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ファッションには、無駄と消費が必要だ。

5月末、古着屋に6年間勤めた友人が退職した。彼とはもう10年くらいの付き合いで、10代の頃から洋服の話を延々としていた服バカ友達の一人だ。

当時は、まわりのみんなが「モード系」と呼ばれる、ハイブランドの洋服に憧れていた。思い返せば、あの頃バカみたいに洋服にお金をつぎ込んでいた。お金を貯めたことなど一度もない。シーズンごとに次々と繰り出される最新コレクションにありったけの資金をつぎ込み、どうしても欲しいお洋服のために泣く泣く手放したコレクションもたくさんあった。

ぼくは来る日も来る日も、消費し続けていた。だけど、無駄な消費なんてなかった。成長真っ只中のファストファッションだって使えると思えば買った。いつだって一着の洋服のために何日も悩み抜いて購入し、毎日のようにその洋服を着た。失敗もたくさんした。シーズンにかかわらず、かっこいい服はずっと着ていたし、どうしても手放す洋服だって、できる限り顔の見える相手に直接譲るようにしていた。

大学生の後半、ラグタグというブランド古着のお店でバイトをしていた。今でこそファッション業界にも知られるようになり、二次流通という言葉も一般化しはじめたが、当時は「ブランド古着」というとどこか後ろめたさの残る市場だった。お金持ちでいくらでもブランド物を買えるような大人たちがオンシーズンの洋服を手放す一方で、新品なんてとても買えない貧乏な学生が血眼になって洋服を探しに来る、そんな印象を持たれていた。たしかに、そういった側面もあった。転売ヤーもたくさんいた。だけど、洋服は消費されるどころか価値を増すこともあり、少なくとも循環され続けていた。そこにはちゃんと洋服への愛があった。ぼくがバカみたいに集めてた洋服のタグの写真がiPhoneに残っていた。

あれから6年経って、二次流通も当たり前になりつつある。ファストファッションは一時期の勢いを失った。SNSやテクノロジーも随分進化して、あの頃とは比べ物にならないくらい便利な世の中になった。情報過多の時代、どんどん世の中は効率化の一途を辿っている。そんな流れに沿うように(または、逆らうように)ランウエイのあり方も、洋服の買い方も、どんどん新しい手法が生まれていて、それはすごくいいことだし、見ていて面白い。

洋服に関していえば、どんどんと民主化が進んでいる。ストリートがモードを凌駕するパワーを持つようになったのも、すごく面白い流れだ。全身モードで着飾るんじゃなくて、足元はスニーカーで外す、みたいなジャンルの融合がファッションに新しい可能性を見せてくれている気がする。

一方で、民主化が進んだことで、わかりやすい洋服が増えたと思う。着回しできる服、汚れてもすぐに洗って乾く服、悩まなくていいコーデ提案。これらは本当に素晴らしい。これまで洋服を気にかけていなかった人や、気になっても何を着ればいいのか分からなかった人、そんな人たちに選択肢を与えてくれた。

だけど、本当にそれだけでいいんだろうか。こうした新しい提案を否定するつもりは毛頭ないし、自分が好きだったころの懐古主義に走るつもりもない。僕が聞きたいのはただ一つ。「みんなほんとにファッション楽しんでる?」ということ。

テクノロジーが進化したことで、AIによる需要予測が生まれ、きちんと売れる服が過不足なく店頭に並ぶ時代はそう遠くない。消化率100%は大手アパレルが願ってもみないゴールだろう。でも、そんな店ほんとうに楽しいのだろうか。ワクワクするのだろうか。

店頭で売れる洋服だけが必要な洋服だと思ったら大間違い。それじゃあまりにも無機質だ。もちろん、売れなくて廃棄される洋服を次々と買い付けろだなんて思わない。そうじゃない。洋服は需要予測で提案できるほど、数学的な業界じゃないと思うだけだ。たとえば、買えなくても、夢を与えてくれる服。店頭のラインナップを引き立たせる服だってある。1着だけ入荷、だなんてワクワクするじゃないか。

売れないような洋服を買い付けて、作ってどうするのか。それはたしかに考えなきゃいけない。廃棄される以外の選択肢を作らなければいけないだろう。そもそも、シーズンが終わってセールになるだけが洋服じゃない。付加価値がつく洋服だってある。ある意味でアートと同じかもしれない。熱量を買う。だから、時代が変わればその価値も変わる。

アパレル業界は、どんどん無機質になっているような気がしている。良くも悪くもいろんな影響を受けて、流されて、ちょっとずつお利口になろうとしている。

そんな中で「サステナブル」という言葉が一人歩きをして、本質を見失いそうになっている。無駄を出さないこと、それだけがアパレルにおけるサステナブルじゃないと思う。10年前、もちろん今よりもサステナブルじゃなかったという事実は否定しない。それでも、全く異なる概念でサステナブルな循環が生まれていたことも事実だ。そして、そこには愛があった。

ぼくは、無駄なものも、消費も大好きだ。それは決してサステナビリティに異を唱えることにはならないと思う。ファッションは熱量で回る。そして時代に合わせてその感情も移ろいゆく。きちんと感情をつなげば、いつまでも洋服は循環できる。それが、早くから二次流通を見て感じていたことだ。もちろん、今も昔も「サステナブル」に対して本質的なアプローチを続けているデザイナーはたくさんいる。

だからこそ、アパレル業界は、サステナブルが叫ばれる今の時代に、戦う相手を見誤らないでほしい。大切なのは消化率を100%に近づけることでも、ショッパーをなくすことでもない。それらは手段の一つでしかない。前年比越えを続ける過酷な事業計画の中で、そんな手段ばかりを目的にしていては、洋服がどんどんつまらないものになる。

たった15分のランウェイが一人の人生を変えることだってある。それだけのパワーを持った洋服がある。これはきっと出逢わなければ、知らない感情だろう。エディのDIOR HOMMEがあったから、ラフのJIL SANDERがあったから、クリストフ・ルメールのHEMRESがあったから、今の僕の価値観が醸成されたと言っても過言ではない。今、僕を形作ったそれらの洋服は手元にほとんどない。昨日、服バカな彼のクローゼットを見て、ちょっとだけ悲しくなった。あの頃のぼくの感情は、もういろんな人のところに分散しちゃったんだ。

最後にもう一度聞きたい。アパレルに関わる全員に聞きたい。みんな、心からファッションを楽しんでいるのだろうか。ぼくは今またファッションが楽しいと思う。そんな若者も変わらずたくさんいると思う。だから、どんどん消費しよう。価値のある洋服と、熱量をつないでいきたいと思う。

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すみた たかひろ

編集・執筆 / 1991年、大阪生まれ。メディアとかイベントとか、ホテルとか、いろいろ編集してます。心地良い空気感を生み出せる人になりたいよ。

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