常に「未来思考」で生きる 【過去にとらわれず、今自分ができることにフォーカスする】

人は過去の出来事にこだわる生き物である。

昔受けた仕打ちであったり恨みごとであったり。

しかしどうがんばっても過去の出来事は変えられない。

ならば「過去の出来事」を「未来の自分」に引きずらせないことが「今の自分」にできる最良の選択なのではないか。

今回は行動選択の要点について考察する。

なぜ「過去の出来事」にこだわるのか?

答えは「自分のプライドや価値観を守りたいから」だと思う。

うまり「自分が否定された過去」を事実として受け入れたくないのだ。

その感覚がいつまでもつきまとって、いつの間にか「自分が正しいことを証明」しようとする。

ある意味これは自分をモチベートするうえでは有効な手段になりえるかもしれない。

しかしよく考えると、この発想は「他人基準」である。

だからいつまでたっても他人の基準に自分が合わせることを追い続けるはめになる。

これはマイナスの過去だけでなくプラスであるはずの成功体験なんかも同じ。

たとえばよくあるのが「過去の武勇伝をいつまでも自分の実績としてひけらかす上司」タイプ。

いうまでもないが自分の実績をひけらかすことでその価値は落ちていく。

なぜならそれは求められたところで提供するべきものだからだ。

その武勇伝に価値を感じない人に自分が価値あるものとして押し売りしてもただ迷惑なだけである。

その時点で「昔すごかった自分は今でもすごい」という価値観を無理やり共有しようとしている。

大事なのは「未来の自分」のために「今の自分」がするべきことをする

言うまでもないが、過去の話をいくらすばらしくしたところで未来の自分が成長してくはずはない。

大事なのは常に「未来の自分」のために今できることを見極めること。

そして見栄やプライドは捨てて愚直に勉強や努力を続けることである。

見栄やプライドなんて捨ててしまったほうが他人への感謝をもちやすい。

そして他人への感謝を忘れない人は他人から感謝される人である。

そのことがさらにプラスのモチベーションを生むし、目標を近づけてくれる。

昔の功績や今の頑張りをまわりに押し付ける人はいわば「まわりの頑張りがみえていない人」である。

自分だけががんばっていると思いこんでいる裸の王様タイプ。

考えてみればわかることだが、本当に誰よりも頑張っている人はまわりから評価されるはずであるし評価されない環境ならしがみつく必要もない。

堂々と評価されるところで頑張ればいいだけである。

どう考えても頑張っているのに疲れた素振りもみせずに「いつもありがとう」といってくれる上司がいたら部下やまわりの人がほっとくはずもない。

それを自分から「いつも大変な仕事ばかりまわされる」と吹いてしまうからほんとうにがんばっていることまで小さくみられてしまう。

大事なのは「自分の頑張りアピール」なんかじゃなくて「自分ができることを自分のためにする」こと。

そして「自分のためにがんばる」ことならわざわざ人に言うこともないはず。

それが心の余裕を生み、まわりへの感謝を生み、まわりからの応援を生む。

これが本当の実績なのではないか。

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