自分の行動を結果にフォーカスして考える 【感情的にならない】

「人から嫌なことを言われた」とか「あの人は仕事ができない」とか。

これらの言葉はだいたいどの職場でも日常茶飯事的に飛び交っている。

もし今の環境でこれらの言葉を聞かないならばそれは素晴らしい環境だといえそうだ。

だがそうでなく、自分もこの言葉を言ってしまっているとしたら要注意である。

本当に自分がしてほしいこととはなにか?

なぜ悪口や愚痴が要注意なのかと言うと「問題の解決につながらない」からである。

それどころか自分の評価を下げかねない。

もし自分が上司で部下が思い通りに行動してくれないとしてもそれは半分は自分の指導力不足であるし、それを悪く言ったところで「あの人は自分の部下の悪口を言う人」だという評価になるだけである。

もし本当にその人の行動を促したいのならば、「悪口を言わない環境をつくる」ことが最良の行動のひとつではないだろうか。

このようにひとつひとつの行動に大きく効果がないとしても、それぞれは自分の目的に沿うように考えていかなくてはいけない。

それこそ相手のためであって自分のためでもある。

人を思ったとおりに動かそうとすること自体に問題がある

そもそも人を自分の思い通りに動かすことなんてほとんどの場合困難である。

もしそれが怒りにつながっているとしたらそれこそ不毛である。

たとえば「サービス業の店員の愛想が悪いので腹がたった」とする。

しかし本当に受けたいのは愛想なんかではなくそのサービスの内容のはず。

すこし日本を出て海外に行ってみれば店員の愛想なんてほとんどあってないようなものだし、ぼったくりがほとんどないこともある意味恵まれていたりする。

ようはお客様意識なんか捨てればいい。

それで自分の感情も波風たたないと思えば安いものである。

そもそも「自分に愛想良くすべき」などという発想は「自分は相手より優位な立場である」という認識から来ている。

たとえばもし自分が会社勤めをしているなら自分より上司に業務命令されることに愛想なんて求めないはず。

つまり「相手によって求める態度が違う」ということは「自分のこうあるべきだという偶像に縛られて勝手に自分の感情が揺さぶられている」だけなのである。

本当に意にそぐわないのなら無視して関わらないようにするのがなによりの解決のはず。

ここでも「自分の目的に沿った行動」という趣旨からずれないように意識するべきである。

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