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モッチー編集長の高松日記9〜仏生山〜

こんにちは。モッチー編集長こと望岡季世彦(もちおか・きよひこ)です。
このアカウントでは高松の好きなところ、高松経済新聞の取材を通して感じた高松の魅力をお伝えしていきます。
今回は「仏生山町」についてお届けします。

2年前の年の暮れに引っ越した仏生山。市民病院の移転や「ふらっと仏生山」があって便利だし、おしゃれなお店も並んでいます。かと思えば野生のキジに遭遇するような、意外と自然もあったりします。

仏生山公園

この「仏生山」という名前、どんな由来でこの名前になったのかが前から気になっていたので調べました。
その名前の由来となるのはこの町にある「法然寺」ーかつてこの地を治めた高松松平家の菩提寺です。
由来について改めて調べてみました。
始まりは1207年、「南無阿弥陀仏」でお馴染み、浄土宗の開祖とも呼ばれる法然上人は讃岐国に流されたところから始まります。法然上人は讃岐に留まったのは10カ月間と短い間ですが、讃岐国中で布教を行い、弘法大師ゆかりの善通寺にも足を運びました。ちなみに当時、法然は75歳。今の基準から見ても非常にパワフル…!
その法然がまんのう町に建立した小松荘生福(しょうふく)寺を、高松藩主・松平頼重公が1668年〜1671年に移築したのが法然寺です。
建立の際、地下から仏舎利(仏の遺骨)が見つかり、これが「仏生山」の名前の由来になりました。何だか神秘的なエピソードですね。

法然寺

仏生山は法然寺の門前町として栄えました。高松城と同寺を結ぶ仏生山本町通りは「御成街道」とも呼ばれます。
秋には大名行列が行われ、街が賑わいます。

馬も登場!乗るのは高松市の大西市長です。
本格的な殺陣が繰り広げられます

(高松経済新聞で紹介した記事はこちらから)

以上、僕の住む町「仏生山」についてお伝えしました。
この仏生山にはまだまだ書きたいことがあるので合間でお届けしようと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。もしこの記事を気に入っていただけましたら「スキ❤️」とフォローをしていただけると励みになります♪



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