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小弓公方足利義明の記事で思うこと


久しぶりの投稿です。
昨年は戦国時代の、ゆみぼうあしかがよしあきの記事を小学館の和樂webに書くため、千葉市の小弓城跡や、市川市の国府こうのだい城跡、松戸市の相模さがみだい城跡など、何度か千葉県に取材に出かけ、それぞれnoteの記事にしました。ところが小弓公方の記事を書き終えた昨年秋頃から、毎月の和樂web執筆と月一回の講座準備に追われてしまい、心ならずもnoteから遠ざかってしまった次第です。

今回は、昨年秋に和樂webにアップした小弓公方の記事を紹介するのが目的のnote投稿ですが、 最近少し思うところもありましたので、雑感もまじえてみたいと思います。

記事は、もうちょっと読みたいぐらいがちょうどいい?

私が歴史雑誌を編集していた頃、記事1本の原稿枚数は400字原稿用紙8枚~11枚分でした(もちろん、原稿用紙に手書きの人はめったにいませんが)。つまり文字換算で、3200字~4400字です。これでビジュアルをまじえながら、雑誌4ページから5ページ分 でした。当時、原稿料は400字5,000円をお支払いしていましたから、いい時代でしたね(今もそうなのかな?)。

ひるがえって、自分がこれまで和樂webに書いてきた記事を振り返ると、多くが1万字超え(noteの記事は短いですが)。 ページが決まっている紙媒体と異なり、webの場合はそれでも収まってしまいますが、結論からいえば長すぎました。たまに編集部で真っ二つにされ(涙)、別々の記事に分けられたりもしましたが、それも当然のことだったと反省しつつ思います。

その後、アドバイスをいただき、最近は、1記事5,000字をめどにすることにしました。歴史記事の場合、背景説明などでどうしてもある程度のボリュームは必要になりますが、すべてを説明するのではなく、省くところは省くことを心がけると、5,000字強ぐらいでなんとかまとめられるようになりました。紙の雑誌の記事に、近づいたわけです。なるほど、確かにこのぐらいの方が記事として軽快で、もうちょっと読みたいかな、ぐらいの方が、読む側の意欲もかきたてるように感じます。というわけで、当面はこのかたちで書いていこうかと思っている、今日この頃です。

運命の決戦、第一次国府台合戦

しかし、今日ご紹介したい小弓公方足利義明の記事は、長く書いた最後のものですので、1万字を越えています。くれぐれもお時間のあるときに、ゆっくりお読みいただければ幸いです。

そもそも私が小弓公方に関心を持ったのは、東京都かつしか区の西さい城を調べたことがきっかけでした。江戸城よりもさらに東、北方の公方をにらむ城としておうぎがやつうえすぎ氏によって築かれた葛西城ですが、やがて関東に勢力を広げる小田原ほうじょう氏によって攻略されます。この事態に危機感を抱いたのが、北小弓城を本拠とし、古河公方の打倒を目指す小弓公方足利義明でした。義明は北条氏の葛西城奪取を受けて、下総しもうさ(千葉県北部)の国府台城に進出するのです。

上総かずさ(千葉県中部)のやつ氏や(千葉県南部)のさと氏の後ろだてを得ていた足利義明は、かなり覇気に富んだ人物で、実戦経験も豊富でした。上総での戦いでは、北条氏の軍勢を撃退したこともあります。彼が目指したのは、古河公方を倒して自らが正当な鎌倉公方となり、関東を治めることだったのでしょうし、実際、それだけの器量をそなえていたかもしれません。

一方、関東に勢力を伸ばす北条氏は、もともとは幕臣の氏。関東武士になじみの深い北条姓に改めて、たくみに諸勢力の一族内の対立を利用しながら、はんを広げていきました。そして小弓公方足利義明と北条氏綱は、運命の決戦、第一次国府台合戦で激突することになります。

その詳細はぜひ、和樂webの記事「松戸駅前は戦国の古戦場?第一次国府台合戦と経世塚・足利義明」をお読みください。


足利義明

関東戦国史へのとっかかりとして

記事を最後までお読みくださった方、ありがとうございます。

足利義明が生きた時代は、関東における室町時代の秩序が崩れ、大名の実力が問われる戦国時代へと潮目が変わるときでした。その後も上杉けんしんが関東における秩序の再生を試みますが、復することはなかったのです。

足利義明を古い価値観、北条氏を新しい価値観と評価することは、しごく簡単ですが、それは「勝てば官軍」のような見方である気もします。

戦国時代、同族内の争いは京都の足利将軍家をはじめ、室町幕府の重臣たち、諸国の守護や守護代の家などでも起きていました。その点、古河公方家の血筋における小弓公方との対立は、そう珍しいことともいえません。当時、なぜ同族同士で争うことになったのか、また北条氏はなぜそれを防ぐことができ、一方で他家の紛争に付け込むことができたのかを考えた方が、現代にも資する部分があるように思えます。

それにしても関東の戦国時代は、鎌倉公方と関東かんれいの争いから始まり、公方家、管領家にそれぞれの内紛も起きて、非常にややこしく、それが歴史好きの人ですら、とっつきにくさを感じる原因になっていると感じます(もちろん日本各地、大なり小なり似た状況ではあったようですが)。

今回、自分なりに整理しつつ、足利義明を軸にしてこの時代の一端を追ってみました。はなはだ未熟な内容ではありますが、関東戦国史への関心のとっかかりとして、少しでもお役に立てる部分があったらといいなと、願う次第です。



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