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キルケゴールを読んで絶望したあの頃

人生でいくつかあった衝撃の一つは、他の人からみたらすごくささやかに見えるだろう、ある一冊の本との出会いです。それは僕にとってかなり決定的な出来事の一つでした。下の引用がその本の冒頭部分です。

人間は精神である。しかし、精神とは何であるか?精神とは自己である。しかし、自己とは何であるか?自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である。あるいは、その関係において、その関係がそれ自身に関係するということ、そのことである。自己とは関係そのものではなくして、関係がそれ自身に関係するということなのである。(キルケゴール『死に至る病』)

そもそもなぜこれを読もうと思ったのかというと、忘れもしない高校2年の終わり頃、世界史の担当だった教員が「そりゃ別所くん、すべての学問の基盤は神学と哲学やで」とかポロッと言ったせいでした。そして最初の一冊にこれを勧めたのです。

今僕自身が教員という立場になってこのことを振り返ると、「なに考えてたんだ」と思わざるを得ないチョイス。感受性がキリキリに鋭い高校2年生に、「絶望」とか「死」について実存的に語るこんな本を勧めるなんて。僕ならやっぱり中二病をくすぐるニーチェか、あんまり難しい用語の出てこない「ソクラテスの弁明」あたりを勧めるだろうと思う。あるいは「ソフィーの世界」とかも良いかもしんない。なんにせよ、キルケゴールは悪手だ、と思うんです。でもこれが僕の人生にドカンとヒットしたのだから、むしろあの先生は慧眼だったのかもしれません。

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何がそんなに僕の興味を惹いたのかと言うと、上の引用の部分、ほぼ全部、意味がわからなかったからなんです。ほんとうに、出だしから段落完結まで、ここまで意味不明だったのは人生で初の経験でした。僕は最初「これは多分、文章が間違ってる」と思った程です。こんなわからない訳が無い。小学生でももうちょっとまともな文章を書く。おかしい、絶対へんだ。哲学の名著に直球の否定を突きつける高校2年生。あの頃の蛮勇が懐かしい。

で、僕は教員室に行って先生に問いただすわけです。「意味がわかんないんです、一文字も」と。そしたら先生、「これが哲学なんやわ、間違ってないで」とニヤニヤして言うだけで何も教えてくれない。キルケゴールにおける死に至る病とは「絶望」なんですが、僕はこの本を自体に「絶望」の具現化を見た気がしたもんです。それでも、間違ってないならと、少しずつ読み進めました。

はじめは呆然とし、次に苛立ち、ちょっと怒ったあと、妙な心持ちの変化が起こりました。あまりにも意味不明で、笑けてきたんです。徹頭徹尾、よくもまあここまで意味わからんこと書くよなあと。だいたい「自己とは、ひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である」ってなんやねん。関係が関係して関係のマトリョーシカになっとるわ。不倫テーマの昼ドラかってくらい、関係が入り乱れてる。やだこわい。

ってなったあと、その「わからなさ」を前にして、何日も何日も止まり止まり、まったく理解の進まないまま全部読み終えた時、なんだか妙な達成感が残りました。後に僕が哲学科を選ぶことになる理由がこの時に発生しました。「これ、ちょっとやってみたいかも。」

いや、やめとけ。哲学はやばい。今ならそう言うんですけどね。でもその時の達成感は、本当に嬉しかったんです。

その後大学の哲学科では、僕が「完全ど真ん中の普通人」に見えるほどの奇人ばかりに出会う羽目になって、あのときの達成感なんて早々に吹き飛び、慌てふためいて文学研究に逃げ出す羽目になるんですが、でもこのときの出会いがもたらしたある直観が、僕の人生をだいぶ変えてるんですよね。それは一言で言うと、

スッキリ分かる文章だけが、良いものではない

という、その後に至るまで多分僕を助けてくれることになる直観。

例えば市民セミナーなんかで「文章の書き方講座」みたいなものを受けたら、多分、段落の切り方やテーマの提示の仕方とか、論理展開とか例示の方法とかを学ぶことになると思うんですが、それとは正反対の何かです。

僕が得た感触は、言葉自身が「向こう側」へと簡単に繋がれずに格闘しているような、その震えです。それを手にした時、言葉は単に記号であることを辞めて、まるで地響きのように人の骨や肉に響くことがあるのだと。もちろん、そんなふうにクリアカットに理解できたわけではないけど、「何一つわからない言葉」を、「わかったふり」もせずに読み終えられた感動は、長く長く僕のことを支える経験になりました。

以後僕は、自分自身が文章を書く時も、次の2つのことを常に念頭に置きます。

1.他人に向けて書く時のわかりやすさ
2.自分に向けて書く時のわかりにくさ

多分、1は世間一般に言うところの「いい文章」だと思うんです。理路整然として、適切なユーモアがあって、「わかりみの共感値」がすごく高めの文章。その文章は、文章によって導かれるカタルシスも戦略的に計算されていて、極めてよく設計された高層ビルのような文章です。都市がビルを必要としているように、世界はそのような文章を必要としています。それは間違いないんです。

でも多分それ、僕が本当に手を伸ばして掴みたかった「何か」からはズレているんですよね。クリアにすればするほど、「伝えたかったなにか」は、切り捨てられた余剰として消えていく。他者への共振性を重視すると、自分との乖離が進んでしまうんです。文章においては。

本当に言いたいこと、本当に掴みたい何かは、自分でさえ分かっていない何かである場合が多い。少なくとも僕はそうです。僕にとって文章を書くとは、「わかること」の領域を線引する中で、次々に「わからないこと」が可視化されていく過程のように思っています。だから、僕は自分に向けて文章を書くときは、敢えてロジックや方法論は放棄して、意識の下のほうに没入します。深い場所に沈んでいる内側の何かを掴み取ることだけに意識を集中して。そうやって出てきた文章は、僕自身にも読みづらい、ゴツゴツした異形の「なにか」である場合が多いのですが、その切っ先は少なくとも何かを貫こうとしている。それを整形して、他者にわかるような過程を経て、ようやく「外に向けて見せることのできる文章」になるので、こういうことをやるのは本当に二度手間なんですが、でもその二度手間を経ないでは、僕は文章を書けないんです。いや、かけなかった。かつては。

そう、最近、それが徐々にできなくなってきたような恐怖があります。いつのまにか、僕の中の「自分」が小さく小さくなっていって、「他者」の存在が増している。SNSを通じて多くの人に文章や写真を見てもらうようになって、その人々の反応を意識するようになったとき、相対的に「自分」の声が小さくなって、もう聞こえないくらいにその声は小さい気がするんです。意識をどんなに集中してもそこに手を伸ばせないような。

村上春樹はかつてねじまき鳥クロニクルの中で「良いことは小さな声で語られる」と書きました。轟音が響きやすい今の空間の中では、「小さな声」、とりわけ自分の内側に潜む声に耳を傾けるのがすごく難しい。

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ところがそこにコロナがやってきた。少し他者の存在が引いたんです。もちろんコロナには本当にうんざりしていて、好きな写真だって撮れないし映画館にも行けない。友達に会うことさえできない。もし神龍がいるなら、二番目に頼みたい願いは「コロナをなくしてください」です。これは間違いない。

でもね、ガラッと生活様式が変わったこの毎日を生きていると、あまりにも過剰だった外の世界の重たさが、少し軽くなった気がするんです。もちろん、コロナは憎い。そこにまったくの異論の余地はないです。一瞬でも早くこのウイルスがなくなってほしい。ぼんやりした不安や抑圧の感触も、もう懲り懲りです。さすがに疲れ始めている。

でもこの過程で僕らは一度、自分を見直す機会を得ていることも確かなんです。少なくとも、僕は、自分が随分とすり減っていたことを、今になってようやく気づきました。コロナの世界において、機会は最小限に切り詰められ、それを最大限に活かせるように日々工夫をしています。できないことだらけの中で、何ができるか考える。自分にとって大事なものは何かを見直し、もう一度生活を立て直す。これまで忙しすぎて見返さなかった生活の細部を見直し、何が大事だったを思い出そうとしている。その経験を、コロナがなくなった後にも持ち越していきたい、そんなことを思うんですよね。

そしてそれは、かつて僕が文章を書く時に心がけていたことにそっくりだと、そして、いつのまにかやれなくなっていたことだったと、今日気づきました。自分自身でもよくわかっていないなにかに向けて手をのばす行為が、僕にとっては最も原初の「表現の欲求」の在り処だったなと。それを思い出したので、今日は備忘録として文章を残しておきたくなりました。

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