コスパ的思考と物語的思考の違いについて

先日、何かの記事を書いた時、「つまり逆張りすればいいんですね」というようなコメントを頂きました。確かに、その記事は一般的な考え方とは違う形で写真を撮ることをおすすめするような「逆張り」的な考え方で、それは間違いないのですけれども、コメントを頂いた時なんとなくモヤッとしていたんですね。そうなんだけど、そうじゃないんだよな・・・的な。その感覚がほんのり残っていたところに、先日こういう記事を読みました。

Twitterの方でもご紹介したんですが、「コスパ優先思考」の弊害に警鐘を鳴らす記事です。上の「逆張り」コメント以来、僕が感じていたのも多分こういうことだったんですね。

コスパを最優先にすると、あらゆる言説は、「つまり手短に言うと・・・ってことですよね」の枠組みに収まろうとします。不要な部分を取り除いて、必要な部分のエッセンスだけを抜き出し、わかりやすくまとめるために。これはこれで非常にいいところがあります。

そもそもコストパフォーマンスというのは、時間対効率とか費用対効率とか労働力対効率などの「効率性」を最大化するということなので、本来悪い発想ではありません。というか、資本主義社会においては効率の最大化は利益の最大化につながるわけで、最も必要な思考法なんです。でも、それが行き過ぎると息の根を止められてしまう思考がある。それが「物語的思考」なんですね。

「物語」というのは、小説とか映画とか漫画とかアニメとか、そういうものだけにとどまらず、あなたが誰かに自分の体験談を話すことも物語だし、我々が写真を撮るときの準備からSNSにアップするまでの過程もまた、「物語」として捉えられます。物語とはつまり、ある物事の流れの1ユニットと言えます。

そしてそうした物語を人に伝える時に大事なのは、細部をできるだけちゃんと忘れずに伝えるということなんです。例えば僕は、先日ある山の上で撮影をした時、三脚を現地に忘れてきました。なんでそんなことになったかというと、三脚を使わなかったからなんですね。とりあえず車から手に持って出たはいいけど、終始使わなかったせいで、現場に置き忘れちゃったわけです。

でも、写真を撮るという行為において、「三脚のある無し」というのは、写真家以外にはほとんど不要な情報です。普通写真を見るとき「この写真撮った時って三脚使ったのかな」とか考える人は、そんなに多くないはずです。僕だってそんなこと普段気にしません。

だから、この三脚を山の上に忘れたときの撮影の流れを人に話す時、コスパの最大化を考えるならば、三脚を忘れたというエピソードは不要になります。だってそれは、「成果物」である写真に対して何一つ重要な意味を持たないから。でも、「物語」を構成するエピソードとしては、この「三脚置き忘れ」は、やはり必要なんですね。誰にとって?僕にとって。なぜか。それは多分、この「三脚置き忘れ」というのは、最近の僕のある傾向を示しているからです。つまり「あまり三脚を使わない」という傾向。

こんな些末な傾向など、「成果物」である写真に対しては、再び不要な情報です。僕が三脚を最近あまり使わないことなんて、「コスパ」を考えるならば不要な情報なんですね。でもね、やはりこれは必要な気がするんです。徐々に僕にとっては形を取りつつある「身軽に写真を完結させること」という個人的テーマにつながる、いわば「スピンオフ」的なエピソードだからなんですね。

でもこのエピソード、もし書かれなかったらいつか消え去るんです。僕自身さえ、そんなことがあったこと自体忘れてしまう。書かれなかったことは消え去る運命にある。物事というのはそういうもんなんです。そして「物語」というのは、かかれなければ消え去る運命にあるかもしれない未来のなにかを、皆さんのもとにつなぎとめる形式なんです。

書いている本人にさえわからないけど、未来のどこかで大きな流れにつながっていく要素というのが物語の中には散りばめられる。「コスパ的」にまとめると、「つまりそれって手短に言えば・・・ですよね」という一言に還元できるかもしれません。手早く理解するためにはそのほうが良いのかもしれない。でもその還元で取捨されたエピソードが、その日の物語を構成する不可欠な要因であり、未来のあなたのなにかにつながる欠片でもありうるんですね。だから、取捨できない。

優れた物語作家というのは、常にそういうことを意識しているような気がします。そして優れた写真家もまた、僕のような凡人が絶景だけを見ている時、その下に広がる光景を同時に見ている。僕はあくまでも凡人なんですが、優れた物語作家や写真家たちが、普通の人が見落としてしまうような光を捉えた瞬間に気づけるようになりたいと思っているんです。

物語的思考というのは、こうしてあなたの日々に潜むすべての要素に対して、できるだけ耳をすませる思考という風に言えます。その過程を通じることで、あなたは「あなた自身の物語」を作るための過程を歩むことになります。それは他者と簡単には共有しづらい、伝えることも飲み込むことも難しい細部に満ちた、脱線と迷いの過程でもあるのですが、それこそがいわば、本当は最も愛すべき我々自身の日常そのものなんだろうと僕は思ってるんです。

やばい、3時間目だ。

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