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【小説】光の三分間と声と言葉の青春⑫「銀河の行く末」

前回

 いつの間にか夜風は凪いでいた。

 先ほどまで聞こえていた同級生の喧騒も聞こえなくなっていた。

 月の光だけが照らす薄暗がりの静寂。中島が飲み終えた空き缶を潰す音が厭にはっきりと聞こえた。

「中島が俺に話しがあるなんて珍しいな。何か悩み事?」

 何となく中島に影を感じたので聞いてみる。中島はしばらく黙った後、こちらを見ずに、新しい缶を開けた。空けてから、こちらに気を使って、もう一本飲むか聞かれたが、俺の缶の中にはまだ三分の一ほど残っていたので断った。

「いや、そこまで深刻な話じゃないんだ。気分転換というか、勉強ばかりしててもしんどいから」

 中島は、そういって缶の中の液体をあおり、一気に飲み干した。飲み干してからまた空き缶を潰して、先ほど潰した缶の横に置いた。

「何でリョウヘイはギター弾いてるの?」

 突然の問いかけだった。俺は三秒ほど考えてこう答えた。

「好きだからだよ。最初はアニメから入ったけど、続けていくうちにハマってた。大学行ったらバンド組もうかな」

 答えてから、もしかしたら質問に“よく授業を抜け出してまで”と暗に聞かれているのかと思い直し、少しズレた答えだったかなと後悔した。

「すごいじゃん。何か一曲弾いてみてよ」

 中島は俺の答えに何の違和感も覚えず、素直にそう言った。

「いやだよ、さっき下に先生通ったし。それに中島の方がすごいよ。勉強も学年で一番だし。ディベート部も忙しそうだし」

 俺がギターを弾いている理由は好きの一方で現実逃避も入っている。結局ミュージシャンを目指すと言っても、自己満足の域を出ていなかった。だから、人に聞かせるのはまだまだ恥ずかしい。

 俺は、気恥ずかしさで話題を変えた。

「いや、勉強は医者になるのに必要だからやってる。家族から言われてるんだ。一番を取っていれば何でもしていていいよって。いわば自由を勝ち取るために勉強してるかな。ディベート部も勉強の合間の息抜きだよ。っていっても、この前の地区予選で負けちゃったからしばらく息抜きも封印だけどね」

 中島が珍しく熱く語っているのを横目に、俺もノンアルコールビールをすべて飲み干した。

「負けたの?」

 潰した空き缶を中島が潰した缶の横に置いた。

「負けた。コテンパンにね。今年から地区予選は北陸と近畿地方が合併しちゃって、近畿から膳所ぜぜ高校とか洛南らくなん高校とか、私立の頭いい高校がたくさん出たから」

 中島は「悔しい」と言って、テラスに落ちていた小石を指ではじいて空き缶に当てた。甲高い音がした後、缶は吹き飛んでテラスの真下へと落ちていった。中島は「ヤバッ」と言い、こちらを見て笑った。

「東大京大に入って、将来官僚として国を動かしていくやつらと戦えたんだからいい経験じゃん?」

 中島はいいとも悪いとも言わず、大の字になって星空を眺めた。俺も、中島に倣って夜空を仰いだ。月に叢雲がかかっていて、その奥には銀河が流れていた。

「そういえば、檜山先生から聞いたんだけどさ。合宿の最終日にやるんでしょ? 何だっけ?」

 中島が背伸びをしながら聞いてきた。

「あー、詩のボクシングね。あれは免罪符だな」

 正直、詩のボクシングを檜山先生から持ち出されたときには、かったるいとしか思わなかった。詩が好きというのも先生のこじつけでしかなく、あまつさえ人前で自分自身をさらけ出すなんてことは正直しんどい以外の何物でもない。

「免罪符」

 そう、免罪符。檜山先生に言われなければ確実に断っていた。

「俺、テストで点数は取ってるけど、よく授業抜け出すから、先生に黙認してもらうためにやってるところある。中島の言葉で言うと、自由を勝ち取るためってやつ。いわばアメリカ独立戦争。自由の女神ってやつだわ」

 そう言うと、中島は手を叩いて笑い出した。

「面白。意味わからない」

 声の調子で中島が明らかにわざとらしく言っているのが分かる。

「面白いのと意味わからないのとどっちだよ」

 俺が中島に肩パンすると中島が「痛ぇよ」と言って肩パンし返してきた。

「どっちもだよ。え、それじゃあ詩のボクシングってみんなの前で何話すん?」

「当日までのお楽しみだよ」

「いいじゃん! ケチ! 教えろよ~」

 中島が駄々をこねて服を引っ張る。俺は「無理だね」と言って服を引っ張る手を諫めた。

「そんなに気になるんだったら中島もやる? 詩のボクシング。団体戦に参加するのに三人必要なんだけど、もう一人足りなくてさ」

「あー」

 俺の提案に中島は言葉を濁す。しばらく何も言わなかったので顔を見ると、白目をむいていた。中島にチョップすると笑いながら頭を押さえてのたうち回っていた。

「息抜きになると思ったけど、やっぱ、勉強忙しい?」

「いや、ありがとう。考えておく」

「医者になるのに勉強そんなに根詰めなくてもいいんじゃないの? 中島にとっての医者ってそんな大事なもん?」

 愚問。学年主席になるほど高校生活をかけて勉強に打ち込んでいるものが、大事じゃないわけがない。聞いた後に、俺は後悔した。

「うん大事。例えるとしたら何だろう。責務かな。父さんに期待されてるからボクもならないとね医者。うちは医者の家系だから」

 しかし、中島は自分の歩いている道が何も間違っていないことを改めて確かめるようにそう言い切った。そして、身を起こした。

「うちは歯医者の家系だな。姉ちゃんも歯学部だし、もしかしたら俺も歯医者になるかも」

 俺の言葉に、中島は「似た者同士、頑張ろう」と言った。

 俺も身を起こした。ざわめきが聞こえる。どうやら、授業が終わったようだ。気づかれないうちに、帰らなければいけない。

「それじゃあ最終日、楽しみにしてる」

 中島は空き缶を潰してポリ袋に入れ、歩いて行った。

 俺は、ギターを一度かき鳴らした。

 先ほどまで見えた星空は、雲がかかって見えなくなっていた。

 合宿二日目は土砂降りだったので、タイムスケジュールの数学と英語のレクリエーションは室内で行われた。

 午前の数学は大講義室で行われ、八等分された室内にはそれぞれ八種類の数問コーナーが設けられていた。コーナーには簡単な数式から難解な数理パズルまで置いてあり、問題が難しいほど高い点数がもらえた。時間いっぱいまで数式を解きながらコーナーを回り、最終的に一番点数を獲得できた生徒には豪華景品が贈呈された。

 ちなみに、一組の女子が一位を取り、千円分のお菓子セットをもらっていた。

 昼食は、山菜ごはん、豚汁、焼サバ、高岡コロッケ、きんぴらごぼう、ポテトサラダだった。

 午後の英語では平井が持ってきたマイケルジャクソンの映画を見た。マイケルの半生を描いたドキュメンタリーで、事前に渡された問題用紙に英語で書かれた項目を、映画を見ながら埋めていった。作中の“Billie Jean”は俺の好きな曲だった。夢中で聞いていたら問題用紙をすっ飛ばしていた。

 夕食は、カレーライス、トンカツ、春雨スープ、大根サラダだった。

 夕食後、他の生徒は自習(自由時間)もしくは、書き忘れていた合宿のレポートを書いていた。

 俺とアキ、そしてディベート部のメンバーは、檜山先生に大講義室に呼び出され、明日の詩のボクシングの打ち合わせと設営を行っていた。

次回

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