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知識化されていない経験と戦う

ここで「経験」とは個別具体的な事象のことを、「知識」とは一般的な事象のことを指すこととしたい。

とある木になっている、とある「りんご」が地面に落ちるところを観察した。これは経験である。しかし、他のりんごも、みかんも、羽も、鉄球も、何もかもが地面に落ちるところを観察した。このとき、これは経験ではなく知識となる(万有引力の法則)。

佐藤郁哉『ビジネス・リサーチ』(東洋経済新報社、2021)においては、事例研究を「事例について学ぶ」と「事例を通じて学ぶ」の2つに分けている。前者は経験をより精緻なものとする試みであり、後者は経験を知識化する試みである。

山内祐平ほか『ワークショップデザイン論』(慶應大学出版社、2021)においては、ワークショップにおける目標「活動目標」と「学習目標」に分けている。例えば「まちづくりのビジョンづくり」のワークショップであれば、参加者にとっての「活動目標」は、成果物である「まちづくりのビジョン案」である。一方の「学習目標」は「自分のまちについて知る」だったり「意見の異なる人々と協働する」だったりする。ここでは、活動目標は経験重視で設定され、学習目標は知識重視で設定される。

経験は、経験するだけでは知識とはならない。「りんごは地面に落ちる。よって、万物は地面に落ちる」では、論理の飛躍も甚だしい。経験は、当人にとってそれが重要であっても、他者にとってもそれが重要であるとは限らない。

知識は、経験を必要条件としているわけではない。知識は本を読んだり、他人から話を聞くことでも獲得することができる。しかし、経験の伴わない知識は、往々にして「机上の空論」である。経験を伴わない知識は、他者への訴求力を持たない。

仕事のうえで「事業を変える」ということを行うとき、それは往々にして「知識化されていない経験」との戦いとなる。「昨年はこれで問題なかったから」「変えてしまったら失敗するかもしれないから」。経験を知識化せずにいる人を、例えば「昨年の事業は、どのような点が良く、どのような点が改善を要するのか」という分析をせずにいる人を論駁することは極めて難しい。こちらが知識に基づき立論しようものなら「あなたは知らないかもしれないけど」と、自身の経験をつらつらと語りだす。

このような人に対抗する1つの方法は、自分も経験することである。これによって「経験の土俵」のうえでは、ひとまずの五分に持ち込み、さらに「知識の土俵」のうえで、自分の主張を通していく。

というわけで、今の部署の2年目が始まる。知識に基づき事業を変え、そして後任のために自身の経験を知識化していく1年としたい。それには、経験と知識のバランスを意識することが重要となるはずである。

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