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データも大切だが、ときには人を見てみるのも面白い。

競馬はサラブレッドと人間が織り成すドラマである。主役は馬であり騎手であり、彼らが表舞台に立って演じる数分間のドラマを、私たちは観戦し、馬券を買って応援することができる。私たちの目に焼き付いて、記憶に残るのは、華やかな活躍を見せてくれた名馬や名ジョッキーたち。しかし、その光の陰には、1勝も挙げることなくターフを去った馬たちや名を知られることなく鞭を置いたジョッキーらが存在する。彼らは能力がなかったわけではなく、たまたまチャンスを掴み損ねたにすぎない。騎手としてはむしろ表舞台に立たない、という選択をした者もいるだろう。彼ら裏方の存在に支えられ、名馬や名騎手たちは光り輝くのだ。

平成23年に厩舎を開業した菊沢隆徳調教師と千田輝彦調教師は、その典型である。どちらも表舞台で活躍することはほとんどなかったが、知る人ぞ知る職人ジョッキーであった。かつて週刊Gallop誌上で行われた横山典弘騎手と武豊騎手との対談の中で、彼らが2人について言及したことがある。

横山典弘(以下、敬称略)

「中には職人みたいなオレらより馬を知っているジョッキーはいる。そういう騎手が調教にまたがって『この馬は走る』って言うと、ほとんど走る。菊(菊沢隆徳騎手)なんかそうだし、関西でもチー坊(千田輝彦騎手)とか」

武豊

「彼らの言うことは本当に信頼できる」

横山典弘

「ホントかよ、こんな血統でか?なんて馬が実際に走るんだから。だから競馬で勝っている人間が素晴らしいジョッキーと思われているかもしれないけど、それは違う。そういう表に出ないけど、素晴らしいジョッキーはたくさんいるよ」

菊沢調教師と千田調教師は、競馬学校を同じ時期に卒業している。同期の仲間には、岸滋彦元騎手、内田浩一元騎手、そして故岡潤一郎騎手などもいた。運命に翻弄された世代とも言えるかもしれない。菊沢調教師と千田調教師だけではなく、岸元騎手や内田元騎手も素晴らしいジョッキーであった。ほんの僅かな展開の綾や手綱捌きの違いで、もしかしたらトップジョッキーへと登り詰めていた可能性を秘めていた男たち。

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