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ジャパンCの外国勢は凱旋門賞で負けた馬を狙え

ほとんどと言ってよいほど季節感のない私が、11月も末になると底冷えのする寒さになることを知っているのは、1995年のジャパンカップの日、朝から東京競馬場のスタンドに座り続けていたからである。ヒシアマゾンという牝馬を応援するために、いやジャパンカップを勝つ場面に何としても居合わせたいという熱い想いを秘めて、始発の電車に乗り、開門と同時に門をくぐったのであった。

あの日は午前中からすでにたくさんの競馬ファンが詰めかけており、凄まじい熱狂ではあったが、寒風が吹きすさぶスタンドにいると、ジッとしていられないほどの寒さ。それでも私は、まるで金縛りにあったかのように、その場から一歩たりとも動かなかった。ヒシアマゾンが目の前で勝つ瞬間が、待ち遠しくて仕方がなかったのだと思う。

そんな私の想いを打ち砕くかのように、女傑ヒシアマゾンの前を1頭だけ走る馬がいた。最後の直線、追っても差が縮まらない、むしろ少しずつ離されていくよう。ゴール板を過ぎるまで、声を枯らして声援を送ったが、結局、ヒシアマゾンは届かず1馬身半差の2着に敗れてしまった。まさかヒシアマゾンが負けるとは思わず、私は茫然自失になりながらも、わずかに残っていた意識の助けを借りて馬柱を探し、勝った馬がランドという名前の外国馬であり、その年の凱旋門賞で4着、ブリーダーズCターフで12着と敗れてからジャパンカップに出走してきたことを知った。

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