ネットエイジ(現ユナイテッド)時代 IPOまでの道のり

2003年11月に管理部長IPO責任者として入社することになる。
当時は、自分でVCファドを立ち上げようと思い、会社を創って準備をしていた。創業者の西川潔さんと渋谷の権八でランチをして、IPOをするので手伝って欲しい。じゃー入社ね。と決められて思わず入社した。人生そんなもんんだなと思う。
2006年8月に運よく上場することになるが、この3年間は僕のビジネス人生にとっても、一番っていいほどのジェットコースターで濃密な時間となる。
当時の会社規模25人ぐらい、卒業するときはM&Aも繰り返し連結企業16社(異常)で250人ぐらいの会社になっていた。
やはり、この期間の一番の苦難は、ライブドア事件である。
個人として堀江さんとは接点はなかったが、創業者が仲良かったということもあり、当時同じ監査法人にお世話になっていた。
しかも、最終的に監査証明をサインしている2人が、ライブドアにサインしている2人で、のちに先生2名までもが逮捕されることになる、、、
当然だが、真面目に決算をやっていたし、粉飾なんてやる意識も1ミリも無い会社だったのだが、監査法人が消滅する事態となり、事実上白紙になった。
実は2006年2月に上場予定で進行していて、東証の最終審査が終わった状況で、目の前が真っ暗になった。
ある、日曜日に創業者の西川さんから呼び出されて、自分たちは何も悪い事をしていないのに、仲の良かった堀江さんが逮捕される姿をみて、おそらく心が折れたのか、はじめて弱音を聞いた。上場をやめると、、、すでに、株主、管理部門、証券会社、社員、いろんな人を巻き込んでいる中で、辞める訳にはいかない。必死になって説得して、なんとか継続してくれることになったことを覚えている。

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