートの勧め」の続きです。  軽い感じで書きはじめたのですが、ポール・ヴァレリーだのパスカル・キニャールだのの話をしだすと、にわかに文章が堅苦しくなってしまう。  そもそも、ポール・ヴァレリーって誰? と思う人もいるかもしれない。  娘には「夏目漱石みたいな人だよ」と超アバウトに説明したら、「あ、そうなんだ」という答え。  共通項は「国民作家」くらいしかないので、いかにもアバウト過ぎますが、くどくど説明しているとキリがない。関心がある人はウィキペディアを検索してみてくださ

      • ノートの勧め——その1

         前回は、目下取り組んでいるフランスの若手作家の『7』というタイトルの作品について触れました。一九八一年四月の生まれだから(ウィキペディア情報)、今年で四十三になる計算です。  この歳になって、自分の娘たちとほぼ同世代の作家の翻訳をすることになるとは思ってもみませんでした。この若さのエネルギーたるや、凄まじいものがあります。この年代の自分を振り返ってみても、怖いもの知らずというか、何もかも怖いから目を閉じて突っ走っていたというべきなのかわからないが、若さというのは、とにかく空

        • 新しい小説

           以前の投稿で、現在翻訳中のトリスタン・ガルシアというフランスの若手作家が書いた『7』という小説のことについて、ほんの少しだけ触れました(河出書房新社から来年には刊行されるでしょう、たぶん)。  なにしろ文庫本の原書で650ページもある大著なので(400字原稿用紙換算だと1300枚ほど)、ようやく三分の二程度まで達したところです。  長丁場の仕事なので、半分ほど先にゲラ(初校)を出してもらいました。前半の直しと後半の翻訳を同時に進めるという、初めての試みです。  そして、とて

        ノートの勧め(その3)——余白について。

          明治の人

           前回、小林秀雄という文芸批評家について触れたので、その続きを書くことにします。この人は「批評の神様」と言われ、かつては国語の教科書にも載っていたし、文化勲章やら褒賞やら、さまざまな文学賞を受けている人だから、今さら説明する必要もないくらいの有名人と言っていいだろう。  著作集や全集も、なんども版を変えて出版されているし、いろいろな編集で文庫版も出ていますから、本を一冊や二冊持っている人も少なくないだろう。  でも、この批評家に親しみを感じるという人はそんなに多くないかもしれ

          明治の人

          モーツァルト、弦楽五重奏曲ニ長調(K.593)

           最近、モーツァルトをよく聴きます。  とくに室内楽曲を好んで聴きます。  三回続けて、プルーストがらみの文を投稿しました。  若いときは、自分とは縁のない作家だと思って投げ捨てたはずのものが何十年もたってブーメランのように戻ってくる。  モーツァルトもそうかもしれません。  以下は六年前(2018年)にブログに投稿した記事に若干手を入れたものです。 *  初めてモーツァルトのレコードを買ったのは、大学に入ったばかりのころだったと思う。手許に残っているレコードは「アイネ・

          モーツァルト、弦楽五重奏曲ニ長調(K.593)

          『失われた時を求めて』の翻訳

           さて前回、プルーストについて、もう少し俯瞰的にみることにしようと「予告」したのはいいけれど、そもそも物事を俯瞰的にみるというのはそう簡単なことではありません。気が重い。  というわけで、気張らずに、肩の力を抜いて書いていくことにします。  まず第一に「必読書」なんてものはないほうがいい。楽しいはずの読書が苦役になってしまうから。「勉強」もそう。勉めて強ばるだなんて、よく見ると恐ろしい字だ。  でも、それは「近代」という時代の象徴だったのかもしれない。全国民が最寄りの小学校・

          『失われた時を求めて』の翻訳

          プルーストの話

           「マドレーヌ」 「忘れえぬ人々」と、プルーストにからんだ話が続いたので、さらに続けてみることにします。  半世紀ほども昔のことですが、私は大学の仏文科(専攻)に在籍していたので、マルセル・プルーストの畢生の大作『失われた時を求めて』は、ほとんど強迫観念じみた必読書のようなものとして存在していた。そもそもが長い。超長い——奇しくも2010年のほぼ同時期に刊行が始まった高遠弘美訳(光文社文庫)と吉川一義訳(岩波文庫)の双方とも全14巻である。おまけに文章が難解だし、作品全体の構

          プルーストの話

          忘れえぬ人々

           ふたたび、ブログ(新・十勝日誌/2020年1月27日)からの再録です(多少改稿しましたが)。新しい稿を書き起こしている余裕がないというのは、あいかわらずですが、この note への投稿を続けているうちに、自分の半生は「文学」との格闘だったのかなと思うようになってきたということもあります。それを追いかけたり、そこから逃げたり、あるいは追いかけられたり……。「文学」はもうオワコンかもしれない。でも、死んではいない。逆に少数かもしれないけれども、文学(カッコのないところに注意)と

          忘れえぬ人々

          「全翻訳リスト」について

           数日前、このページを編集してくれている娘(次女)が「全翻訳リスト」なるものを作り、ここにアプしてくれました。けっこう手間と時間がかかったにちがいなく、自分の仕事の合間を縫っての作業はけっこうストレスだったと思います。近くに住んでいれば、缶ビールの差し入れなどするところですが……。  このリストのデータは、じつは「新十勝日誌」(ブログ)の固定ページに載っています。ただし、刊行年の古い順に並べてあるので最新刊が最後になっているので、娘が最新刊がトップに来るように並べ替えてくれた

          「全翻訳リスト」について

          全翻訳リスト

          2021~ 『認知アポカリプス――文明崩壊の社会学』 ジェラルド・ブロネール/みすず書房 2023.4  『編集者とタブレット』 ポール・フルネル/東京創元社 2022.3  2011~2020 『言語の七番目の機能』 ローラン・ビネ/東京創元社 2020.9  『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』 オリヴィエ・ゲーズ/東京創元社 2018.10  『ルーム・オブ・ワンダー』 ジュリアン・サンドレル/NHK出版 2018.8  『世界のすべての朝は(特装版)』 パスカル・キニャ

          全翻訳リスト

          マドレーヌ

           今日投稿するのは、プルーストの『失われた時を求めて』のなかの、おそらくはいちばん有名な、冒頭数十ページほど読み進めていくと遭遇する一節です。三年ほど前にブログ(新・十勝日誌)に掲載した翻訳(私訳)の再録——例によって、新たに文章を書き起こす余裕がないので、苦肉の策です。そのころマドレーヌ・ペルーという歌手——日本の音楽業界ではマデリンと呼んでいるようですが——を知り、その歌をきいているうちに、ふとこの一節がよみがえったのです。  マドレーヌ・ペルーは、フランス人の母とニュー

          マドレーヌ

          『言語の七番目の機能』訳者あとがき

           これはけっして、柳の下の三匹目のドジョウではありません。  ついにローラン・ビネの第四作目『パースペクティヴ』(仮題。Perspective(s) ; Editions Grasset & Fasquelle, 2023. 東京創元社より来年刊行の予定)の翻訳に取りかかったからです。フランスの版元の触れ込みでは、ルネサンス期のフィレンツェを舞台に展開される「書簡体歴史ミステリー」とのこと。もちろん、ローラン・ビネのことですから、あっと驚く仕掛けが満載です。ちょっと早めの前宣

          『言語の七番目の機能』訳者あとがき

          『HHhH——プラハ、1942年』(文庫版)の訳者あとがき

           前回、『四つの小さなパン切れ』という十年前に出した本の訳者あとがきをここに再録したら、思いがけない反応があったので(現時点で❤️マーク14)、柳の下のどじょうではありませんが、すでに内容の一部を紹介した『HHhH』のあとがきも再録してみようという気になりました。これもまたいわゆる「ナチスもの」であり、戦争の「狂気」と真正面から取り組んでいる作品なので。  今回の投稿は、作者ローラン・ビネとの交友エピソードみたいなものを構想していたのですが、この手のものは書くのがとてもむずか

          『HHhH——プラハ、1942年』(文庫版)の訳者あとがき

          『四つの小さなパン切れ』(訳者あとがき)

           また以前出した翻訳書の紹介です。  時期は二〇一三年ですから、『オーケストラの絵本』の一年前ということになります。  こちらは何度も重版がかかったというものではありません。初版を出した年、すぐに重版がかかり、お、どこまで伸びるだろうと期待させましたが、一回きりの増し刷りで止まってしまいました。  なぜ、『オーケストラの絵本』のような庶民的な本の次に、ちょっと地味目な本を紹介するかといえば、今まさにパレスティナの地で戦争が勃発し、イスラエルという国とユダヤ人問題をあらためて考

          『四つの小さなパン切れ』(訳者あとがき)

          オーケストラの絵本

           新年第二弾は、すでに二つの作品について触れた、作家ローラン・ビネについて書こうかなと思っていたら、昔いっしょにたくさんの本を出した編集者から、10年前に出した本にまた重版がかかったという知らせが届きました。  この投稿のタイトルにあげた『オーケストラの絵本』という本です。  二〇一四年に初刷り、二〇二〇年に第二版、二〇二三年に第三版、そして今年早々、第四版と、着実に増刷を重ねてきた本です。  中身はタイトルそのまま、クラシックの大作曲家たちの解説とオーケストラの楽器たちを紹

          オーケストラの絵本