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【エッセイ】獣への帰り方

 ニュースサイト「ねとらぼ」で、初の同人誌「ねとらぼん」をつくりました。特集は「ネットと銭湯サウナ」。最近人気がじわじわ高まっている銭湯とサウナについて、インターネットがどのようにかかわっているのか、コラムやインタビュー、エッセイなどさまざまな記事を通して見つめる一冊です。

 こちらではぼくも寄稿したエッセイ「獣の帰り方」に若干の修正を加えて公開します。なお、ここに出てくるM氏とは、下北沢のソウルメイトでありライターの世界に導いてくれた一人、宮崎智之さんです。

●獣への帰り方

 夏のある朝、ぼくは下北沢のカプセルサウナの水風呂に体をうかばせながら、慟哭をあげていた。平日だからか20畳ほどの浴場にはほかに誰もいない。仰向けになって顔だけを水面から出しながら、涙を溶かし、うああああん、あああう、と感情のままに叫んでいた。

 その3時間ほど前、ぼくは当時付き合っていた彼女が熟睡する横で、彼女のスマホを盗み見していた。

 前の晩は彼女の誕生日をお祝いしたばかりだった。下北沢で焼肉をごちそうしてから、ぼくの部屋へ移動し、「たぬきの首が大量に載っている」珍妙なホールケーキをサプライズでプレゼントした。
 というのもたぬきはぼくたちのコミュニケーションにおいて大事な“架空のペット”だったからだ。親指と中指と薬指の3本をくっつける手の形を、日本では「きつね」と呼ぶのが一般的である。ぼくたちは「たぬきはかわいいし、日本の固有種だからすごい」という謎の理由から、それをたぬきと呼んでかわいがっていた。2人で会話するときは手のたぬきを生き物のように動かし、声色を変えてしゃべらせ、時には言いづらい愛を伝えさせたりと、一緒にいる時間をにぎやかにしてくれる愉快な相棒として共生していた。主にぼくが1匹、彼女が1匹つくることが多かった。テンションが高いときは最大4匹まで発生するのでとてもとても楽しかった。
 そんなたぬきの頭を現実の生き物に近い形で、チョコレートの茶色をうまくつかってコミカルに再現し、ケーキの上部や側面に10個ほど散りばめる「夢のたぬきケーキ」を、お菓子屋さんにこっそりつくってもらった。電車で往復3時間かけて取りにいき、冷蔵庫に忍ばせ、彼女にお披露目した。声をあげて喜んでくれ、2人と10匹ほどで記念写真をとりまくった。焼肉後のおなかをさらにいっぱいにし、いつものようにシングルマットレスに2人でぐっすり寝に入った。

 朝5時ごろ、彼女のスマホの着信音で目が覚めた。確かLINEの通知だった気がする。彼女はいびきを立てて寝たままだ。5分だったろうか10分だったろうか、ぼくは思い悩み、結局は差し込んできた魔に打ち勝てず、彼女のスマホ画面のロックを解除しようと試みた。パスワードを要求されることなくすんなり開いた。

 家族も含め、他人の携帯機器のロックを解除しようとしたことは人生で一度もなかった。そんな発想が出たことすら、後にも先にもこのときだけである。
 じゃあなぜこの時はやったのかというと、それだけここ数カ月の彼女の様子に胸をざわつかせていたからだった。どことなく付き合い始めてから1年くらいだったが、妙に彼女は過去の元カレたちの話を思いつめた表情でするようになった。ある元カレのDJイベントに連れていき、ぼくを差し置いて目の前で2人でしゃべったり、「さっき裏で頭をなでてもらったんだよね」とわざわざ報告してきたり、ゆさぶりをかけてくる。自分への愛を誰かと比べているような、あやしい言動が増えていた。

 実は昨晩も、誕生祝いの場に顔に白いシップを貼った姿で現れた。聞いてみると自宅の最寄駅で過去の知り合いの男に待ち伏せされ、急になぐられかかったという。男は交番に突き出して事は片付いたから安心して、と言われたが、そんな大変な目にあったら彼氏にすぐ連絡してくれるものでは? それだけ自分は頼りないのか、他に頼れる存在がいるのか。不安でたぬきもなかなか出てこなかった。

 スマホのロックを解除し、LINEで最新の元カレとのトーク画面をさかのぼる。つい数日前に、彼女から連絡して2人で会っていたことがわかった。用事をドタキャンされた日だった。さらに数カ月前までさかのぼると、箱根への温泉旅はどうするか相談するメッセージが向こうから来ていた。彼女がめずらしくぼくの家に4連泊ほどしていた時期だった。もっとさかのぼった結果、2人は半年以上は月一食事に行っていたことがわかった。

 スマホを手に正座したたまま、全身がふるえ出す。すぐに隣の彼女を起こして問い詰めた。状況を理解すると彼女はすぐさま正座し直し、ひたすらに謝った。LINEに書かれていることは事実だが、会うときは悩みの相談だけで体を交わすようなことはなかったし、箱根旅行も気が進まず都内で朝まで2人で飲み明かすだけだったと、繰り返し弁明する。

 ぼくは「きみが嫌いだ」「ぼくは信じてこんなことをしたのに」「とにかくもう別れてほしい」と声を震わせ感情のままに罵倒した。1時間ほど「別れたい」「別れたくない」の押し問答が続き、とうとう2人で力なくベッドの上でうなだれてしまった。居たたまれなくなり、「ちょっとコンビニ行ってくる」とこぼして部屋を出た。実はただ逃げ出して彼女のいないところで冷静になりたいだけだったので、財布は忘れてしまった。環状七号線をぼんやり南へ歩き続け、誰かにこの状況をどうすればいいか相談したくなり、唯一持ち出していた自分のスマホで、下北沢に住むライターのMさんに連絡した。

 Mさんとは2011年の冬、下北沢のDJイベントで遭遇した。スーパーカーの「LUCKY」が流れていたときだった。多幸感にひたすら体を揺らしているぼくに、隣りにいた高身長の男性も揺れながら、「この曲最高だよね」と笑いかけてきた。目にはものすごいクマがある。だけど、とてもとても幸せそうだ。すぐ打ち解け合い、ぼくがライター編集に興味があること、Mさんはすぐ近くの編集プロダクションに務めていること、そのほかさまざまに話し、機会あらばまた会いましょう、と別れた。そこから実績も才能もないぼくを定期的にスズナリ横丁へ飲みに誘ってくれては、話をぶつけ合ったり、相談に乗ってもらったり、親睦を深めさせていただいた。

 朝7時にもかかわらず、Mさんは近くの中華レストランで話を聞いてくれた。初めて会ったときはジントニックをおごってくれたが、今回は天津飯だった。バツイチで経験豊富な観点から、「とにかくすぐに別れるんじゃなく、2週間以上は距離を置いてからもう一度決断してみるのがいいよ」とアドバイスをもらった。「浮気した人間」=「救いようがない」と直結させるのではなく、人間にはいろんなブルースがある。でも中にはどうしようもない理不尽な人もいる。それよりもまず自分の本心を見つけるために、離れて過ごしなさい、ということだった。おまけのスープがあたたかった。

 スマホ以外何も持っていないので、1万円札を裸のままお借りして別れた。しかし多少冷静になったとはいえ家に戻りたくない。まだまだ残っているこのしんどい気持ちから少しでも楽になりたい。とりあえず体だけでもさっぱりしたくなって、下北沢にあるカプセルホテル&サウナによろよろ向かった。

 下北沢のライブハウスでバイトしていたころ、終電を逃したときに数回お世話になった施設だ。特にサウナの質がいいわけでもないし、水風呂の肌当たりがいいわけでもない。全体的にちょっと古びていて清潔感にも欠ける。映画「アウトレイジ」でビートたけしが入浴中の組長を襲撃しに行ったときのサウナに似ている。けれども室内の温度も水風呂の冷たさもちょうどよく、浴槽も広く、交互浴するには申し分ない。

 幸いにも脱衣所も浴場もサウナも貸し切り状態だった。体を洗ってから、なるべく高温を求めてサウナ室の上段奥に座り、体温をあげていく。テレビでニュースが次々と流れていくさまをぼーっと眺め、3時間前の出来事を思い返す。

 あんなにうろたえる自分も、彼女も、初めてだった。

 どうしようもないのだろうか。きっぱり別れるほうが互いの未来にとっていいのではないだろうか。それともこの経験から互いに成長して一緒に居続けられたら、ぼくらはたぬきと暮らす最強にハッピーな家庭を築き上げられるんじゃないか。子どもが1人が増えるたびにたぬきが2匹増える。なんて最高なんだ、はは。

 5分、7分と時間が経つにつれ、頭がさらにぼんやりとして、どんどん思考が目まぐるしく回転していく。

 「でもまた浮気されたらどうなる」「おかしくなってもういろんなところへ戻れなくなるんじゃないか」「ああ、母を悲しませたくない」「大学の友人はみんな定職に就いて結婚していっているのにぼくは何をしているんだ」「将来が不安だ」「でもこの業界でまだいろんなことをやってみたい」「強さがほしい」。
 生きるって……難しい。

 体も頭も限界にきて、サウナ室を出て、熱いシャワーで汗を流し、間髪入れずに水風呂に飛び込んだ。いつもはしっかり作法を守っているが、誰もいないがゆえにすぐに頭まで潜水し、ぷはぁ、と息を吸い、仰向けになって体を浮かべてみた。

 火照った頭を、肢体を、水風呂が急激に冷ましてくれて、とにかく脳が溶けていく。ここでいつもなら気持ちよさのあまり「ああー…」とだらしない声を漏らしてしまう人間だが、このときはそれだけでなかった。声は次第に嗚咽に変わり、ボリュームをあげて、ただただ泣き叫ぶようになった。

 唯一持ち出していたスマホも脱衣所に置き去りにし、外界から遮断された、誰も居ないサウナ施設。体が冷まされていく快楽を引き金に、将来への不安、プライド全てをかなぐり捨てて、ぼくは泣いた。いや、あれは鳴いていた。理性はなくただただ悲しみに暮れていた。
 実力もないくせに見栄っ張りなぼくが、酒の力を借りずにここまで精神を解放したのは、いつ以来だっただろうか。そして獣になれたぼくは、こう思った。「彼女が好きだった」。

 その後彼女とは付き合い続けることになったのだが、1年後にお別れしてしまった。彼女の行為をどうしても許せない自分の器の小ささに、そして彼女の変身を見届けられるほどの強い心がないことに気づいたからだ。あの日以来、例のサウナには足を運んでいない。入浴中に人知れず鳴いたこともない。一人でいる時ごくたまに、手でたぬきを作ってこちらに向け、口をぱくぱく動かしてみることはある。

(黒木貴啓)

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