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梅崎司から見た登里享平。登里享平から見た梅崎司。似た者同士が抱く、共感と刺激の不思議な関係。

湘南ベルマーレの梅崎司と川崎フロンターレの登里享平−。

この2人は本当に似ていて、月日が経てば経つほど、共通点が多いことに気づく。

筆者は10代の頃から2人とそれぞれ親交があり、サッカー談義や人生の話、たわいもない話など腹を割っての会話を重ねてきたが、それぞれの人間性、考え方、そしてプロになってから歩んできたサッカー人生は共通点が多い。

梅崎は2008年に大分トリニータから浦和レッズに移籍をすると、そこから丸10年、レッズでプレーをし続け、アジアチャンピオンを獲得した2017年のシーズン終了後にベルマーレに完全移籍を決意。昨年はベルマーレの主軸としてルヴァンカップ初制覇に大貢献した。

登里は2009年に香川西高校からフロンターレに入ると、そこからフロンターレ一筋11年目を今年で迎える。一昨年、昨年とJリーグ2連覇を経験した。

共にJリーグ屈指のビッグクラブで10年もの歳月を過ごしただけでなく、プレースタイルも高校時代からのキレキレのドリブラー。登里は左利き、梅崎は右利きの違いはあるが、サイドでボールを持ったら迷わず仕掛け、一瞬のスピードとアジリティー、そして正確なボールコントロールで相手守備網を切り裂いていく。

梅崎は好調時、そのドリブルの切れから『キレ崎』と呼ばれ、登里も高校時代は相手の懐に潜り込んでいくドリブルを見て、筆者が『讃岐のジャックナイフ』と表現をした。

だが、梅崎は『好調時は』と前述したように、キレ崎を見せる回数はレッズに入ってから激減した。登里もプロ3年目で多くの出場機会を掴み取るようになってからは、『川崎のジャックナイフ』を彷彿させるプレーを見せていたが、2014年からサイドバックにコンバートされ、2015年に膝の怪我を繰り返してからは、出場機会も減り、試合に出ても切れ味鋭いドリブルは影を潜めた。

迎えた昨年。

梅崎はベルマーレという新天地で、試合を重ねるごとに水を得た魚のように、より熟練された『キレ崎』を何度も披露。今年も変わらぬ好調ぶりを見せている。

登里も怪我から完全復調し、リーグ25試合に出場して、『ミスの少ない選手』として左サイドバックでポゼッションサッカーのキーマンとなる活躍を見せ、リーグ2連覇に貢献した。今年に入るとカウンターケアやポゼッションで効果的なプレーをしながらも、昔を彷彿させる積極的なドリブルを見せるようになった。

生粋のドリブラー、ビッグクラブでの長きに渡る在籍、ドリブルに陰りが見えて、また復調する。この2人は本当によく似ているのだ。

実は梅崎と登里の2人は、直接的な交流はあまりない。だが、筆者がそれぞれの会話でよく名前を出していたことで、お互いは意識し合っていた。

「試合後にノボリと少し話しましたけど、いいやつだね」と梅崎が言うと、「ウメさんは凄いですよね。言葉一つ一つ、立ち振る舞いが本当に勉強になる」と登里も笑顔で話してくれる。

試合の機会で少し話す程度だが、お互いを『ノボリ』、『ウメさん』と呼んでいて、聞いているこっちも自然と笑顔になる。

「会話の場を設けたら、恐らく話が止まらなくなるくらい気が合う仲になるような気がする」。
筆者はずっとそう思っていた。すると、梅崎から筆者に送られた1通のメールがそれを確信に変え、今回の物語を描くことを決意させたのだった。

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