悲願へ 5


 続きです。

 著者は松下幸之助の三つの特徴を一言にまとめると「崇高を目指す何ものか」ということになると言っています。「崇高」なんていうと山崎隆造の出身校・崇徳高校が頭を過ってしまいますが、著者はエドマンド・バークの著書から引用し「それは堅固で量感を持ち、人間に畏れを抱かしめるものであり……ごつごつして荒々しく直線的で暗く陰鬱である」と言っています。これはちょっと理解が難しいのですが、「現代がどのくらい崇高からはなれているかということが良く分かります。」とあったので、現代人にはなかなかしっくりこないのではないかと思います。「畏れ」とありますが、音だけで「おそれ」と聞いてしまうと、「人間に怖がられている」という解釈になってしまいます。しかし、ちゃんと調べてみると「怖がる」は「恐れ」で、「畏れ」には「近づきがたいものとして、かしこまり敬う」という意味があることがわかりました。「崇高」を目指す松下幸之助が、戦後の日本の出発にあたって、まずすべてを振り払って、それこそ清水の舞台から飛び降りた気持ちでまとめた思想がPHP理念だということでした。

 続いて「天命」の解説です。著者は「天命=宇宙的使命」であり、「神を志向する生き方」だとしています。「歴史上、価値のあるすべてのもののうち宗教性のないものはありません。」とありましたが、この辺りは宗教そのものについて、勉強しなおさなければいけないように思います。我々の年代で宗教となると、最近では統一教会ですが、オウム真理教など良いイメージを抱く人は少ないと思いますが、私も含めてそういうイメージを抱く人がどれだけ宗教について理解しているかと言えば、おそらくきちんと理解をしている方というのは稀有なのでしょう。話が宗教に寄ってしまいましたが、「天命」に基づく理想を踏まえて、「物心一如」が分かってくると、人類は「地球の主人公」になるのだと、松下幸之助は言っているそうです。「地球の主人公」とは、「新しい人間観の提唱」にある「万物の王者」とか「支配者」、「崇高にして偉大な存在」と同義なのでしょう。著者は今の人類の生き方を、「例えば原発や原子爆弾を作り、還元不能物質を作り、人類は自分自身で地球の塵芥(ごみ)になろうとしているのです。」と言っています。この辺りは賛否が分かれるところですが、この後原発関連の話が出てこないので、若干投げっぱなしなイメージを受けました。一方で、確かに「地球の主人公」とは言えないとも思えました。

 まだまだ続きます。

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