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「全翻訳リスト」について

 数日前、このページを編集してくれている娘(次女)が「全翻訳リスト」なるものを作り、ここにアプしてくれました。けっこう手間と時間がかかったにちがいなく、自分の仕事の合間を縫っての作業はけっこうストレスだったと思います。近くに住んでいれば、缶ビールの差し入れなどするところですが……。
 このリストのデータは、じつは「新十勝日誌」(ブログ)の固定ページに載っています。ただし、刊行年の古い順に並べてあるので最新刊が最後になっているので、娘が最新刊がトップに来るように並べ替えてくれたのです。しかも、十年ごとのブロックに分けて。まことにご苦労さんです!
 こうして、あらためて自分の仕事を振り返ってみると、一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけては、とにかく来るものは拒まずといった感じで、ただひたすら次から次へと翻訳していたことがわかります。リストを整理した娘があきれているので、あんたたちを食わせるために大車輪で仕事していたんだよ、と答えておきました。
 それに嘘も誇張もないのですが、少しお為ごかし的なところはあるかもしれません。以前の投稿でも触れましたが、この時点では翻訳を自分の一生の仕事としては考えていなかった。お金になればそれでよかった。あるいは自分の書いたものがお金に化ける(?)のが楽しくもあり、嬉しくもあり、鼻先にニンジンをぶら下げて走る馬のようなものだったというのが正直なところでした。
 あるいは、ひたすら逃げたと言っていいかもしれない。何から? 「文学」から。あるいは六〇年代から七〇年代にかけての自分の青春から。しかし、自分自身の影から逃げ果せるわけがない。徐々に影とその本体の距離が縮まってくる。パスカル・キニャールの作品群との出会いが決定的だった。
 娘が作ってくれたリストは、そのことをあからさまに突きつけてくる。たぶん本人以外にはわからないことだろうとは思いますが。
 でも、それは過去のことです。
 この note のページには「翻訳という哲学」とか「翻訳家の生活」とか、翻訳という言葉を含んだタイトルが並んでいることに気づいた読者もいることでしょう。このページは去年の夏あたりから娘との共同作業で立ち上げたものですが、最初のご挨拶のところで申し上げたとおり、ずばり、できるだけ多くの人に自分の翻訳を知ってもらい、一冊でも多く手に取って、そしてお買い求めいただきたいという、文字どおり現金な魂胆から始まったものです。
 でも、そんなふうに腹を括ったのも、この歳になって(古希!)、翻訳が自分の生涯をかけた職業であったということに今更ながら思い知らされたということでもあります。
(ヘッダーの写真は、2010年に帯広動物園で撮影したものです)

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